紅露の写真日誌…北の大地・夢空間

小樽・札幌の風景、イベントが中心

暑い夏を吹っ飛ばせ~運河にサウンドエナジー

2012-08-28 06:00:00 | 祭り・イベント
今年の夏も、運河周辺に大音響の響く季節がやってきました。去年までは、小樽運河浅草橋で、オールデイズナイトとジャズフェスティバルの二つでしたが、今年は北運河でもサウンドエナジーが行われました。7月の20日(金曜)~22日(日曜)に小樽運河浅草橋で行われたのが、「'12おたる☆浅草橋オールディーズナイト(Oldies Night)」です。このイベントは平成16年から続いていて、時によってOldies Night Bandとか呼称は変わりましたが、60-70年代のロックやポップスを中心にコピーバンドによる演奏です。

一方8月10日(金曜)~12日(日曜)に、同じ浅草橋を舞台に行われたのが「北海道ジャズ2012in小樽浅草橋ステージ」です。こちらも例年お盆を前に行われ10数年の歴史を持っています。以前は、浅草橋JAZZ FESTAとかSUMMER FESTAとか呼ばれていましたが、近年は「北海道ジャズin小樽」として定着しております。道内で地道に活動するアーティストによる地元ファンのためのイベントです。

さてもう一つ今年試験的に実施されたのが、「北運河サウンドエナジー」です。浅草橋オールディーズナイトと同じ企画会社のプロデュースですが、北運河にも活性化を図るということで、今年試験的に実施されました。演目は浅草橋オールディズと同様にロックやポップスが中心です。もし成功すれば来年以降も続けられるということです。


(1)'12おたる☆浅草橋オールディーズナイト(Oldies Night) 7月20日(金曜)~22日(日曜)

20日(金曜)と21日(土曜)の2回撮影に行ってきました。20日は午後7時半ころに着いた時には4組目のバンドの演奏中でした。翌日は午後4時ころ薄暮の中での撮影です。


(企画会社のホームページから抜粋させていただきました)


(初日4組目のバンド「RAD MACK」(Rock&Roll)が始まっていました)


(6組目のバンド「ゴリラハンマー」(Hard Rock)観客席のお客が舞台際まで集まって踊りだしたり拍手をしたり…)


(ギターを頭上にかざし演奏するパフォーマンスにやんやの喝采が…)


(二日目11組目のバンド「CRY BABY BOOGIE R&R」(ロカビリー)が薄暮の中で演奏)


(たまらず踊りだしちゃった観客)


(12組目のバンド「ノースサイド ソウル」(シカゴブルース)運河をバックに歌う)


(2) 北海道ジャズ2012 in 小樽浅草橋ステージ 8月10日(金曜)~12日(日曜)

ジャズファンにとってこの3日間は、無料で楽しめるという絶好の機会でした。あいにくジャズに知識の少ない私ですが、ライブを聞いて聞き覚えのある曲が演奏されると、ついつい体が動いてしまいます。8日(金曜)の初日の夕方から3組のバンド演奏を聴きました。


(小樽商大ジャズメッセンジャーの演奏中 平日なので満席という訳ではないようです)


(夕焼けの中での演奏 絵になります)


(大江健人の弾き語り 自作のフィルター使用)


(平日の午後7時半、運河が暮色に染まる)


(偶然通りかかった外人グループもしばし聞き込んでいた)


(本日最後の組、エスミ・ウィズハーバンド 午後9時近くになると満席に近くなってきました あれ、ハーバンドと言いながら彼女がいない…)


(午後9時過ぎて帰ろうとしていたら、女性ボーカリストが出てきました)


(3) 北運河サウンドエナジー 8月11日(土曜)~12日(日曜)

小樽運河浅草橋(南運河)から約1㎞ほど手宮よりの北運河公園が会場です。ここは小樽運河の北の端で、歴史的建造物「旧日本郵船小樽支店」があります。明治39年の建造で、同年11月にはポーツマス条約に基づく日露樺太国境画定会議がここで行われました。話がずれましたが、ここの公園で試験的に行われたのが今回のサウンドエナジーです。先に挙げた(1)の浅草橋オールディズナイトの北運河版です。ただ浅草橋と違いスペースが広いので、イベントに合わせて、手作りクラフト品店や飲食店の出店もありました。またステージから離れた一角では、風船アートやマジシャンなどのパフォーマーも出ておりました。11日の土曜日に家族で見に行ってきました。


(ステージ前に置かれたパンフレット 出場メンバーが書かれている)


(旧日本郵船前では傘と球を使ったパフォーマンスが行われていました)


(手作り品店や飲食店も立ち並ぶ)


(コンデジによるパノラマ撮影、約270度 中央左寄りが旧日本郵船、右手紫の服の人物前がステージ)


(ステージでは「ワイプアウト」による60年代、70年代の曲が演奏されている)


(聞き馴染んだ曲にたまらず体が反応してしまう)


(次のバンドは女性ボーカリストを従えた「NCR」というバンド 昭和歌謡曲や70年代ロック披露)


(聞き覚えのある曲が次から次へと謳われる 暑い日差しの中演奏者も汗だく)


トイデジタルカメラを試してみる

2012-08-24 06:00:00 | カメラ
以前FacebookやTwitterで投票を依頼したことがあった、「雑貨のある風景写真コンテスト」で3位に入った賞品が届きました。賞品はFUUVI社製のトイデジカメ「MEGANE CAMERA」です。下記の写真の通り、一見メガネ風のカメラで、マイクロSDを使い、200万画素のデジカメです。製品仕様が取扱説明書に記載がありませんので、撮影した画像のExif(撮影情報)から見ると、ISO100、F値3.2(固定)、焦点距離は不明です。最短撮影距離は約30cmのようです。シャッタースピードは小刻みに変化し、2000分の1くらいまで上がります。ただ、撮影日時が、2008.01.01のままで変化しないのは、ご愛嬌でしょうか。


(カメラの色は赤、黒、青と3色あり、青を頂きました 電源はUBS経由で2時間ほど充電 フル充電の表示がなく、あくまでも大雑把)

カメラの左端に赤いマークが点灯すると(スィッチオン)、撮影OK。実際に撮影してみるとシャッターを押した回数よりも、PCに取り込んだ画像の方が少ないような気がします。スィッチオンして最初の画像は撮影できていないのかもしれません。1回目を撮影した後に撮影OKの赤ランプがつくので、多分1枚目は空なのでしょう。さて撮影画像を見てみましょう。


(7月28日潮祭りの屋台できゅうりの1本付けを食べる小5の孫と、ブタ串をほおばる小3の孫)


(ブタ串+かき氷でまだ足りないという孫)


(孫がメガネカメラを貸してと言って撮った画像 派手にフレアーが…)

ここまでは、画像を見る限り、多少発色が鮮やかさに欠ける程度であり、また暗部の閉まり具合がやや不足気味かなと思われる程度です。トイカメラには普通のことです。却ってそういう欠点があるからこそトイカメラと言えるのだと思います。次は、メルヘン交差点から堺町、運河方面に行ってみました。


(六花亭、北菓楼といった有名なお菓子屋さんが並んでいます カメラの水平が傾くと、画像にひずみが…)


(カメラを縦位置にして撮るとなんと、奇妙なひずみが出てきました トイカメラの真骨頂か?)


(再び水平を保つと、極めてノーマルな画像が得られます)


(カメラを再び傾けると… おお、素晴らしいひずみが…)


(ほんの少し傾いただけでかなりのゆがみが…)


(北運河公園広場では、「北運河サウンドエナジー」(次回のブログで取り上げる予定)が行われていました)


(北運河の北海製缶の建物 壁に水面のきらめきが映り込んでいます やや露出オーバー気味)

北運河の北海製缶のこの建物を数カット方向を変えて撮影しましたが、シャッタースピードが、1/1375 1/1780 1/2017 1/1891と言うデーターでした。下一桁に7とか1とかの端数が…う~ん、正確性に疑問が残る所です。まぁ、そこがトイカメラの所以…と言うことにしておきましょう。なお、堺町通りの画像から推察できるように、どうやらこのカメラは構えずに、手にぶら下げて気ままにシャッターを切った方が面白い、トイカメラの本領が発揮されるようです。なお焦点距離は取扱説明書に記載がありませんが、35mm換算で40-50mm程度かと思われます。このことを念頭に置けば意外な傑作が得られるかも…

さて今少し画像をアップしておきます。8月19日(日曜)に倶知安町の尻別川のラフティングや共和町のかかし祭りを見てきましたので、その時の画像もあげておきます。


(空飛ぶニワトリ)


(尻別川のラフティング さすが焦点距離が短すぎる)


(かかし祭りグランプリ作品を撮影する女性カメラマン)


(準グランプリ作品に見入る人々 案山子の顔が妙にリアル!)


小樽能楽堂でひょっとこ踊りを見る

2012-08-20 06:00:00 | 日記
過日Twitterで小樽観光協会のTweetを見ておりましたら、小樽能楽堂で「宝来ひょっとこ踊りの発表会」がある旨の記事がありました。毎年8月の上旬に発表会があるようです。ひょっとこ踊りは、流派が違うかもしれませんが、9月の初旬にパフォーマーの祭典でもある「サッポロ大ドンデン」でも何度か見かけています。そのユーモラスな所作を見ていると、つい、つい大笑いさせられてしまいます。そこで写友のY氏を誘って撮影に行ってきました。

ひょっとこは、口をすぼめて曲げたような表情の男性、あるいはその面のことを言います。語源はいろいろあるようですが、竹筒で竃の火を吹く所から来ているそうです。手拭いで頬被りをしている事が多く、女性の「おかめ」「おたふく」と対に扱われることもあります。ひょっとこは古来の田楽などで道化役としてしばしば登場します。面をつけ滑稽な踊りをすることは現代の各地の祭りでも見ることができます(ウィキペディアから)。今回の発表会でも、踊りの基本的な所作の解説がありました。いわゆる蟹股で、曲に合わせて腰を前後左右に振ります。また女性役のおかめについても解説がありました。目が小さく=人の欠点は見ない、鼻は低く=自慢しない、頬は大きく=心豊かに等々。午後1時過ぎに能楽堂に着いた時には開演直後でした。


(まずはおかめとひょっとこの掛け合い)


(腰を前後に振って…)


(おかめ、ひょっとこ意気投合)

数曲終わったところで、友情出演の太極拳の演舞がありました。太極拳にもいろいろ流派があるらしく、剣を構えた演舞や、扇子を構えた演舞なども披露されました。


(体の動きはゆったりしていますが、扇子の動きは素早い)


(能楽堂の2Fにも観客席があり、ホームの老人が見学していました)


(1Fの観客席には5-60席に空きがないほどの観客)


(中国の街角でよく見かける太極拳)

数組の太極拳や笹笛の演舞が終わると、氷川きよしの「ずんどこ節」に合わせて、ひょっと、こおかめたちが観客席に躍り込んできました。観客を巻き込んで踊りだします。


(突然観客席にひょっとこたちが現れ、驚く観客)


(知り合いを見つけたらしく話込むシーンも…)

最後の演目は一人二役を演じる舞で、この宝来ひょっとこ踊り保存会独自の演目だそうです。まずはひょっとこが踊りだします。見ている限りは…はてどうやって二役を演じるのかなと疑問に思っていました。突然背中を見せるとなんと、顔にはおかめの面が、手や体を上手に使って踊りだしました。つま先や指先を見ない限り、背中踊りだとはわかりません。


(まずは正面のひょっとこ踊りで…)


(曲の途中でくるりと背中を見せるとおかめが踊りだします…)


(最後は全員でご挨拶)

とにかく観客全員がひょっとこたちのコミカルな演技に大笑いの1時間半でした。屋外では小雨がぱらついていましたが、そんな空気を吹き飛ばす演技に観客席からも、やんやの拍手、喝采が沸き起こりました。

今週の一枚~帆船「日本丸」が出港

2012-08-17 06:00:00 | 今週の一枚
小樽市市制90周年を祝して、帆船「日本丸」が、記念行事の一環として8月13日から14番埠頭に寄港していました。小樽への寄港は5度目で、13年ぶりとのことです。前回の寄港時、平成11年8月1日に乗船見学をして、船内外の写真を撮影しております。やたらとロープが多く、あちこちに張り巡らされ、あまり絵にならなかった記憶があります。

さて、その「日本丸」が、16日本州に向けて小樽を出港しました。寄港中は船内見学会が実施され、また日没から午後10時まではイルミネーションが点灯されていました。新聞等によると、16日の出港時午後2時から「登檣礼(とうしょうれい)」が行われるとありました。乗船中の実習生がマストに登って返礼する儀式です。と言うことで早速カメラを担いで行ってきました。ソーラス条約によって埠頭内に入れないものと思い、ワイドレンズを持参しませんでした。ところがこの日に限っては例外的に入れたのです。ワイドレンズがあれば…後の祭り。気を取り直して撮影です。小雨降る中1000人近い見送り人が来ておりました。


(まずは遠方から全体像を)


(午後2時の出港時には、号令とともに実習生がマストに登り、帽子を撮って返礼、見送り人から拍手が沸き起こる)


(タグボートに引かれ港内を進む 隣の埠頭にも見送り人、見学人が大勢押し寄せていました)

ちなみに、この帆船「日本丸」は、2代目で1984年建造です。初代の日本丸は横浜のみなとみらい港にメモリアルとして展示されています。いずれも海員学校実習生の練習船です。帆船「日本丸の」の諸元は次の通りです(ウィキペディアによる)。

全長:110m 全幅:13.8m 総トン数:2570トン 中央マストの高さ:海面から約50m
今回の乗組員数 実習生:104名 乗員:56名 計160名 最大搭載人員数:190名


(出港前日の夜に撮影した画像)

なお、参考までに前回の寄港時に撮影した画像も上げておきます。撮影日H11年8月1日 カメラOLYMPUS OM-4+コシナ19-35mm




小樽最大の夏祭り~小樽潮祭りを撮る

2012-08-13 06:00:00 | 祭り・イベント
7月27日(金曜)~29日(日曜)の3日間、市内最大の夏祭りがありました。今回で46回目というから、昭和41年が第1回スタートの年で、私が学校を卒業して新社会人としてスタートした年に始まりました。なお近年は小樽ガラス市も、旧手宮船跡地で同時開催されております(今回で4回目)。その祭りの様子をご紹介したいと思います。初日27日最終日29日に行われた花火大会(道新納涼花火大会)、旧手宮船跡地で行われた小樽ガラス市、5600人の市民による28日の潮練り込みを中心に撮影しました。


(1) 道新納涼花火大会

北海道新聞社がスポンサーとなったためでしょうか、今年から北海道新聞社の冠名がついた花火大会になりました。花火大会は27日と29日の両日に行われました。数年前までは潮祭り最終日に花火大会が行われていました。ところが2年ほど続いて、悪条件が重なり、せっかくの尺玉が、靄の中に隠れて見えないことがありました。潮祭りの花火大会であり、順延するわけにもいかず、リスク分散から初日と最終日の2回に分割するようになったのと思われます。ともあれ撮影場所を思案しましたが、結局両日とも自宅の屋上テラスで撮ることにしました。


(打ち上げ場所は色内埠頭ですが、洋菓子店ルタオの塔がいいアクセントになりました)


(カメラのブレ防止スィッチオンのまま撮影したために、逆にぶれてしまった 三脚使用時はオフにするという基本を忘れてしまった)


(こちらはスィッチオフで撮影 ルタオの塔がくっきり)

今回撮影に使用した機材は、CANON EOS40D+TAMRON 18-270mmVCです。TAMRONの手振れ補正レンズを購入したのが、去年の11月のことで、それまでは、TAMRON 18-200mmXRDiという手振れ補正なしのレンズを5-6年間使っていたので、三脚使用時でも問題がありませんでした。手振れ補正付レンズを三脚で使用時は、補正解除という基本を忘れないようにします。


(2) 小樽ガラス市

潮祭りの一環として同時開催されるようになって、今年で4回目です。小樽駅中央通りから、南小樽寄りの日銀通りまでの約300mほどの旧JR手宮船跡地の遊歩道の両側に、37の工房のテントが並びました。ガラス以外に、ビールや焼き肉のテントが数か所、アマチュアミュージシャンのライブテントまであります。なお、地元小樽のガラス工房に加えて、札幌、旭川の工房、遠くは東京、横浜、愛知県からの出展工房まであります。小樽美術館のオープンスペースでは、ガラスの製作体験工房まであり、長い列ができておりました。


(日銀通りよりの入り口には、昨年同様風鈴のアーチがあって、行きかう人々が写真を撮ったり、眺めたり…)


(その風鈴を建物の日陰をバックに、センターフォーカスフィルターで撮ってみました)


(「カメラ女子」二人が盛んに風鈴を狙う 左の方は一眼レフを、右の方は今流行のミラーレス一眼OLYMPUS PEN E-Pを使っていました)


(大人はテントの中を覗き、子供は廃線で遊ぶ)


(アコーステックギターで…)


(テントの内側から…う~ん、真剣に聞いてくれる人は…)


(工房テントを覗いてみると… 各工房自慢のガラス器が並べられています)


(3) 潮練り込みと会場周辺

小樽潮祭りのメインイベントの一つが、28日(土曜)に行われる「潮練り込み」です。74梯団、約5600名による踊り子が、小樽市内の中心部花園町から、港の中央ステージまで、「潮音頭』と「潮踊り唄」に合わせて練り歩きます。午後1時に最初の梯団が出発して、最後の梯団がステージにたどり着くのは、午後9時です。うちの孫たちは、去年は最初で最後のチーム「夢量徳=H24.3廃校の量徳小の自動+父兄」で出場しましたが、今年は、花園町会+花園小の連合チーム(120人)で踊るようです。孫娘二人(今年度から花園小学校)は3時出発で、会場のステージ着が午後5時です。さすがに疲れた様子でした。


(小樽駅前の中央通りを海側に降りてくる)


(外国人の観光客も、踊りをバックにiPhoneで記念撮影中)


(梯団の途中で潮太鼓の保存会のメンバーが、太鼓の演武を披露)


(踊り終えた孫たちと屋台で一服 毛ガニをそのまま焼いて…毛ガニは茹でるのが一番と思っているが…)


(一番下の孫娘は、焼き肉+かき氷という組み合わせ、右端は真ん中の孫娘がきゅうりの一本漬を…変わった組み合わせだ)


(夜に入ってもまだ続きます 小樽美容協会・70名は73番目の梯団 今年の潮練り込みコンテストで優勝しました)


(最後の梯団74番目小樽青年会議所・50名)


(中央ステージ近くの道路脇では風鈴売りもおりました)


(4) YOSAKOIステージ

お祭りというとYOSAKOIソーランと言われるほど、今やYOSAKOIは市民に浸透してきました。10年ほど前までは、潮練り込みの一梯団に組み込まれ、YOSAKOIチームだけが潮音頭とは別にソーラン節で踊っておりました。その後潮練り込みから切り離され、中央会場のステージで演舞されるようになりました。今回もYOSAKKOIとダンスチームを含めて10チームほどが演舞しました。なかでも北海道大学の「縁」チームと小樽商科大学の「翔楽舞』は踊り子の数も多く、その演舞は迫力がありました。


(チアダンスチームによる演舞)


(北大「縁」チームによる演舞)


(舞台狭しと躍動)


(地元小樽商科大学の「翔楽舞」は、チーム全員が参加という大人数)


(こちらも躍動感あふれる演舞でした)

大道芸~ギリヤーク尼ヶ崎氏鎮魂の舞

2012-08-09 06:00:00 | 日記
毎年7月の中旬と下旬の2回、ギリヤーク尼ヶ崎氏の大道芸が小樽で行われます。今年も、7月14日(土曜)運河プラザ前、21日(土曜)都通りで2回の青空公演が行われました。なお、氏は今年で82歳、数年前には心臓にペースメーカーを入れ、さらにはヘルニアの持病を抱えながらの公演ということです。氏をご存じない方でも、昨年の5月に東北沖大震災で甚大な被害を受けた気仙沼市の、廃墟の中で祈りの踊りを披露し、新聞紙上やTV等で大きく撮りあげられましたので、記憶のある方も多いのではないでしょうか。

氏の小樽公演については毎年撮影しておりますが、ブログで取り上げたのは、2009.7.22付け「大道芸を見る」の1回きりでした。今回21日に都通りで行われた公園についてご紹介したいと思います。演目は、「じょがら一代」「よされ節」「念仏じょんがら」の三つでした。以前はさらに「白鳥の湖」等もありましたが、さすが高齢と病身で演目は減っています。


(1) じょんがら一代

バックに流れる楽曲には、初代・高橋竹山と白川軍八郎の「津軽あいや節」「津軽おはら節」「じょんから節」が使用されている。楽曲に合わせて三味線を振り回し、激しく踊るのが特徴の演目。


(演目の紹介)


(音に合わせ三味線を弾く)


(都度重なる演舞で三味線は破れている)


(三味線を放り投げ…)


(魂の叫び声が…)


(2) よされ節

ギリヤーク氏が観客(基本的に女性)とともに踊るコミカルな舞。使われている楽曲は津軽よされ節ではなく「黒石よされ節」


(バラの花を一輪咥え…)


(観客をも巻き込んでコミカルに踊る)


(2) 念仏じょんがら

この念仏じょんがらが、演目のクライマックスであり、彼の代表作でもある。最初黒衣を纏って祈りを捧げ、合間に大きな数珠を振り回し、「南無阿弥陀仏」の叫びを連発する。そして演舞の途中観客の輪を抜けて駆け出し、バケツやペットボトルの冷水を頭から浴びて転げ回る。最後は母の遺影を抱え、「南無阿弥陀仏…」「お母さん~」の呟きとともに風の音の中、途切れるように終焉する。この「念仏じょんがら」では踊りの最中に入れ歯を外すことによって、表情が次第に老人化してゆく演出が施されており、一番の見せどころともなっているが、彼はこの演技のために歯をすべて抜き、総入れ歯にしたという。(ウィキペディアから)なお、演目披露の際に、東北大震災による犠牲者にささげる舞である旨のお話がありました。


(最後の演目を披露)


(バケツで水をかぶり、さらにペットボトルの水を…)


(入れ歯を外して…)


(真柏の演技が続く)


(見る者を圧倒する演技)


(母の遺影を胸に抱えお母さん~と叫ぶ…)


(演技終了後、観客にお礼、おひねりが飛び交う)

なお、1930年函館で生まれたギリヤーク氏は、生まれた翌日に母を失っています。人間最後に戻るのは母の胸の中なのであろうか…

日本最北端の地を目指して~その3

2012-08-05 06:00:00 | 旅行
2日目の午後5時前に稚内市内に着き、そのままノシャップ岬に向かいました。日没までのまだ2時間半もあります。空には雲がほとんどなく、初夏の太陽が気持ちいいように降り注いでいます。ノシャップ岬のモニュメントのあ広場には次から次とレンタカーで観光客が来ます。鹿児島から来たと言うカップルに、シャッターを押してあげたついでに、モデルとなってもらいシルエットで数枚撮らせていただきました。


(まだ日が高く、写真としては今一つ物足りない…)


(この灯台は高さ42.7mあって、全国の灯台の中で2番目に高いという 海面に反射しているわけでなく、磨かれた御影石に映っているのです)

さて夕陽をどうとるか、利尻富士を入れるのは、位置的に幾分無理があります。また靄が強くてすっきりしていません。何か手前に入れる添景を探しますが、なかなか見つかりません。写友は防波堤を白灯台方面に歩いてゆきますが、どうも今一つらしく、車で海岸沿いを少し走ることにします。岬から10㎞ほどの抜海港まで足を延ばしますが、消波ブロックがあって夕陽の絵になりません。日没までまだ1時間半ほどありますが、まったく雲の無い夕陽は撮りにくいということで、撮影を切り上げてホテルへ戻ることにしました。


(道端で見かけた交通安全の「無事カエル」の人形たち)

3日目の朝も午前5時週発です。朝日は時折顔を出しますが分厚い雲が邪魔をしています。利尻島は全く見えません。海岸沿いの稚咲内を通って戻る予定にしますが、いくら走っても海に出ません。どうやらナビの入力をミスったようです。豊富にまで来てしまい、稚咲内沿いのサロベツ原野をとうに過ぎてしまったようで。天塩町の手前で海に出る道に進路を切り替えます。すでにサロベツ原野を過ぎたものの、道道106号線(通称日本海オロロンライン)の両側ともに、ハマナス、エゾカンゾウ、シシウド等の花が見渡す限り咲き誇っています。


(道路の両側ともにこのような状況)


(風力発電の風車がどこまでも続く)


(画面奥のジャンボつぼみは何かなと思っていたら、ひときわ大きなシシウドでした)

車はさらに南下して天塩町手前の天塩川にかかります。この川の河口付近で、夕焼けに浮かんだ利尻島が川面に映り込んだ写真がよく撮られています。しかしまだ午前7時半になっていません。街中を走ってみますが、犬の参歩をする人、ジョギングする人がちらほら見えるだけです。ここで車は、道道から国道232号線となります。海岸沿いに沿って南下し、遠別町の金浦原生花園に立ち寄ります。


(1周420mほどの小さな原生花園 エゾカンゾウ、ワタスゲなどが満開 野鳥も多いようで超望遠レンズを構えたカメラマンがおりました)


(白いひげがそよ風に吹かれ、ふわふわと…)

30分ほどで撮影を切り上げ、再び南下。羽幌町に入ります。羽幌町は、天売・焼尻等へのフェリーの発着所のある街です。「道の駅~ほっと・はぼろ」で一息つきます。ここの道の駅は、羽幌温泉・ホテルサンセットプラザ内にあり、バラ園も併設されています。早速バラ園で撮影です。バラの仲間であるハマナスも見られます。


(青空をバックに…)


(品種名を書いた札がありましたが…)

羽幌は、かつて炭鉱の町でもありました。滅多に来ることのない町。せっかくですから旧炭鉱施設を撮影するチャンです。道の駅で炭鉱関連の施設がないか確認しますが、何分古いこと、案内所の若い方は首をかしげるだけです。町内の博物館を紹介されましたが、開館時間前で、撮影をあきらめました。更に国道を南下、苫前町の小さな漁港で、防波堤に絵が描かれています。近寄ると、タグボートが、クレーン船を曳航している最中です。


(最近は防波堤に絵が描かれているのをときどき見かけます 後志の泊か神恵内の漁港にもあったような…)


(タグボートが港内で大きくターン)


(岸壁の作業小屋ではホタテ漁の網の補修中 お嬢さん!と声をかけると「何年ぶりだ、そう呼ばれるの…」と笑顔の返事)

苫前町の力昼(リキビル)漁港を後にして、午前11時ころ増毛町に到着です。この街には地酒「国稀」酒造があります。酒好きの写友が買っていきたいということで、工場見学です。大型観光バスもやってきました。


(シャケの干物が天井から下げられ、旧民家を改造したようです)

通路の壁には高倉健主演の映画「駅」の写真が張られています。映画のロケ地は、ここ増毛と陸の孤島と言われた雄冬でした。冬の増毛駅で、雪降る中離婚した妻(石田あゆみ)が、警察官の夫(高倉健)に敬礼しながら列車が遠ざかるシーンが思い出されます。


(見ていると、映画が思い出されます)

増毛町と次の浜益村の間には断崖絶壁の続く雄冬峠があります。かつては札幌側からの道路がなく、ここの集落の人々は、1日1便の増毛~雄冬のフェリー(漁船)に頼るしかなく、しかも冬の吹雪には欠航するという、「陸の孤島」でした。1981年にやっと浜益~増毛間に国道が開通しました。ここ雄冬には国道沿いに、白銀の滝があります。


(この辺りには柱状節理が多く見られます)


(滝をクローズアップすると…)


(コンデジでパノラマ撮影 画角180度 右端の撮影中の写友が見える 道路補修工事中で、下がって撮影ができない)

以上で3日目の撮影はすべて終了です。丁度お昼で、浜益村のドライブインで昼食を取り小樽に戻りました。午後2時の帰宅でした。

夜の小樽運河クルーズを楽しむ

2012-08-01 06:00:00 | 日記
7月の下旬に夜の小樽運河クルーズを楽しんできました。日中見る運河とは趣が異なります。一昨年から小樽運河をクルーズ船が運航していることは知っておりましたが、乗船するのは初めてです。しかもいきなりナイトクルーズ、40分間の夜の小樽運河を満喫してきました。運河クルーズ船は10月31日まで運行しております。乗船中は、ガイドによる運河の歴史や、周辺の倉庫や建築物の解説もあります。長年小樽に住んでいて、運河周辺の歴史については詳しい方だと思っておりましたが、今回の体験で新しい事実もいくつかわかりました。今回乗船中に撮影した写真と過去に撮影した写真とを合わせて、紹介したいと思います。


(浅草橋の観光案内所でチケットが売られています、デイクルーズは1200円、ナイトクルーズは1500円になります、所要時間40分)

今回乗船したのは午後8時出発の便です。この午後8時の便は7月と8月のみの運航です。船は定員20人乗りの小型船です。まず救命具の取扱説明があり、すぐ浅草橋を出発して中央橋に向かいます。日銀通りからまっすぐ降りた「浅草橋」と小樽駅から下がった「中央橋」をつなぐ運河散策路が、運河観光の中心です。なお、「中央橋」の由来は。現小樽駅が、かつては小樽中央駅と呼ばれていたためです。その当時の小樽駅は、現在の南小樽駅にあったのです。


(薄暮の小樽運河)


(船は浅草橋を出て、中央橋に向かいます 右側には倉庫を改造したレストランが、左手側には国道を挟んでホテルやお土産品店、レストランが立ち並びます)


(地ビールレストラン小樽倉庫No.1の前を通る ISO感度を上げてもシャッタースピードが遅く画面が流れる)

中央橋をくぐると前方に北海製缶の工場群がありますが、その手前の水路を通り、臨港線に架かる月見橋をくぐって小樽港にいったん出ます。案内によれば、小樽港は珍しく港内に漁業権がある港のことです。早朝漁をする漁船が見られますとのことでした。再び臨港線に架かる旭橋の下をくぐり北運河に入ります。なお、竜宮橋を境に札幌寄りの運河を南運河(通常南をつけずに単に運河という)、手宮よりを北運河と呼んでいます。


(北海製缶の工場前を進みます)


(北運河の突き当りでクルーズ船はターンします 青信号のところにある倉庫が大家倉庫、形が一風変わっています)


(北運河の手宮よりの北運河公園近くには「運河の歴史」を記した標識があります この画像は別の日に撮影しています)

標識にも書かれている通り、この小樽運河は、通常の掘削による運河ではなく、埋め立て方式による珍しい運河です。元々運河のふちは砂や石の海岸でしたが、これを土砂で埋め立てて、さらに40mほど沖に土砂を埋め立てて水路を作ったものなのです。大正12年にこの運河は作られましたが、その後の海運等発展により埠頭・岸壁が作られ、大型船が着岸出来るようになると、艀の需要が減少し、運河は邪魔ものになって行きます。昭和40年代から運河論争約10年以上も続くことになるのです。この辺の事情については2009.4.10付け当ブログ「ちょっとレトロな話~小樽運河今昔」を参照してください。

さてUターンしたクルーズ船は浅草橋方面へと戻ります。運河をまたぐ4つの橋の最も手宮よりの北浜橋をくぐります。この橋は不思議なことに、山の手側から入ると、海側に出ることができません。海側は北海製缶私有地で、工場の壁になっているからなんです。なぜここに橋が出来たのか不思議です。さて北浜橋をくぐると、海側(左側)は北海製缶の工場が二つ見えます。夜間は操業しておりませんので大きな煙突のある工場は、暗闇の中ですが、4階建ての階段の見える工場はライトアップされています。そして各フロアーには何やら黒い人影が見えます。


(普段はライトアップされていないはずが…)


(さらに近づくと、各フロアーに黒い人物らしき人影が…)

この黒い人影は、NPO法人小樽ワークスが仕掛けた「小樽アートプロジェクト2012」の一環なんだそうです。翌日会場近くでプロジェクトの責任者に聞いたところ、歴史的建造物を再認識し、小樽の魅力を広く発信する企画という事でした。なおこのプロジェクトの期間は、7月21日から29日までだそうです。さてここで日中の北海製缶の工場を見ておきます。


(撮影はH23年7月で、HDR加工してあります 大きな煙突がトレードマークです)


(3年ほど前の8月の夕方撮影した画像です この建物は、運河が完成した翌年の大正13年建築で、当時鉄筋は軍事物質で使えず、竹を組んでセメントで固めたそうです 大きな地震でも一向に崩れません)

さて再びクルーズ船に戻ります。竜宮橋をくぐると2F建ての大きな倉庫が目に入ってきます。小樽の歴史的建築物の一つ、大家倉庫です。石川県出身の海産商大家七平氏が建築した倉庫で、一見2Fのように見えますが、なかは吹き抜けになっていて2Fの窓も鉄板で閉鎖され開閉できません。建築には極めて高度な技術が必要とされました。なぜそのように資金のかかる面倒な倉庫を建てたのでしょうか、一説には同業者との見栄の張り合いとも言われています。


(カメラを船の側面に出して撮ってみました)


(小樽倉庫No.1前を通って浅草橋に戻ります)

浅草橋の向かいには、旧山下汽船が入っていたビル(旧通信電設浜ビル昭和10年建設)が見えます。現在は中華料理店「好・ハオ」となっていますが、このビルの3Fに石原裕次郎の父親が支店長として勤務しておりました。裕次郎は昭和12年3歳の時に来樽し、小樽市稲穂小学校に通い、昭和18年9歳の時に父の転勤とともに、神奈川県の逗子市に転居しました。そして、今年の4月25日にこのビルの隣に石原プロの「おもしろ撮影館」がオープンしたのです。

約40分間の小樽運河クルーズは以上で終わりですが、運河の歴史、周辺倉庫群の説明等もあって、とても有意義な時間が持てました。機会があればぜひ体験してみてください。なお、最後に旧小樽運河の写真を二枚載せておきます。10年続いた運河論争に決着がついて、昭和57年に埋め立て(南運河幅40mの半分)が開始される前の55年に私自身が中央橋から撮影したカットです。


(中央橋から北運河方面を望む 左手の3番目の大きな2F建て倉庫が大家倉庫)


(中央橋から南運河を望む 中央にある丘は水天宮、その手前に見える4F建てビルに山下汽船小樽支店が入居していた)