<儀式は子供にとっては退屈なもの、まだ終わらないのかな~>
本州はいまだ梅雨の真っ最中。北海道には梅雨はありませんが、6月中旬以降スカッと晴れた日が二日と続きません。と言っても本州と決定的に違うのは、湿気が少ないことです。30度を超える真夏でも、一般家庭でクーラーを使うことはまずありません。我が家もかつて転勤族だったこともあって、クーラーがありますが、昨年は…クーラーのスイッチをオンにした記憶がありません。
話はそれましたが、6月中旬以降小樽はイベントの連続。14~16日は小樽3大神社の「水天宮」のお祭り、18日~19日の土日は、「第3回ロックサーキットバン」ドが、19日(日曜)は「第28回小樽運河ロードレース大会」が、そして20日~22日には「龍宮神社」のお祭りがあります。さらの25日~26日は小樽商大「緑丘祭(学園祭)」と続きます。7月も同様にイベントが目白押しですが、今回のブログでは、日付順に前4件のイベントを取り上げます。
☆毎年雨に降られる水天宮のお祭り(14~16日)
水天宮のお祭りと聞くと毎年のように雨に降られるというイメージがあります。初日はやはり小雨模様の曇天でした。2日目の本祭時に行ってみました。この日もどんよりした日でしたが、幸い雨にはなりませんでした。自宅からは、メルヘン交差点を左に曲がって相生町を抜けて名前のない急坂を上がります。何度かブログでも取り上げましたが、この坂のきついこと。生活に不便なのか、両側は空き家の多いこと。途中何度も立ち止り、腰を叩いては、境内にたどり着きます。水天宮は海抜50数mの高台にあります。
昼頃だったためか境内はガラガラ、もっとも小中学校は平常通りの授業があります。また出店は境内ではなく、左手の花園町方面に出ています。
鳥居の手前の石段の上から見ると20店ほどの屋台があります。
山田町(この近くに職人坂がある)会館前では町内神輿がお宮入り。
かつて10数年前までは、この通りは屋台であふれ、ミツウマ(長靴のブランド)と言う名のアーケードの向こう、国道5号線まで出ていたのですが…人口減少、子供の減少の影響でしょうか…
この時間は、暇だと見えて…
☆ライブバンドが集まる「小樽ロックサーキット」(18ー19日)
Facebookの紹介記事だったか何か忘れてしまいましたが、6月18日~19日の土日に「小樽ロックサーキット」なるライブ演奏が、マリン広場で行われる旨の記事を目にしました。過去この広場ではロックやジャズなど年間に数回行われています。入場無料と言うことなので、初日の18日昼ごろ(午前10時開始、午後9時終了)行ってみました。
幸い薄日が差す天気でしたが肌寒い日でした。周知が徹底していないのか、閑散としていました。飲食屋台が数店に、なぜか骨董品・古物を扱う屋台も出ています。
小1時間ほど聞いておりましたが、曲目は全く不知。60~70年代のロックを期待していたのですが…
広場の入り口付近に本部と書かれたテント席があったので、プログラムを貰うべく受付の係員に尋ねたところ、プログラムはないとのこと。周囲を見渡しましたが、案内板も看板もありません。普通の人や観光客(運河が近く、付近に観光用駐車場がある)が結構通る道に面しているのですが…これまでの音楽イベントではテーブルやスチールパイプ椅子が並べられ、くつろぎながら飲食した聞き入ってたのですが、全く用意されていません。二組ほど聞いて早々に退散しました。なんというオソマツなイベントと思いながら…翌日再度夕方に寄ってみることにしました。
前日よりは観客数は多いようですが、椅子席がないため、地べたに座り込むひともいました。
最前列の数人は盛り上がっていました。同じロックバンドの方々のようです。
午後7時を過ぎると急に寒くなってきました。バンド交代時には帰る観客もいて、会場は閑散。
☆運河・歴史的建造物沿いを走る「第28回小樽運河ロードレース」(19日)
平成元年に小樽開港90周年を記念して始まったこの運河ロードレースも28回目を数え、道内・全国各地から、2691名が運河沿いを駆け抜けました。距離別(ハーフ、10km、5km、2.5㎞)、男女年齢別に、4グループに分かれ、午前9時00分~20分の間にスタートしました。
色内埠頭公園をスタートしたランナーは、北運河の旧日本郵船前を走り…
運河沿いに咲くハマナスも、走者には目に入らないかな。
スタート地点の色内埠頭公園から、石造りの倉庫群を横目に運河沿いを走り、臨港線を小樽築港方面に向かいます。
丁度運河クルーズ船がやって来ました。乗船客も、偶然の光景に驚いていたようでした。
この北運河にはよく来ますが…右端のえんじ色のボートが係留されていたなんて…知らなかった。
☆竜宮神社のお祭り(20日~22日)
小樽三大神社の祭りのうちの二つが6月にあります。水天宮に続いて龍宮神社の例大祭が6月21日~23日に行われました。好天に恵まれた21日の本祭に行ってみました。なお、竜宮神社は幕末から明治にかけて活躍した榎本武揚によって建立されました。
<小樽と榎本武揚>
明治維新の新政府に対抗してエゾ共和国初代総裁となった榎本武揚ですが、函館戦争で新政府軍の指揮官・黒田清隆(後の北海道開拓使長官)に敗れました。しかし榎本の才能を見た黒田清隆が、助命を嘆願。その後新政府で頭角を現し開拓使を務め、功績により後に逓信大臣、外務大臣等を歴任。明治政府の国有地払い下げに当たり、小樽市の西側(現稲穂町・梁川町、当時は湿地帯) を取得。その一部に龍宮神社を建立しました。明治9年のことでした。
21日の本祭は好天に恵まれ午前中から多くの参拝客が押し寄せました。そのなか、宮出しの儀式が行われました。
各町内、道内から担ぎ手が結集。宮出しの儀式が粛々と進められます。
榎本武揚の銅像前で、地元名士・中の目氏が扮する榎本武揚と…
儀式が終わりいざ神輿出陣、
神輿を掲げ、このまま石段を下りて各町内を練り歩くいわゆる渡御の始まり。
社殿前の石段を下りて、一旦祭りの屋台が集中する梁川町へ向かう。
かなりの人出でした。
小樽商大商学部の江頭ゼミの学生たちが実践する授業の一部、焼きそばや、飲食物などの屋台経営もしています。かつては、大学内の授業だけで、街中に出て実践すということはありませんでした。現在は、積極的に街中に出て、商業学や経営学を実践しているようです。