紅露の写真日誌…北の大地・夢空間

小樽・札幌の風景、イベントが中心

道南・函館を撮る

2011-03-31 06:00:00 | 写真
昭和58年1月から62年3月までの、4年3ヶ月ほど政府系金融機関の函館支店に勤務したことがあります。12年ぶりの現場復帰と初の管理職ということもあって、休日でも写真を撮りに歩くいという余裕がありませんでした。当時のネガファイルを見ても、これは、というものがありませんが、少ない在庫からいくつか紹介します。

最初は四陵郭から見た函館の夜景です。通常裏夜景と呼ばれています。四稜郭と言う言葉を初めて聞かれる方もおられると思います。幕末から明治にかけて、蝦夷共和国を設立した榎本武揚らが、五稜郭の後方支援基地として、明治2年に作ったのが四稜郭なのです。城郭などを完成する前に、蝦夷共和国軍は、官軍に敗北してしまいました。実はここが、函館裏夜景のスポットなのです。


(右手後方が函館山 左手海上に見えるのが漁火)


(これは函館山から見た夜景)

この四稜郭付近から、裏夜景を撮るべく行った時に乗っていった車が日産スカイラインクーペでした。ご存知のようにケンとメリーが、美瑛の大きな木をバックに撮ったコマーシャルが当時大人気になりました。我が家で初めて乗ったのが、義弟から譲り受けた、このスカイラインでした。


(運転は専ら家内 私も免許を持ってますが、東京勤務が長くすぐには運転が出来ず…)


(スカイラインは、この赤い輪のブレーキランプが特徴)

さて五稜郭は全国的に有名ですが、特に桜の時期は多くの観光客が来ます。画像を探しましたが、殆ど撮っていないようで、下の1枚のみあげておきます。


(昭和59年撮影 当時40歳、まだ髪の毛が黒々としていた)


(湯の川トラピスチヌの前で 本店から知り合いが来た時に撮影)


(夕焼けに染まる金森倉庫群 今はここベイエリアは再開発され、商業施設が立ち並ぶ)


(函館と言うとイカ、岸壁にイカ釣り船が並ぶ)

さて、函館市内から小一時間ほど北に走り、大沼公園に行ってみましょう。残念ながら、勤務時代の画像がありませんので、時代が下がって、平成18年10月に友人と訪れた時の画像を上げておきます。JR大沼公園駅の近くの駐車場付近で面白い光景を見かけました。修学旅行に来ていた女子学生たちが、連結自転車にこれから乗り込むところです。


(前輪を前の自転車の後部に挟み込むと、何台でも連結が出来る)


(進む方向は先頭車次第)


(おっと、縁石に乗り上げてしまった)


(この日は曇り空 湖面に雲が映りこんで…)


(湖面の淀みも絵になる)

なお、大沼公園については、何度かこのブログで取り上げております。また過日大沼公園を訪れましたので、その報告もかねて、次回取り上げるつもりでおります。
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道北・稚内を撮る

2011-03-27 06:00:00 | 旅行
十勝・帯広、釧路・根室と来れば、次は道北・稚内と言うことになります。ただ残念ながら、道北の天塩、稚内地方には数えるほどしか行ったことがないのです。学生時代に自動車部の遠征で北海道沿岸一周時、昭和59年函館支店勤務時に同僚と利尻・オホーツクへ、最後が退職前の平成16年にのシャップ岬へ、の計3回のみです。学生時代の画像もありますが遠征の記録ですので、今回はS59年とH16年の画像を紹介いたします。

昭和59年当時は、小樽から利尻、礼文にフェリーが通っていたのです。このフェリーもその後数年で廃止されました。小樽港を夜の11時頃に出て、途中天塩沖で時間調整して、翌朝午前6時に利尻の沓形港に到着しました。当時の運賃で、27800円と記録が残っています。車は日産ローレルスピリットと言う1500ccの車でした(下の画像、赤い車)。


(右端が私、当時40才、今ほどのメタボではない、奥が支店の後輩H君)

朝の6時に沓形港に到着し、車で島の周囲を2時間ほどで回ると、後は見るものがありません。稚内へのフェリーの予約が夕方です。やむなく海岸に降り、あまりの水の綺麗さに、ついフリ〇ンで泳ぎに熱中してしまいました。さてあがろうとした時に、なんと若い女性の観光客が数人近寄ってきます。慌てて、車の中へ逃げ込んで、事なきを得た記憶があります。


(利尻の何処の海岸か忘れてしまいました)

夕方フェリーで稚内港に着き、一旦南に下がり、豊富温泉で1泊しました。ご存知の方も多いかもしれませんがここの温泉は、若干石油のにおいがします。翌日は稚内から宗谷に抜けオホーツク海岸沿いに浜頓別に出ました。途中の猿払原野には、大小さまざまな沼があります。


(当時は花に興味がなく、湿地の植物の写真が殆どありません)


(シシウドでしょうか、北海道なら何処でも見かける植物)

なお、翌日は浜頓別から、私の実家のある小樽に向かい、翌々日には函館に戻りました。ここまでの画像はすべてOLYMPUSU OM-1+negaカラーによるものです。(昭和59年7月28-30日)

さて、最近といっても平成16年7月3-4日に訪れたのは、小樽から留萌、天塩の国道232号線、別名オロロンラインを通ってノシャップ岬に行った時のものです。なお、稚内にあるのが「野寒布岬(ノシャップ)」で、道東の根室の先端にあるのが「納沙布岬(ノサップ)」です。紛らわしいですね。紛らわしいついでにもう一つ。日本海側の天塩にあるのが、「サロベツ原野」で、オホーツク海側にあるのが「サルフツ(猿払)原野」です。


(留萌を過ぎて苫前、羽幌を過ぎると、風力発電のプロペラがいたるところに出現します)


(モノクロフィルムで撮影し、スキャナーで出力したら、こんな素敵な色調で出て来ました 中央遠方に利尻富士が…)

私の所有するスキャナーは、CANON 5200F(平成16年5月発売)と言う、今では時代遅れのスキャナです。でも時として、とんでもない発色をしますので、重宝(?)しています。ともあれ、ここノシャップ公園で車中泊です。


(オブジェの向こうに日が落ちます 空気が澄んでいるせいか、夕焼けがとても美しく感じます)


(少し稚内よりの浜辺 午後8時を過ぎてとても美しい夕焼けになりました)


(稚内港の防潮堤遊歩道)

ノシャップ公園の駐車場で車中泊していると、午前3時ころ釣り船のエンジンの音で目が覚めました。もうすっかり明るくなっております。釣り船の先を見ると、利尻富士がくっきりと見えます。


(ノシャップの夜明けは早い)


(午前3時半には灯台の根元から朝日が昇りはじめ、うろこ雲が綺麗に…)

当初は、ここノシャップ付近でもう1泊する予定でした。周辺を走ってみましたが、日中は特に撮るべき被写体もありません。近くの温泉も探しましたが、いずれも営業開始が午後2時頃です。やむなくサロベツ原野まで下がりましたが、ここでも納得できる写真が撮れませんでした。それではと、夕方まで待とうとオロロンライン沿いの駐車場で仮眠です。


(浜辺の民家の入り口には、こんなオブジェが交通安全を願っておりました)

午後3時近くまで休んでいると、雲が多く出てきて、先行きが怪しくなってきました。綺麗な夕景が望めないと判断し、小樽に戻ることにしました。遠別まで戻ると日は完全に落ちて夕闇が迫ってきます。ふと海岸を見ると、利尻島の上に綺麗なまだら模様の茜がさしております。


(もう少し北寄り=稚内寄りから撮れば、もっとダイナミックな画像が…後の祭りでした)

自宅に着いたのは深夜0時頃でした。このH16.7.3-4の画像は、CANON EOS55、EOS7で、ネガ及びポジフィルムで撮影しております。



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釧路・根室を撮る

2011-03-23 06:00:00 | 写真
十勝・帯広からさらに東に進んで、今回は釧路・根室管内の写真を紹介いたします。実は、平成9年4月から12年3月までの3年間、某政府系金融機関の釧路支店に勤務しておりました。家族を小樽に残して二度目の単身赴任でしたので、土日祭日にはカメラ機材を車に積み込んで、管内(釧路支庁と根室支庁)を毎週のように写真を撮り歩いておりました。

もし、私の在任中に北方4島が日本に戻れば、当然釧路支店の管轄となるので、写真が撮れたかも知れないのに、と残念でなりません。一向に進まない領土交渉を後押しするかのように、根室市内から、納沙布岬に行く途中には、あちこちに「返せ北方領土」「北方4島は日本固有の領土」などと言う看板がいたるところに見られます。


(地元民をはじめ多くの方が、一刻も早く日本に戻ってくることを待ちわびております)


(水平線の左端3.7km先に、かすかに貝殻島の灯台が見える 旧日本軍が設置した灯台で、この中間が暫定国境)


(羅臼港の目と鼻の先に国後島がある)

目の前に北方領土があって、どうにも出来ないもどかしさを、地元民でなくても感じます。北方4島が一刻も早く日本に復帰することを願うばかりです。さて羅臼から根室方面に下ってくると、途中に砂洲でできた野付半島があります。所々に浜茄子が群生していたり、ならの枯れ木が群生している「ナラワラ」があります。


(この日は地表付近にモヤがかかっていた)

さらに野付の先端へと道道950号線を進むと、お土産品店と駐車場があります。ここに車を置くと、そこから先は1kmほどまで観光馬車で進みます。道道950号線の先は進入禁止の看板があって、その奥に建物が数件ありますが、話によれば自衛隊の航空監視塔だとか、真偽の程はわかりません。馬車の終点からさらに遊歩道を進むと、「トドワラ」が出現します。


(トドマツの残骸がアチコチに… 異様な雰囲気がします)

さて、ここで一旦野付半島の付け根近くの標津町に戻り、国道272号線を中標津町方面に戻ります。このあたり中標津・別海は酪農業が盛んで、人間の数よりも牛の数のほうが多いといわれています。そして道路わきには下のような標識が見られました。


(国道を走っていると、よくアイスクリームやさんを見かけます 濃くてとても美味しいですよ)

さらに進んで釧路市内に入ります。釧路と言えば、すぐに思い浮かぶのが霧と幣舞橋です。霧は海流の関係から、海側から内陸に押し寄せてきます。一旦霧が出ると真夏でも、寒くて半袖では外に出れません。6-8月に最も多く発生します。釧路では、真夏の7月の平均気温が6月よりも低いと言う、珍しい地域なんです。冷涼な気候のために、米をはじめ農作物が殆ど取れません。


(幣舞橋から撮影 7月は平均20日間霧がでる)


(久摺橋から観る幣舞橋沖に落ちる夕景は絶景)


(幣舞橋の夕景)

釧路で忘れてはならないのがもう一つ、湿原があります。釧路湿原についてはこのブログでも何度か取り上げておりますので、次の二つの画像を上げておきます。


(釧路市北斗にある湿原展望台付近から撮影)


(浜中町琵琶背展望台から見る琵琶瀬湿原=霧多布湿原)

なお、最初にお断りしたとおり、これらの画像はすべて、釧路支店在任中(H9.4~12.3)のものです。OLYMPUS OM-4+ズイコー35-70mm、KONICA Bigmini35-70 Pogi&Negaフィルムによる。
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十勝・帯広を撮る

2011-03-19 06:00:00 | 写真
今年の冬は道東撮影旅行が出来ませんでしたが、その前の年をはじめ何度か撮影旅行に行っております。十勝・帯広については、行き返りのついでに、撮影と言う程度でした。実は撮影スポットが、このエリアにはたくさんあります。過日も、写友のY氏が、ブログ「yotutiの写真日記」の中で、襟裳・帯広小旅行と題して、帯広の写真をアップしております。

そこで、十勝・帯広の写真を探して見ると、結構ありました。と言うことで、Yのブログに刺激を受け、今回十勝・帯広に関する写真をアップして見ました。先ずは帯広と言えば、全国唯一公営の「ばんえい競馬」があります。周辺には家畜改良センター十勝牧場やナイタイ牧場、愛国・幸福駅など色んな撮影スポットがあります。


(かつては道内各地で行われていた輓馬競争は、ここ帯広だけが公営競馬として残っている)


(体重1トン近い馬が競う姿は圧巻)


(パドック付近 閑散としており売り上げ減に歯止めがかからない 道議会では毎年廃止の議論が…)

輓馬競争と同じ重種馬ながら、こちらは近郊の音更町にある家畜改良センター十勝牧場で飼育されている大型馬です。ペルシュロン、ブルトンといった1トン近い純血馬を飼育しています。冬季間は馬の運動不足やストレス解消のために、一周800mほどのコースを、2-3週走らせております。大型場が雪を蹴散らして走る様は、絵になります。


(20-30頭づつ数組に分かれ、追い運動がされる)


(この日は金曜日で、馬もだらけきっていた 写真撮るなら月曜日がいいと、馬も休み明けで走る気満々とか…)

かつて日本全国テーマパークが華やかしき折に作られたのが、「グリュック王国」です。中世ドイツの街並みを模して、平成元年に開園しました。当初は物珍しさもあって、100万人の入場者数を数えましたが、バブルの崩壊と同時に入場者数が激減、平成15年には休園、その後閉園となりました。


(青い車は、東ドイツ製の大衆車トラバント 戦時中は材料不足でボデーの一部がベニア板だったとか…)


(H10年8月12日撮影 円卓を囲んでいるのはドイツ人楽器演奏者)


(あなたはカエルの王様なの?とでも訊ねているのでしょうか)

「彩凛詩(サイリンカ)と言うイベントをご存知でしょうか?帯広郊外の音更町の冬のイベントです。音楽に合わせて、イルミネーションがさまざまに輝く「音と光のファンタジックショー」と言えば想像がつくでしょうか。詳細は音更町十勝川温泉観光協会のサイト「彩凛詩」を見てください。


(音楽に合わせて、光や色が様々に変わる)


(スローシャッターでカメラを横に振ってみたら…)

最後に次の3枚の画像を上げておきます。1枚目は、ご存知タレント田中義剛氏の花畑牧場の一角で撮ったものです。花畑牧場は、平成4年創業で、撮影時の平成10年には話題にはなっておりましたがまだまだ規模が小さいものでした。その後生キャラメルのヒットで知名度が上がり、急速に規模が拡大していきました。


(平成10年8月撮影 帯広から車で50分ほどの中札内村にある花畑牧場の売店の近く 緑の木と白い椅子に惹かれました)


(ナイタイ牧場 夏季近郊の牛がこの牧場で育成される)


(幸福駅にて 今はJR廃線となって旧駅舎だけが残っている たまたま近くにいた娘さんにモデルになってもらった)



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札幌駅前地下歩行空間が開通

2011-03-15 06:00:00 | 写真
先ずは、3月11日に発生した東日本大震災で被害に合われた方々に、心よりお見舞い、お悔やみ申し上げます。一日も早い復興を祈念し、少しで自分なりに出来る支援をしたいと思っております。

さて、3月12日(土曜)、平成18年10月から開始されていた工事が終わり、やっと駅前地下街と大通り地下街が一つに繋がりました。これで、雨の日も雪の日も、札幌駅から、大通り、さらにその先のススキノまで、雨に濡れずに行く事が出来るようになりました。そこで、別件の用事も兼ねて、早速12日に行ってみてきました。


(H23.3.12付け北海道新聞朝刊より)

先ず札幌駅に降りると、南口駅コンコースでモザイクアート展が行われていて、一面黄色い旗が見えました。小学生の絵でしょうか、壮観です。また、アニメの物語でしょうか、「フランダースの犬、赤毛のアン、母を訪ねて三千里」等のブースがあり、関連の絵などが展示されていました。


(モザイクアートのポスターに見入る女の子達)


(ルーベンスの絵に見入るネロとパトラッシュ)

さて余談はさておき、地下に降りると、先ず地下鉄の改札口があります。このあたりは既存の地下街で、北3条の旧富士銀行(現みずほ銀行)あたりにまで繋がっておりました。


(地下鉄さっぽろ駅南口付近の様子 ここから先大通り方面が新しく開通した地下歩行空間)


(開通日当日で大勢の人で賑わう)


(所々天窓から日が差し込むようになっている)


(地下街の両サイドには地上のビル街と直結し、飲食店のテラスも見られる 左側が地下通路)


(北2条の敷島ビルの地下テラス)


(主要な地上出口には番号がふられ、付近の案内図も掲示されている)


(オープンスペースで休息する人 休息できるスペースが多々あります)


(ここ大通り地下街・左のオーロラタウンへの入り口までが新しく開通したところ この先はポールタウンを通ってススキノまでいける)

なお資料によると、地下通路は高さ約3m、幅約20mとなっています。中央部分の12mが道路交通法による「地下通路」です。そして両側の各4mは、憩いの場となる広場で、ワゴン販売や文化芸術作品の展示、一部宣伝広告が可能となっているそうです。一部にはさらに広いイベント用のスペースもあります。今後が、とても楽しみな地下歩行空間になりました。



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小樽雪解けの街

2011-03-10 06:00:00 | 写真
3月も中旬に入ろうとしているのに、ここ数日毎日のように雪が降っております。道路の道端にはまだ1-2mの雪が積み重なっています。このところ寒いこともあって、外出の機会が少なく、ブログのネタも枯れかかってきました。

そこであと1-2週間もすれば急速に解けていくであろう、小樽の街の雪解け風景を過去の写真から紹介したいと思います。


(雪解け道を行く「小樽ロマン号」 舗道のないところは、歩行者も歩きにくく大変 時々心無いドライバーにドロ飛沫をかけられることも)


(公共のメルヘン広場で雪割をする「ルタオ」の店員さん)

さすが観光街で営業する企業、ルタオの店員さんは公共施設での清掃に常に気をつかっている。同様に人力車(えびす屋)のお兄ちゃん方も早朝箒と塵取で街中を清掃しています。経営者の従業員教育が行き届いていることが伺えます。

春が近くなると雪割をする光景はどこでも見られます。一刻も早く雪が解けて春の草花が顔を出すのを待ち焦がれているからです。こうした春を待ち焦がれる心情は雪国ならのものなんでしょうか。


(雨だれが跳ね返らないようにバケツで受け止め、舗道の雪は早く解けるように日当たりのいいところへ捨てる)


(雪だるまも段々と解けていく)

3月下旬水芭蕉で有名な小樽苗穂公園に行ってみると「秋の忘れ物」が見られます。雪の中に埋もれても朽ちなかったアジサイや、枯れたオオウバユリの実などがところどころに顔を出しています。


(アジサイのドライフラワー 道端のアチコチに落ちています)


(オオウバユリに似ていますが…、秋口に風などで種を飛ばし、雪が積もっても翌春まで立ち枯れのまま過ごします)


(雪が解けた空き地に一番初めに顔を出すのが蕗のとう 北海道では食べる風習がない)


(氷りに包まれた木の芽)

3月と言えば忘れてはならないのが受験・卒業式のシーズン。小樽水天宮で見かけた3人組。水天宮は安産の神様、彼ら天神様と間違え合格祈願に来たのかな?おっと、水天宮を通り越して併設されたお稲荷さんへ向かう彼ら、合格御礼に来たのかもしれないな~。お面が笑わせる。




(お賽銭をはずむんだよ!)

最後の画像は、毎年この時期になると観られる、日和山灯台付近の残雪まだら模様。三色フィルターで、打ち寄せる波を色分解してみました。



<注>今回ブログに載せた画像は、今年のものではありません。すべて数年前のものです。
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中古カメラの試し撮り

2011-03-06 06:00:00 | カメラ
2011年1月25日付ブログ「中古カメラが5台やってきた」で紹介したミノルタSR-7(昭和37年製)とミノルタ35Model2型(昭和24年生)について、ネガフィルムによる試し撮りが終わりましたので紹介いたします。カメラやレンズの話が中心になって、多少分かりにくい点があるかもしれませんが、ご了解ください。


(左が「Minolta35Model2型」(以下M35-2と略)、右が「MinoltaSR-7」(MSR-7と略))

(1) 絞り開放の写りの比較(M35-2=F2.8 MSR-7=F1.4)

下の2枚の画像は「M35-2」F2.8で撮影したものです。撮影場所は北一ガラスのランプホールです。フィルムは「FUJI SUPERIA PREMIUM 400(MSR-7も同じフィルム)」です。手持ち撮影のためぶれない程度の最小シャッタースピード1/35で切っております。





「M35-2」の最短撮影距離は3.3ft(約1m)です。下の画像の中のPEN E-P1はレンズから70-80cmのところにありましたので、アウトオブフォーカスとなりました。上の画像のランプは1.2m程離れています。ランプのホヤがしっかりと写ってはおりますが、バックの豆電球のボケが小さくなっています。次の「MSR-7」の開放(F1.4)画像を見てください。





上段は1.2m先のランプのホヤに、下段は60cmほど先のコーヒーカップにピントを当てております。しっかりした像を結んでおり、バックの豆電球のボケがとてもきれいに出ました。終戦直後に生産されたカメラと、高度成長期に入りかけたときとのカメラとの差ともいえます。

(2) 絞りF8の写りの比較

次の2枚の画像は「M35-2」で、F8,1/500+PLフィルター(最高速度が1/500、減光のため使用)で撮影しております。画像の左側に露光不足が見られます。なお、このカメラのフィルムサイズは、以前にも触れましたが24mm×34mmです。現行のライカ判に比べ横幅が2m狭くなっております。昭和22年に生産された時は、24mm×32mm(パーフォレーション7穴)でした。主要輸出国がアメリカであったために、アメリカ基準(24×36mm、パーフォーレーション8穴)に合うように占領軍に指示されました。

ところが、ボディの設計上2mmまでしか広げることしか出来ず(パーフォレーションは8穴に変更)34mmとなった経緯があります。フィルムサイズを無理して広げたことも一因かもしれません。なお占領軍による同じ指示はニコンも受けており、昭和24年のニコンM型では24mm×34mmとなっています(それ以前のニコン1型機は、24mm×32mmであった)。


(2月20日撮影 Minolta35Model2 F8 1/500+PL 運河付近の香港人 雪が珍しいらしい)


(同日撮影 カメラ同じ F8 1/500 フィルターなし 露光不足が気にならない)


(同日撮影 カメラ同じ F8 1/35 フィルターなし 運河ターミナルにてミラー利用)

次に「MSR-7」にて撮影した画像を見ます。このカメラを操作していて、距離計の不調に気が付きました。ほぼ5m以内であればピントが合うのですが、ファインダー越しには無限縁が距離リングの5m付近になり、それ以上リングを遠距離に回すとボケてしまうのです。下段の画像はリングを無限遠に合わせたものです。近くの被写体がボケすぎです。


(2月3日撮影 MinoltaSR-7 F8 1/1000+PL 堺町通り距離3-4m 雪割り作業中)


(2月6日撮影 カメラ同じ F8 1/500+PL 不思議な画像になってしまった 距離リングに欠陥あり)

(3) その他の比較など
MinoltaSR-7の距離計には5m以上に問題のあることが分かりました。ただF1.4の絞り開放による近距離撮影には抜群の威力を発揮するようです。使い道はありそうな気がします。

他方Minolta35Model2のほうは、撮影後のフィルムの巻き戻しが、これまた大変な作業でした。巻き戻しノブが小さい上に、ファインダーの窓枠がノブの半分近く覆っているために、摘んでまわす事が、至難の業でした。結局ダークボックスに入れて、裏豚を開け、何とか撮影済みのフィルムを取り出しました。これでは、二度と使う気が起こりませんね。

一度デジタルと言う便利なカメラに慣れてしまうと、フィルムカメラへの回帰、それもクラシックカメラへの回帰は私には無理なようです。
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おたる雛めぐり

2011-03-02 06:00:00 | 祭り・イベント
今小樽では「おたる雛めぐり」なるイベント(3月6日まで)が開かれています。小樽市内の主だった店舗・施設で、歴史ある旧家に伝わったお雛様や或いはガラス工芸による新作のお雛様を展示しております。その店舗・施設は50箇所に及びます。各店頭に「おたる雛めぐり」のポスターが貼られております。

そのうちの数箇所を巡ってきましたので以下にご紹介いたします。なお店舗名の後のNo.は雛めぐりパンフレットによる順番になっております。

(1) 北一ガラスランプホールNo.23


ランプホールに、以前ブログで紹介したフィルムカメラ「Minlta35Model2型」の試写に行った折に、この雛めぐりが開催されていることを知ったのです。薄暗いホールの中で、ひな壇がライトアップされているために、ライトに近い部分が白飛びしてしまいました。

(2) 小樽運河プラザNo.13


個人の方から、長年大事に使われてきたお雛様を起草して頂いたそうです。二組のひな壇がありました。

(3) 運河工芸館No.10


このお雛様は、1995年に公開された中山美穂主演の映画「LOVE LETTER」で実際に撮影に使われたひな壇だそうです。私は映画を見ておりませんので知りませんでした。店員さんの説明によると、舞台はここ運河工芸館のガラス工房で、ここのガラス職人との恋物語ということです。



小樽市内各所でロケが行われたと言うことですので、近日中に「LOVE LETTER」のDVDをレンタルして観るつもりでおります。(3月1日DVD観ました。始まりから10分ほどで、ひな壇に飾るシーンが出てきました。)

(4) 小樽文学館No.5


見るからに古めかしい作りです。お雛様の冠を見ると色々飾りが付いており重厚な感じがます。現代のお雛様の冠はもっとシンプルです。なんと江戸末期の作品であるとの添え書きがありました。よくも今まで保管されていたものだと感心します。

(5) 大正硝子館ギャラリー蔵No.26


入り口を一歩踏み込むとガラスのお雛様達が出迎えてくれます。奥のギャラリーには小樽市内で工房を構える作家達の作品が作家の顔写真と共に展示・販売されております。時節柄お雛様を扱った作品が多く取り揃えられております。メインは、7段飾りのガラス人形によるひな飾りです。



(6) JR南小樽駅No.47


改札口からホームに至る途中のコンクリートの階段を利用して飾られております。個人の方が長年利用してきた雛飾りを寄贈されたそうです。当初はコンクリートむき出しの上に緋毛氈が敷かれておりました。一部乗客から、むき出しのコンクリートの上では可哀想と言うアドバイスがあったのでしょうか。その後下の画像の通り、木製の台座が設けられました。これでお尻が冷えずに済みますね。



(7) 田中酒造亀甲蔵No.38


1Fにもひな壇が飾られておりますが、なんと言っても圧巻は2Fのギャラリーです。ギャラり-の両面に約40組近いのひな壇、雛飾りセットが並べられております。中には和紙で作られたセットや木目込み人形によるセットもあります。

この時小1の孫娘をモデルにと思い同伴しました。2Fギャラリーで琴の合奏準備をしていた方の中に、孫娘の保育園当時の先生おられ、急遽時間外ながら孫娘のためにと、ポニョを合奏してくれたのです。聴衆は孫娘一人です。



<画像の追加>
ひな祭りの写真というと忘れられないのが下の画像です。H10年道新小樽支社の文化講座「写真教室」に通っていたころ、講師の先生に勧められ、初めて写真コンテスト「小樽市展」に、この写真を応募しました。なんと初応募で、いきなり最高賞の小樽市展賞を頂いたのが、この写真でした。家内からは、「娘(当時小5)とネコのお陰、腕ではありません」と言われました。


(H8年2月撮影 OLYMPUS OM-4+ZUIKO35-70mm FujiPROVIA100 ストロボ同調)
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