紅露の写真日誌…北の大地・夢空間

小樽・札幌の風景、イベントが中心

H24年1~3月のフォトコンテスト戦績

2012-03-29 06:00:00 | フォトコン関係
平成24年1~3月の入賞・入選数は、入選らしき1件を含めて計17件になりました。入選らしきというのは、自分では選外と思っていたのですが、「最終選考作品」賞らしいのです。詳しくは後程として、この17件はH23の14件、22年の14件と比べてもまずまずかと。なんせ、年初めの住吉神社のおみくじが「小吉」で、なかなか思い通りにはならない、道は遠いというものでしたから、当初の予想以上の健闘でしょうか。1月18日のブログで一部紹介しておりますので、ダブルかもしれませんが、月別にその一部をご紹介いたします。

(1)1月 7件入賞入選

『心つないでフォトコンテスト(第2回・3期)』 準グランプリ「ぬくもり」


<審査員講評>
素晴らしい構図です。色合い、光の使い方、背景のボケ具合も良いです。親猿の胸の中にいる子猿の安心した温もりが感じられます。
純粋な親子関係、子猿の性格まで表現されている作品です。
背景が猿の毛と同系色なのが少し気になります。北海道旭山動物園らしさが出ればもう1ランク上の作品になったでしょう。霊長類の良い写真に巡り会えました。 クリエイティブプロダクションウイル 代表 山本正博

『るるぶ4000号記念キャンペーンフォトコンテスト』 北海道エリア・年間グランプリ「美瑛の丘に流れる雲」


るるぶ編集長コメント
美瑛の丘の緑と空の青さもさることながら、抽象画のような雲の美しさに尽きます。お見事!

年間グランプリということで、賞品の方も相当期待していたのですが…。同作品がすでに、るるぶ夏アルバムで編集長賞(5万円の商品券)をいただいており、今回は賞品なしという事でした。う~ん、残念。

経済産業省『グリーンエネルギーフォトコンテスト』 コミュニティFM賞 「題名なし」


全国のイルミネーションの中でLEDなどの省エネ機材を使用した施設が撮影対象です。画像は、札幌大通公園で開催されたホワイトイルミネーションです。その中でも人気スポットの「流星と丹頂鶴」を撮影したものです。撮影スポットとは反対側から、撮ってみました。なお、センターフォーカスフィルターを使い、幻想的な雰囲気を出しました。

(2) 2月 5件入賞入選

『トンボの未来・北の里づくり写真コンテスト』 入選 「田植えのころ」


かなり古い写真です。滝川市江部乙町の菜の花を撮影に行った帰りに偶然国道沿いで見た光景をポジフィルで撮りました。

『HAKUBAフォトコンアワード(風景部門)』 金賞「この道は何処へ?」


ハクバのフォトコンアワードは、この時は予め3点ハクバのスタッフによって選ばれ(このほかスナップ部門3点、マクロ部門3点)、2月に横浜パシフィコで行われたCP+の来場者の投票で、各部門別に金賞、銀賞、佳作が決まりました。
<HAKUBAスタッフによる選評>
ロケーション選びが秀逸な1枚。 広大な雪原の中に通った1本の道の先には2本のサクランボの木と、奥にそびえる羊蹄山。 構図が抜群。そして、審査員の間で盛り上がったのが、通り道の途中で1回蛇行している部分。構図としても重要かつアクセント、意図的か偶然か気になります。
<投票者の選考理由>
○未来を感じる  ○自分もこういう写真を撮りたいと思った  ○広大さが伝わる  etc...

『旅専・思い出の一枚』フォトコンテスト インドシナ賞 「ゴールデンタイム」


昨年6月ベトナム・ハノイを旅行した時の撮影。、とにかく蒸し暑くて少し動いただけで汗だくになりました。若かりし頃はいとわず働いたであろう老人。今は夢うつつの中で、ゴールデンタイムを満喫中かな?
[審査員からのコメント] 
ベトナムの街角ではハンモックに揺られての昼寝風景も日常の一コマではあるのですが、90度ピッタリに折れ曲がったこの角度といい、手の形といい、すごく年季が入っているこの方の人生が感じられて、思わず見入ってしまいました。

『スムストック写真コンテスト』テーマ(お題) この家の歴史の続きを僕たちが(川柳)  ハウスメーカー賞


この写真コンテストは、普通のコンテストとは違って、建物に関する川柳が40題ほどあり、川柳に見合った写真を投稿するものです。

(3) 3月 5件入賞入選

『ふるさとTVお国自慢コンクール』 審査員特別賞(NTTコミュニケーションズ社賞) 「マイルドセブンの丘に星が降る」


美瑛のマイルドセブンの丘で、地平線に沈む月を15㎜対角魚眼レンズで撮りました。

『ステンレス協会・暮らしの中のステンレスフォトコンテスト 佳作 「こんなダイヤモンドが欲しい」

ステンレス協会のホームページ掲載が4月予定ですので、画像はそれまで控えさせていただきます。大きなダイヤモンドリングのオブジェを見つめる女性を、お台場で撮影しました。入選数が特選1、入選2、佳作5の8点のみで、佳作でも賞金が結構いいんです。
<H24.3.30追記>
ステンレス協会ホームページに紹介された旨連絡がありましたので画像をアップします。


寸評:佐々木 悦久(写真家)
女性?には、憧れの大きさで、今にも手が届きそうです。夕景の光のバランスが良い感じで、プラスになった様です。人が居る事
で、大きさも具体的で解り具体的で解りやすい作品です。

『趣味人倶楽部・思い出の美しい東北フォトコンテスト』 最終選考作品賞 「武将駆ける」


青森のねぶたですが、瞬間ズーミングしております。自分では、最終選考なら選外と思っていましたが、画像使用権の承諾書を提出させられ、文中にも何度も受賞という言葉が出てきます。メールの通知文にも受賞という言葉が並び、まるっきりの選外でもないか、ということで紹介しました。


『第18回さじアストロパーク星景写真コンテスト』 努力賞 「ちぎれた太陽」


<天文台長講評>
北海道の羊蹄山の右手から昇る朝日。太陽が左右にちぎれ、さらに上にも現れたそうです。気温が低い時に見られる現象で、幻日と呼びますが見た人は必ず驚きます。偶然とは言え上手く作品に仕上げました。努力の賜です。

『日本列島生き物フォトコンテスト』 入選

入選通知がメールで届いたのですが、数点応募したうちのどれが入選したのか、現時点で不明です。

<選外作品の一部>

最後に、残念だったのは、地元のフォトコンでありながら『小樽雪あかりの路・愛のフォトコンテスト』が選外だったことです。2年連続で選外となりました。今回は結構自分なりに工夫を凝らし、いい作品に仕上がったと思ったのですが…、入選作品を拝見したところストレートに撮影した作品が多く、来年度の課題となりました。ちなみに応募した作品の一部は次の通りです。



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ありがとう量徳小学校~楽しい思い出を胸に

2012-03-25 06:00:00 | 日記
前回は、各学年の授業風景を取り上げました。引き続き休憩時間や放課後の児童の様子を取り上げていきたいと思います。なお前回のブログの最初の運動会の画像については、前年度の画像でしたのでお断りしておきます。


(カメラを向けると、愉快な格好をしてくれました 子供たちは何処までも陽気で)


(この次の時間は体育で、縄跳び道具を持って体育館に行くらしい)


(昼休み時間は、自由教室で縄跳びに興じる児童たち)

ちなみに量徳小学校では、全学年を通して、縄跳びに力を入れていて、昼休み時間でも児童たちが縄跳びをしているのを見かけます。この日自由教室では、二重飛びを連続20回、30回を続ける児童が続出。驚きました。縄跳び競技は、量徳祭りや、PTAイベントでも披露されましたし、4年生の授業参観日に訪れたときにも体育の時間で披露されました。


(自由教室で、縄跳びに興じる友達をよそに、我関せず悠々読書)


(休憩時間中に図書室の掃除 4年生の担当 カメラを向けるとお決まりのポーズ)


(2年生のクラスではタニシの飼育がおこなわれていました 閉校後は何処に引き取られるのかな、気になります)

(6) 雪あかりの雪像づくり (2月4-5日)
量徳小学校最後の思い出づくりの一つとして、父兄、教師、児童たち100数十人が集まり、正門前に雪あかりの路の雪像およびスノーキャンドルを作りました。あいにくの天気でしたがピカチューとドラえもんの雪像が出来上がりました。途中からは激しい吹雪になりましたが、お母さん方が作ってくれた暖かいお茶やココア飲み、インスタントラーメンを食べて体を温め、児童たちは頑張りました。なお詳細については、当ブログ2012.2.11付け「量徳小学校~最初で最後の雪あかりの雪像づくり」を参照。


(正門の両側に大きな雪像が、中央には「夢量徳」の看板が掲げられました)

(7) 父兄参観日 (2月18日)
この週は、孫3人ともに父兄参観がありました。月末で仕事上休めないという娘に代わって、18日の4年生の授業参観に行ってきました。授業科目は体育ということです。前半は普段練習に力を入れていた縄跳びの披露です。全員二重飛びも上手くできました。また二本のロープを交差させながらその中を抜けていく、結構難しい競技も上手く出来ました。後半は児童と父兄のドッジボール大会です。授業の後は、校長先生のお話があり、その後担任の先生との懇談会がありました。


(さすが練習の成果が出て、全員綺麗に飛べるようになりました)

(8) 閉校式 (2月18日)
この日は閉校事業記念誌の写真班として式の撮影を行いました。来賓、父兄、卒業関係者を含め200人以上の方々が出席されたようです。体育館にあふれんばかりの参加者数です。校長先生、市長はじめPTA会長の挨拶があり、さすが校旗返還では、涙ぐむ父兄が続出。これで本当に量徳小学校が閉校になるという実感で、感極まったのでしょうか。


(吉田校長先生の挨拶)


(手前が、市、議会、教育関係の来賓、中央が児童たち、後方が父兄や量徳関小学校係者)


(式辞の後は、児童たちが量徳小学校での思い出を、父兄に語ります 130人の児童が一人ひとり思い出を語ります)


(最後に全員で校歌斉唱)


(体育館の後方に貼られた版画の顔も心なしか淋しそうで…)


(かつての卒業生たちも感無量の様子)

(9) 卒業式 (3月19日)
次女が10数年前にここ量徳小学校を卒業した時以来の卒業式への参列です。あの時も、私が昭和30年代に経験した式典とは異なっていたことに驚きましたが、今回も違いを感じたのは「蛍の光」が全く歌われなくなっていたことでした。代わって歌われたのは、「大切なもの」(全校合唱)、「さようなら」(在校生合唱)、「旅立ちの日に」(卒業生合唱)だったことです。もう一つは、来賓祝辞の後の、在校生代表による送辞、卒業生代表による答辞がなくなり、形が変わって在校生、卒業生ともに全員が一言送辞、一言答辞を述べたことでした。児童数が少ないからこそできるのでしょうね。


(式典の前に卒業生の記念写真撮影 後ろでVサインの児が…このまま撮影、これも時代の流れ…?)

式は国歌斉唱に始まり、校歌斉唱、そして卒業生25名に卒業証書が授与されました。その後学校長の式辞、来賓の祝辞へと進んでいきます。そして在校生全児童による一言送辞、卒業生の一言答辞へ進みます。


(卒業生の答辞)


(蛍の光に代わって、卒業生による「旅立ちの日に」が歌われた)

最後は全校生徒による合唱「大切なもの」が歌われ、在校生の楽器演奏に合わせて卒業生退場で式典が終了です。


(6年生の教室では担任の先生に、児童が一人ひとり花束を贈呈 先生も感極まりお礼の言葉に詰まる)


(在校生、父兄の見送りに、いつもは陽気な児童もこの時ばかりは涙、涙)


(我が家のいたずら孫=紀斗・左、も無事卒業しました)

(10) 過去の記念誌及び今回の閉校記念誌から
前回のブログでも書きましたが、明治6年開学の量徳小学校は、小樽で最も古く138年の歴史がありました。過去の記念誌等から抜粋した画像を孫が頂いたCDを見る機会がありましたので、いくつか抜粋してここに転載したいと思います。


(明治11年新築なった学校 この落成式には第3代北海道開拓使長官黒田清隆が臨席、祝辞を述べたとも言われています)


(旧校舎が焼失 新しく建て替えられた校舎)


(昭和12年土俵開きに駆け付けた、名横綱双葉山 昭和11年1月から14年1月までの69連勝はいまだに破られていない)


量徳小学校閉校記念誌『夢量徳』 最終ページから

   おじいちゃん、おばあちゃんの時代から
   この学校は僕らのことを見守っていてくれた

   優しい眼差しで 暖かいぬくもりで
   いつでも僕らを包んでくれた

   この学び舎はなくなってしまうけど
   目を閉じればいつでも見えて来るよね

   君との出会い 共に過ごした懐かしい日々

   あの時 君が側にいてくれたから
   僕は今 ここに立っていられるんだよ

   ありがとう 量徳小学校
   ありがとう 記憶の中の輝かしい時間
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さようなら量徳小学校~138年の歴史に幕

2012-03-21 06:00:00 | 日記
3月19日(日曜)孫3人が通う小樽量徳小学校で卒業式がありました。量徳小学校は、市の統廃合計画に従い今年度限りで閉校になり、138年の歴史にピリオドを打つことになりました。閉校を悲しむかのように朝から雪が降りしきります。我が家の一番上の孫が最後の卒業生となり、真ん中と下の孫は、4月から近隣の小学校に転校となります。最後の卒業式ということもあり、娘夫婦とともに出席してきました。

量徳小学校は小樽市内で最も古い小学校で、明治6年に「小樽群郷学所」として開校しています。小樽教育発祥の地でもあります。そして明治11年には洋風2F建て校舎が落成し、開業式には、時の開拓使第3代長官黒田清隆が臨席しております。また明治13年に日本国内で三番目の鉄道(小樽手宮~札幌~幌内)が敷かれた際、その総指揮を執った米人技師ジョセフ・クロフォードの宿舎に量徳小学校が使われたといいます。

ともあれ、小樽の歴史とともに歩んできた量徳小学校も、児童数の減少による統廃合は逃れられませんでした。児童数は一時2000人を超えましたが、現在は130人にまで減少。新しい校区は、花園小学校と汐見台小学校の二つに分かれます。ここ1年を写真とともに振り返ってみたいと思います。

(1) 運動会 (5月28日)
内地では運動会というと、10月10日の体育の日を中心に秋に行われますが、北海道の場合は5月の末に行われます。理由はよくわかりませんが、寒からず、暑からず一番いい気候だからでしょうか。運動会の種目に「YOSAKOIソーラン」が含まれているのも小樽の学校の特色でしょうか。ここ数年の運動会については2011.6.5付け「小樽市立量徳小学校最後の運動会」に詳しく載せております。


(伊藤多喜男の歌声に乗ってYOSAKOIソーラン 訛の強い浜言葉が道産子の郷愁を呼び起こす)


(一人が加えて引きちぎると、反動でほかの煎餅が跳ね上がる…)


(昼休み時間には父兄も参加して138周年の記念の人文字を作る)

(2) 小樽潮祭り練り込みに初参加 (7月30日)
この日のために全校生徒及び父兄が「夢量徳」の文字入りのTシャツを作りました。事前に山車用の看板を製作したり、踊りの練習にも励みました。そして本番の潮練りこみの審査では、見事審査員特別賞に輝きました。


(体育館で何度も練習しました)


(スタート地点のグリーンロードで全員そろって記念写真)


(花園アーケド街を進む)

(3) 学芸会 (10月16日)
通常の各学年による劇のほか、全校生徒による合唱、低学年によるハンドベル演奏、中高学年による楽器演奏も行われました。


(全校生徒130名による合唱)


(1-2年生によるハンドベルの演奏)

(4) PTA主催の運動会 (10月29日)
父兄が企画した体育館でのイベントです。前半は6年生が4月から進学することになる青園中学校のブラスバンド部の演奏会です。ディズニーキャラクターの衣装をまとったブラスバンド部のお兄さん、お姉さんたちが、ミッキーの歌をたくさん演奏してくれました。イベントの後半は、4チームに分かれて、縄跳び、スリッパ飛ばし、ボール競技を行いました。各チームそれぞれたくさんの景品をもらいました。


(各楽器の音色や名前の紹介もありました)


(子供たちはたくさんの景品をもらいました)

(5) 量徳祭りと授業の風景 (11月18日、11月下旬)
お祭りの縁日を、子供たち自身で考案し、手作りの作品を販売したり、手作りのゲームを楽しむのが量徳祭りです。会場は体育館で10数のブース(出店)に分かれ、子供たちが店主になったり、お客になったりするゲームです。何を売るか、どういうゲームにするかは子供たちが企画しました。


(このブースでは、和紙を折りたたんで色付けし、乾燥させて広げると、何とも言えない素敵な模様が出来上がります 折りたたみ方、色の配色で千差万別…)


(こちらは行列のできる店)


(最後は全員でジェンカ=フィンランドのダンスを踊って…)


(1年生の音楽の授業風景)


(5年生の図工の時間で、版画作り)


(6年生の授業風景 閉校事業記念誌の写真撮影があるということで、児童も緊張しているのかな?)


(3年生、この時間は自習時間で読書が割り当てられていました)


(2年生の授業の始まり 担任の先生から今日の注意事項が言い渡される)


(4年生は、理科の時間で、天体や星座の学習)



(注) 当初一回で書き終える予定でしたが、あれもこれも紹介したいという思いが強くなり、どうしても二回に分けざるを得なくなりました。次回は休み時間の児童たちをはじめ、閉校式典、卒業式典、そして最後に過去の記念誌から珍しい画像を紹介したいと思います。
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道東しばれツアー最終日~更別村の霧氷と音更町の馬追い

2012-03-17 06:00:00 | 旅行
しばれツアーの最終日は、更別村の霧氷撮影と音更町にある家畜改良センターの重種馬の馬追い運動の撮影です。馬追い運動の開始が午前9時半からですので、先に更別村の霧氷撮影に行きます。午前5時半にホテルを出ると、ちょうど6時20分頃の日の出に間に合います。朝の気温は-15度ほどです。予想よりもやや気温が高いようで、ケアラシや霧氷が出るか心配です。帯広市内から道道238号線を「道の駅更別」方面に向かいます。

途中で、かつてのテーマパークであった「グリュック王国」の残骸が見えてきました。広い平地の中にぽつりと中世ドイツ風の城が見えます。平成元年に開園した「グリュック王国」も、バブル崩壊や北海道拓殖銀行の破綻、交通の不便さなどで訪れる人が激減、平成15年に休園、閉園となりました。H10の夏休みに家内と次女を連れてきたことがあり、懐かしくて当時の画像も取り上げてみました。


(道道238号線沿いに今も残るグルック王国正門のビュッケブルグ城=シュロスホテル 今は立ち入り禁止区域でバラ線が張られている)


(H10.8家族で訪れたとき、結構観光客が来ていた 中央のドイツ人は民族楽器の奏者で一服中)

話がそれましたが、徐々に夜明けが近くなり東の空が赤くなってきました。防風林と朝日の撮影スポットを求め、あちこち走り回ります。このころから徐々に風が強くなり西から東へと地吹雪状態になってきました。風があると、ケアラシや霧氷の発生は望めなくなります。ま~、霧氷ツアー変じて地吹雪ツアーでもいいかという話になります。


(防風林のかなたから日が上がり始めました)


(今一つ前景がしっくりきませんが…いかんせん土地勘がないので止むをえません) 


(朝日に照らされた雪原の中に民家が一軒 地吹雪で雪が舞い散っている)


(道道238号線は地吹雪状態 一見ケアラシのようにも見える…)


(霧氷のビューポイント近くでは、ケアラシならぬ地吹雪)


(撮影スポットにある看板)

今回更別村の霧氷撮影は失敗に終わりました。風があると霧氷が発生しても樹氷にはなりません。川面から上がるケアラシ自体吹き飛ばされ胡散霧消してしまいます。なお、ここ更別の霧氷は全国的に有名で、この時期内地から写真家たちが大勢集まるとのことです。写真家竹内敏信氏もここで撮影されております。(2009.1.14付け「HITACHIこの木なんの木…BLOG」)これだけ風があると、待っていても収まりそうにありません。霧氷の撮影をあきらめて、次の撮影地に向かうことにしました。

道道238号線沿いに「愛国から幸福へ」の旧JR幸福駅と愛国駅があるので寄ってみることにしました。旧JR幸福駅については昨年8月の撮影ツアー時に、十分撮影を済ませていますので、今回は愛国駅に寄ってみることにします。


(冬期間は駅舎は閉鎖され、機関車もシートをかぶったまま)


(駅舎向かいに車両が一台ありますが中を除くと荒れ放題 とても観光施設とは思えません)

愛国駅舎も比較的新しいようで、当時の駅舎ではないようです。幸福駅が割と手入れがされて保存されているのに対し、愛国駅は、何か中途半端な感じがし、惹きつけるものがありません。早々に切り上げ、最終目的地である音更町にある家畜改良センター十勝牧場に向かいます。この間も相変わらず横殴りの地吹雪が時折襲い、前方の視界がなくなることがあります。白樺並木の終点に庁舎があり、さらに1.5㎞奥に馬追いコースがあります。


(家畜改良センターの入り口には、両側に白樺並木が数百m続いています 樹氷がつくと見事なんですが… 画面が白っぽいのは地吹雪で粉雪が舞い上がっているため)

1周800mほどの馬追いコースは、冬期間馬たちの運動不足を解消するためや妊娠場の難産解消を目的に、土日を除いて毎日午前9時半から1回あたり3週(ほぼ2.4㎞)の追い運動をするものです。ここで飼育されている馬たちは、競馬場で見られるようなサラブレッド(体重5-600㎏)ではありません。ブルトン、ペルシュロンといった農用馬で(サラブレッドの軽種馬に対し重種馬という)、体重は1トン前後あります。このような大型馬が雪をけって走るさまは、実に迫力があります。


(妊娠馬はゆっくり走るが、それでも迫力がある)


(若駒たちは途中でじゃれあったりしていた)


(地吹雪に加え、馬が蹴る雪で見えなくなるほど)

馬たちは4組に分けて追い運動がされます。2年前にも撮影に来ておりますがたまたま金曜日であったために、馬たちも走るのに嫌気がさしているのか、迫力が感じられませんでした。今回は火曜日であり、馬たちも、いまだ走る気満々、特に若駒達は全力に近いスピードで駆け抜けていきます。馬追い運動を十分に撮影し、後は小樽に直行です。


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街は春めいて…♪

2012-03-13 06:00:00 | 街中ウォッチング
さすが三月も中旬に入ると、ぐ~っと春らしくなってきました。何から何まで真っ白で、色の無い世界が一転、カラフルな世界になりました。ここ数日好天が続いたので、道路わきの雪山も、みるみる低くなっていきました。一方、融けた雪が泥水となって道路を駆け下りていきます。運が悪いと、通りかかった車に泥水をかけられることもあります。そんな時でも、春が近いせいか、あまり気になりません。


(我が家の前はごらん通り泥水が… 冬の間毎日のようにスリップ止めの砂がまかれる)

春の陽気に誘われて、ふらりと街中を散歩してみました。


(今日は土曜日、小二の孫娘を連れてイヌの散歩 メルヘン交差点付近は、汚れた雪がまだ高く積もったまま)


(観光スポットの堺町通りは雪解け水が広がって、歩く人も避けるように…)


(ジーンズのカップルが道を横断)


(歩道に飛び出した庇から猛烈な雨だれが…)


(ルタオの新しい店舗・PATHOSの前にはカラフルな椅子が置かれています 店内のお客も日差が気持ちよさそう)


(どれでも1050円均一の店・夢蔵人 雨だれが激しく傘をすぼめる店員)


(春の日差しが気持ちがいいのか、伸びをする老犬)


(水たまりに老犬を写し込もうとカメラの位置を低くしましたが…)


(屋根のすべり止めにたまった氷を割りながら歩道に落とす これも北国ならではの光景 手前左のオヤジが歩行者を誘導)

最後は運河付近の画像です。


(浅草橋付近ですが、全員中国からの観光客でした)


(ツアーバスで来ているようです)


(おどけた格好で記念写真に納まるカップル 身も心も春です)
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道東凍れツアー・2日目~塘路湖の夜明け

2012-03-09 06:00:00 | 旅行
二日目は、今回の最大の目玉である釧路湿原に上がる朝日を撮ることです。霧氷に覆われた湿原が朝日を浴びて赤く染まるさまは、まさに絶景です。3年前の平成21年の2月に来たときは、-25度を下回る寒さで、湿原は一面霧氷に覆われていました。オレンジ色に染まった湿原は、まさに別世界のようでした。その時の画像は、2009.11.17付け当ブログ「フラッシュバック釧路」の最終画像を参照してください。

今回も再現を狙っておりました。6時20分の日の出1時間前にホテルを出て細岡展望台に向かいました。あの時は今季一番の冷え込みで、車のエンジンもかかりにくく、フロントガラスが、バリバリに凍結していました。しかし今日はそれほどの冷え込みはないようです。一抹の不安を感じながら到着すると、案の定まったく樹氷が出ていません。ケアラシも見られません。風は全くないのですが、冷え込み不足なのでしょうか。ここでの撮影を断念して塘路湖に上がる朝日を撮るべく、北上します。

塘路湖に出ると、大型バスが停車しており、湖面のそばでは数十人のカメラマンが、対岸の山から今にも顔を見せそうな太陽と湖面のケアラシを狙っています。この観光バスは昨日阿寒丹頂観察センターに来ていた関西からの写真撮影ツアーのようです。


(中央で横になっている人は、転んだわけではありません 湖面ギリギリに朝日を取り込もうとしているらしいのです)


(間もなく日の出、何とも言えないこのピンクが美しい 右に一羽の白鳥 中央のワカサギ釣りテントは邪魔ですが…)


(ピンクに染まる白鳥一羽)


(撮影場所を左に移動して 数羽の白鳥がいます)


(対岸ではピンクに染まった雪原をメス鹿が駆けて行きます)

細岡展望台から、急遽塘路湖に撮影位置を切り替えて正解でした。流石写友S氏の判断が的確でした。十分朝日の写真を撮り終えて、次はコッタロ湿原方向に進みます。この辺りは屈斜路湖を源流とする釧路川に沿っています。しばらく進むと川岸に出られる写真スポットがあります。川の両岸は一面の樹氷林です。川面には大きな氷塊が音をたてて流れています。


(氷の塊がぶつかり会い、また岸辺にぶつかって下流へと流れていきます)


(岸辺の木々は朝日を受けて黄金色に輝いています)


(さらに枝をクローズアップしてみると…)

本来であれば、雪の湿原を走るSLノロッコ号を撮る予定でしたが、SLの通る午前11時半過ぎまでには3時間近くも時間があります。湿原には時折鹿や鶴を目撃しましたが、昨日今日と十分撮影しており、写欲がわきません。ということで、このまま先に進み、屈斜路湖を目指します。途中弟子屈の街に入ると、川沿いの木々が真っ白です。温度の割と高い温泉が川に流れ出て、川沿いに大量の霧氷が発生しているのです。


(川のそばほど真っ白な樹氷がついているが、川から離れると樹氷は少なくなる)


(川沿いの木製の柵には、同心円状に霧氷がついている)


(早朝ホテルを出た観光客 奥は足湯の東屋)

霧氷、樹氷の撮影はこのくらいにして、屈斜路湖に急ぎます。川湯温泉、硫黄山を横目に屈斜路湖畔の仁伏温泉、砂湯温泉へと出ます。中国人の団体バスが来ており湖畔の白鳥を盛んにカメラに収めています。


(ハクチョウが湖畔のわずかに結氷していない部分に降り立ってきます)


(温泉が流れ出している部分では猛烈なケアラシが立つ 結氷している部分を歩いて沖に出て岸辺の白鳥を撮りました)


(さらに湖畔に沿って和琴半島に出てみる 岸辺近くでは噴出した温泉の熱で氷が解けて穴が開いている)


(湧き出した空気が氷に閉じ込められ、面白い形になっている)

釧路管内での撮影を終えて、今日の宿泊予定地帯広に向かいます。朝から結構撮影しましたが、まだ昼前です。途中阿寒湖畔で昼食をとり、オンネトーに向かいましたが、残念ながたら冬期間は途中の中野温泉までしか除雪されておらず、後はカンジキツアーになります。一応カンジキならねスノーシューも用意はしましたが、今季のように大雪ですと、全面結氷の可能性が高いということで、再度帯広方面に向かいます。


(途中で撮影)


(防風林の間からお日様が…)

予定よりも撮影が順調だったこともあり、時間がたっぷりあまりました。そこで急遽明日寄る予定であった然別湖のコタン祭りを撮影しました。ただ日中でしたので写真的には今一つでした。夜間であれば、ライトアップされた氷像や氷の建物が冴えるのでしょうが…。


(アイスバー 車でなければカクテルを一杯というところですが…)


(次回はぜひライトアップされた時に来て見たい)

帯広市内に戻ったのは夕暮れ前です。今日の最終撮影である、音更町の彩凛華(午後7時開演)まではまだ時間があります。一旦ホテルに入ると出るのが億劫になり、結局彩凛華の撮影は中止となりました。次回は道東凍れツアーの最終回「更別村の霧氷」と音更町の家畜改良センターの「馬追い運動」です。
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おたる雛めぐり・その2

2012-03-05 06:00:00 | 祭り・イベント
2月11日から3月4日の期間中小樽市内の50の店舗・施設で雛飾りが展示されていることは前回のブログにも書きました。期間中に訪れたのは半数にも満たない20店舗・施設ですが、すべての店舗・施設がユニークな飾りつけをしているわけではありません。多くは一般家庭で使われた年代物の雛飾りです。今回雛めぐりを回ってみて、ほとんどは気軽に、飲食や買い物をせずに見せていただくことが出来ました。

なかには、レストランでは飲食中のお客がいて気軽に入れないところや、小樽文学館や博物館のように有料施設の中に飾られているものもありました。文学館の場合は、昨年は無料のロビーに飾られていたのに、今年は有料コーナーに移動しておりました。またジョイポート小樽店では、販売用の雛壇であるとして写真撮影を断られました。もっと一般市民が気軽に見られるようにしてほしいものです。

(1) 狸庵(タヌキアン)

朝里地区にあるこの狸庵は、普通の民家が地域のミニコミュニティ会館として利用されている所です。付近にピンクの雛めぐりの幟がないと見逃してしまいます。民家と同じような玄関に一歩入ると、狸の置物が所狭しと並べられています。さらに案内されて茶の間に入ると、すでに7-8組のお客さんが来ておりました。茶の間と続きの奥の間にかけて、ひな壇が所狭しと並べられています。そして何より見事なのは、吊るし雛がいくつも飾られていることです。

吊るし雛は北海道ではめったに見かけませんが、発祥地は伊豆の稲取と言われています。稲取地区では江戸時代から伝わる伝統行事として今も盛大に飾られています。かつて東京八王子に勤務の折に、京急主催の吊るし雛を見る観光バスが出ていたのを知っています。九州柳川市でも吊るし雛が盛んなようです。こちらは、柳川市主催の吊るし雛フォトコンテストがあることから知りました。


(7段飾りよりも、吊るし雛が圧巻)


(下から天井に向かってみると…)


(孫娘はばぁちゃんの携帯で盛んパチリ)


(窓に飾られたタペストリーガラスの浮き球が妙にマッチしていて気になる…)

(2) HANDS ON TOY'S キンダーリープ

メルヘン広場のすぐそばの子供向けの木工用具・玩具を販売するお店です。店名はドイツ語から取ったようで、英語読みだと「キッズラブ」でしょうか。我が家のすぐそばにある店ですが、入ったのは初めてです。10数年前は「匠伽藍」という木工品の工房でした。当時は何度か2Fの喫茶店に入ったことはありました。ここのおひな様も、すべて木工品で、格段の飾りが丸い器にすっぽり収まるようにできています。


(手前の二つの人形は後ろの円形の木枠に収まります)


(若い親子がひっきりなしに訪れてきます)

(3) オルゴール堂

小樽代表する店舗です。3Fに一角にお雛様が飾れていました。オルゴール付ではないようです。有名な久月のひな人形でした。


(これ自体は定番で…)


(ガラス細工のおひな様)


(おひな様とは関係ありませんが…カラフルなステンドが気に入りました)

(4) NPO北海道職人義塾大學校

学校の学はあえて旧漢字の學を使っています。もともとは「小樽職人の会」が発展して職人義塾大学校になり、伝統の技や精神を伝える事を目的に組織されたものです。


(吊るしびなもありました 塗り物、掛け軸風のひな絵が飾られている)


(左は金箔絵のお盆、ゴム印など)

(5) JR南小樽駅

改札の階段を利用したひな飾り。列車を利用する人たちをほんの束の間ですが癒してくれます。


(冷え冷えとするコンクリートの階段、赤い毛氈とおひな様でほっと心が温まる)


(横から見ると…)

(6) 田中酒造亀甲蔵

かつて倉庫街であった有幌町。小樽運河の埋立てと同時に出来た臨港線によって殆どの倉庫が取り壊されましたが、残された倉庫を酒蔵に改造し、一部を展示スペースにしたのが亀甲蔵。その1-2Fに数多くのおひな様が飾られています。2Fでは琴アンサンブルによるコンサートの最中でした。また今年は吊るし雛も飾れています。


(石造り倉庫の両側にお雛様がずらり勢揃い 中央のスペースでは琴アンサンブルコンサートの最中)


(7-80席の椅子がびっしり観客で埋まっている ツアーバスも立ち寄ったみたいだ)


(右側の壁にもおひな様がずらりと並んでいる)


(1Fフロアーには記念撮影用のスポットがある さすが酒屋、酒瓶型の行燈が天井から吊り下げられている)

まだまだ紹介しきれなかった店舗・施設がありますが、また次年度に取り上げたいと思います。総数50店舗・施設のうち今回まわって撮影できたのは半分にも満たない20店舗・施設にすぎません。一応は、雛めぐりのリーフレットをもとに、ユニークと思える店舗・施設を優先して撮影してみました。

勝手にランキングしてみると、東の横綱が、「田中酒造亀甲蔵」でしょうか。その数の多さ、多種多様さ、ひな壇の豪華さ等が挙げられます。西の横綱は朝里地区の民家を会館にした「狸庵」です。部屋狭しと飾られた段飾りもさることながら、吊るし雛が目を惹きました。大関以下は…みなさんの目でランクしてみてください。なお、狸庵の展示は2月25日(土曜)~27日(月曜)と短いので、次年度訪問予定されている方は、期間に注意して下さい。

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道東凍れツアー(その1)~十勝川の樹氷

2012-03-01 06:00:00 | 旅行
2月19日から21日にかけて道東凍れツアーに、写友と行ってきました。昨年の7月炭鉱遺産ツアー、10月の紅葉ツアーに続いて三回目になります。最大の目的は、(1)霧氷の釧路湿原を照らす朝日を撮ること、(2)全国から霧氷を撮りに来るといわれる十勝・更別村の樹氷撮影の二つです。結論から言うと今回は二つとも撮影できませんでした。詳細についてはブログで詳しく述べます。

19日(日曜)は早朝4時半にスタートです。朝里インターから即高速を走ります。今日の主な撮影地は午後2時から始まる阿寒丹頂センターでの給餌を撮ることです。係員が生きたウグイを丹頂鶴に与えるのですが、その生餌を横取りしようとオジロワシや時にはキタキツネが争奪戦を繰り広げることがあるのです。

(1) 十勝川流域の樹氷

一旦高速を帯広音更インターで降ります。時間がたっぷりありますので、十勝川沿いに降りてみることにします。冬は十勝川周辺に霧氷が出ることが多いのです。今日も気温は-15度なので十分期待できます。国道からさらに市道に抜け、川沿いに出ます。案の定川からはケアラシが建ち、流域の木々は霧氷に覆われ樹氷が見られます。


(排雪用河川敷道路を進むと、川側の林は真っ白)


(川にはケアラシが立ち込め、氷の塊が流れていく)
(注)氷の塊となって水面を漂流するものを流氷と言います。流氷には海の水が凍ってできる海氷と、川の水が凍って出来る河川氷があります。


(樹氷は青空がバックだと一段ときれいに見える)


(河川敷の木々はどれもこれも、このような状況)


(樹氷をクローズアップで撮ると TAMRON Macro90mmSPで撮影)


(十勝川の支流に目をやると、ハクチョウが一斉にこちらに顔を向けてきた)

(2) 阿寒丹頂観察センターで鶴を撮る

十勝川流域で十分樹氷を撮影し、次の目的地阿寒町に向かいます。途中浦幌町を通りますが昨年夏と秋に寄った常室川流域はパスします。今冬は雪が多いので、たぶん雪に覆われて水面が出ていないと思ったからです。丹頂観察センターには昼ごろ到着です。気温は-10度前後でしょうか、比較的暖かいために、鶴が吐き出す息が白くはありません。-20度になると息が白くなるのですが…、こればかりはどうにもなりません。


(すでに撮影エリアには超望遠レンズを構えた大勢のカメラマン スコットランドから来たという外人一行もおりました)


(この丹頂の給餌場には最近ハクチョウが来るようになりましたが、給餌前に、雪上車で追い払われてしまいました)


(小鹿か入ってきましたが、鶴は警戒する様子を見せません)


(さすが天敵のキタキツネが入ってくると、一斉に警戒します)

午後2時になって、係員が丹頂鶴のために生餌のウグイをバケツに一杯運んできます。鶴たちの間にウグイをばらまくと、それを狙っていたように10匹前後のオジロワシ、トンビ、カラスが上空から低空飛行してきます。カラスは体が小さいせいもあって一匹ごと狙うのではなく、鶴の食べかけや、食べ残しを、隙あらば横取りしようとします。オジロワシは、狙いを定めて急降下して一匹まま横取りしようとして、鶴と争うこともあります。


(急降下してきたオジロワシを威嚇する鶴)


(隙を狙ってウグイを一匹GETしたオジロワシ)

鶴とオジロワシたちの生餌の争奪戦は30分ほど続きます。十分撮影したこともあって、鶴の観察・保護地である鶴見台、伊藤サンクチャリに向かいます。夕方が迫っていることもあり、鶴の動きも少なくとくに紹介できるカットがありません。宿泊予定の釧路市内のホテルに向かいます。

(3) 釧路の夕日

釧路市内から久寿里橋に向かうと、河口に近い幣前橋の向うにまさに日が落ちようとしています。久寿里橋を渡りきり釧路川の河口に出ようと右折した瞬間、道路わきにミニパトが警告灯を回転させているのが見えました。ん?交通違反でもしたかと思いましたが、確か車両進入禁止マークなかったはずだし…警官が手招きしている。まずい。よくよく見ると久寿里橋の終わり付近に一方通行のマークが、右折禁止であったとは…、とりあえず、遠方から釧路の夕日の撮影に来たことを述べ、拝みこんで夕陽の撮影を優先させていただいて…


(正面奥が幣前橋 川面には蓮氷が浮かんでいる))


(通行人も夕日を眺めているようです)

このような落日を撮影できてラッキーと言えばラッキーでしたが、交通違反…アンラッキーのような…。標識見落としの結末については、今夜美味い酒が飲めたのか苦い酒になったのかは、読者の判断にお任せします。


コメント (5)
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