紅露の写真日誌…北の大地・夢空間

小樽・札幌の風景、イベントが中心

旭岳・美瑛を回る~その2

2013-04-30 06:00:00 | 旅行
旭岳を降りて美瑛方面に向かう途中、東神楽町と美瑛町の境界近くにある美瑛町立明徳小中学校の校庭に、こいのぼりが多数泳いでいるところまで、前回(4月22日付ブログ)は紹介しました。ここから道道213号線を美瑛方面に進むと、車で10分ほどで北美瑛駅に着きます。ここから国道237号線を南下すると、右手にぜるぶの丘が見えます。その先を右折すると、日産スカイラインのCMで一躍有名になった「ケンとメリーの木」があります。さらに北瑛方面を進み北瑛小学校で左折すると、そこは有名なパッチワークの丘になります。

残念ながら、今の時期は丘は雪で覆われています。シーズンオフということもあって車で行きかう観光客も少なく、ところによっては除雪されていない道路(農道)もあって、何度か行き止まりに突き当たったこともあります。そうした中でも今の時期でなければ見られないのが、融雪剤の散布です。農家の方々が、早く雪を溶かし、大地を耕すべく、黒い融雪剤をまいたために、真っ白い雪の丘に、幾何学模様があちこちで見られるのです。


奥に見えるのが、パッチワークの丘を代表する「親子の木」です。


このあたりでは、あちこちでこのような融雪剤散布の跡が見られます。さらにいい景色がないかと、パッチワークの丘を駆け回りました。


WBの色温度を変えてみました。


色温度を変えるとまた一味違った雰囲気になります。

パッチワークの丘で十分撮った後は、いったん「北西の丘展望台」に向かいます。この展望台の傍に、美瑛を代表する写真家の菊地晴夫さんや阿部俊一さんの写真ギャラリーがあります。ただ冬期間観光客の少ない今の時期は閉鎖されています。なお、北西の丘展望台は三角屋根のユニークな展望台で、美瑛を訪れた方なら一度は来たことがあるのではないでしょうか。さてさらにマイルドセブンの丘に向かいますが、シーズン中は観光客でにぎわうここも、冬期間は除排雪がされておらず、もう一つのマイルドセブンの丘に向かいます。


ちょうど午後3時、光線の具合が今一つ。ちょうど昼ごろ来ると中央の林の後ろに太陽があって、逆光になります。林の影が手前に長く伸びるんですが…


それならばと目先を変えて…

逆光になる位置まで移動しよう雪原に踏み出しますが、ずぼっと膝あたりまで埋まってしまいます。改めてスノーシュを取り出して移動するのも面倒です。それまで、時折うす雲がかかっていたのが、雲がだんだんと厚くなってきて、メリハリにかけてきました。天候が回復する兆しも見えないところから、本日の宿泊予定地旭川市内に戻ることにしました。

天気予報では今日一日(4月5日金曜)は快晴の予定で、明日(6日土曜)から荒れ模様になるということでした。6日はホテルを午前5時に出て、美瑛の丘で朝日を撮ることにします。午前5時にホテルを出たのはいいのですが、ところどころ厚い雲に覆われ、朝日の撮影も怪しくなってきました。美瑛に着く前に陽が上がり始めました。


午前5時の旭川駅前通り。中央奥が旭川駅。この時間通行人はいない。


JR富良野線と国道237号線(通称富良野国道)が並行して走る西神楽あたりで朝日が昇り始めました。あわてて背景の良いところを探すが…朝日はどんどん高くなる…


朝日はどんどん高くなって赤い色が薄れていく。田んぼは一面結氷している。気温は氷点下5度前後らしい。


田んぼの水たまりは結氷していて氷の筋が出来ている。


国道の反対側には妙な建物が…中央1Fの屋根のひさしに風見鶏が、表札の位置には鹿の角が、右横には一見アメリカン風のガソリン給油機が、そして左手の建物は手作り風で…はてな、なんだろうと思って右端の青い薄れた看板を見ると、「CAFE」とありました。ドライブインのようでした。

さて美瑛の町に入り、まずは福富の「CMで有名な赤い屋根の家」に向かい、そのあと水沢ダム、千代田の丘に向かう予定です。福富の赤い家も千代田の丘も光線所歌が悪く数カット撮って水沢ダムに向かいましたが、ここも全面雪に覆われ絵になりません。


赤い屋根に日が当たればいいのですが…

<参考> 秋口に撮影したCMで有名な赤屋根の家

この年は手前の畑が豆でしたが、トウモロコシやジャガイモなどその年によって違います。

夏とは違って美瑛の農道は冬期間除排雪されていないところが多く、ナビを頼りにして動いても再三再四行き止まりにぶつかってしまいます。大きな道路を走り白金地区に向かうことにします。ここに白髭の滝や青い池があります。できれば、白金から先の望岳台へも行ってみたいものです。まずは白髭の滝ですが、ここは撮影場所が橋の上からと決まっていますので(滝下に降りる道がない)、どうしても以前と同じカットになってしまいます。


この滝は崖の壁面から水が落ちてきます。いわゆる潜流瀑と呼ばれる珍しい滝です。富士山のふもと富士宮市の白糸の滝が潜流瀑としては規模が大きく有名です。

次いで青い池に向かいますが、冬期間は駐車場が雪で埋もれていてわずかに数台ほど縦に駐車できるスペースしかありません。我々が付いた時には一台も駐車しておらず、足跡をたどって池に向かいます。全面結氷しているかと思いきや、中央部分は溶けて池が顔を出しておりました。周囲に足跡らしきものが多々ついております。キツネや鹿にしては大きく、人の足跡のようです。池の大部分が結氷し雪が積もっていますので、どうやら歩いて溶けて顔を出しているところまで行ったのでしょうか。


中央奥、駐車場寄りが解けて池が顔を出している。ところどころ氷が薄くなっています。


駐車場寄り、入り口から見るとこのように青い池が見られる。


池の周囲の散策用堰堤付近は氷が薄いよです。氷の厚い分を伝って下りた足跡が点々と続いている。


氷が解けて模様になったようです。

<冬の青い池>
2009.4.26日付ブログ「私の好きな撮影スポット~美瑛青い池(冬)」に画像を数枚載せておりますので、こちらもご覧ください。

なお、青い池が流れ込む美瑛川は、ほとんどが雪に覆われていて、流量が少なく、夏場に見られる青緑色の水面は見られませんでした。やはり冬場よりも雪のないシーズンが最適のようです。午前8時過ぎには撮り終えて次の撮影地を探します。白金から望岳台を目指しますが、ゲートが閉まっていていくことが出来ません。撮影地を求めて小1時間ほど走りましたが、めぼしいところがありません。最後ということで四季彩の丘に向かいます。冬期間閉園しているかとも思いましたが、開いておりました。駐車場に5-6台の車がありましたが、観光客の姿は一人もおりません。貸し切りのようなものですが…やはり撮るものが少ない。


O先輩、乗り手の方が嫌がっていますよ。銀髪のライダーをよく見ると、人形でした。


シーズン中は花いっぱいの丘も、今は雪面に融雪剤の跡だけです。


もう少し近寄ってみると…きれいな渦巻き模様がありました。


さらに奥に進むと一本の木と模様がありました。


最後に出入り口近くにある麦わら製のオブジェを取り込んで鉄パイプと…あれ、このパイプ、オブジェに合わせて作ったのであろうか?似ているような、似ていないような…

さて最後の撮影地は、美馬牛のクリスマスツリーの木を撮ることにします。本来なら夕陽をバックに撮るのが一番なのですが、6時間も7時間も待つわけにはいきません。今日は大荒れになるという注意予報も出ていますので、できれば午前中に撮影を終了して戻る予定です。


やはり日中では絵になりにくいですね。ここはまたの機会を狙って、小樽に戻ることにします。


次回5月4日は、今はもう見られない「小樽思い出のシーン~その1」を予定しています。

水芭蕉の咲くころ

2013-04-26 06:00:00 | 日記
4月も中旬になると、さすが冬の間猛威を振るった雪もあっという間に溶けだして、今は日陰にわずかを残すだけとなりました。我が家の横小路にある花壇にも、枯れ草を押し分けてクロッカスが咲きました。そのそばでは、水仙やチューリップの蕾も日増しに大きくなり始めました。あと数日で花が咲きそうです。

そしてこの時期に話題になるのが水芭蕉の開花です。内地では尾瀬にまで行かないとみられない水芭蕉も、北海道では湿地であればどこででも見られます。小樽市内では、長橋の苗穂公園や市内から塩谷・仁木町に抜ける伍助沢通りに群生しています。また小樽から赤井川村のキロロに向かう国道393号線(メープル街道)の両側には、あちこちに水芭蕉の群生が見られます。道産子にとってはありふれた光景なので、あえて下車してみる人もおりません。

とはいえFacebook上でも水芭蕉開花の話が出ています。先週の土曜日(20日)久しぶりの好天に誘われ、一番下の孫娘(小4、綺里Akari)をつれて苗穂公園に行ってきました。この時期苗穂公園では水芭蕉のほか、ザゼンソウも見られます。運が良ければ、エゾリスやアカゲラを見ることもできます。


公園の中央を南北に走る遊歩道は、まだまだ雪が多く、そのうえ雪解け水があふれて、泥だらけです。


駐車場から200mほど北に進むと、最初の水芭蕉の群生地があります。孫娘が盛んにシャッターを切っています。夢中になって、そのうち水たまりの中に…、おっといけない水の流れの中は立ち入り禁止のはず…、あれ、周囲に張ってあったロープが雪の下に埋もれている。


孫娘Akariの作品1 水の流れも写し込んだよとのこと。ふむふむ、確かにさざ波が…


周囲が汚いのでどうしてもクローズアップになってしまいます。


センターフォーカスフィルターで周囲をボカして撮影。

さてさらに遊歩道のぬかるみに足を取られながらも先に進みます。いつもであれば、エゾリスが切り株のあたりに、クルミを食べに来るのですが、もうすでに食事を終えたのか、見当たりません。スズメほどの小さい小鳥で、白黒模様の日雀(ヒガラ)でしょうか、盛んに古木のえさ場に舞い降りてきては餌を探しています。遊歩道の脇の古木の枝を切り落とした部分に、散策に訪れるれる人たちがどんぐりやクルミ、ヒマワリの種などを置いて行きます。自然とそこが餌場となって、小動物たちがやってきます。


日雀?が餌場にやってきました。割と人なれしていて、ときには人の手のひらから餌をついばむこともあります。


Akariがオタマジャクシを見つけたようです。カメラの先には…オタマジャクシの卵の中に白っぽいどんぐりが一個落ちています。


Akari作品2 真ん中の白っぽいのは何かの木の実のようです。


途中休憩タイム。あともう少しでザゼンソウの群生地に着きます。


雪解け水が小さな水たまりとなり、さらに小川となって下流(公園正面口)に注いでいきます。その水たまり周辺にザゼンソウが群生しています。


ザゼンソウにカメラを向ける。


Akariの作品3 上記の位置からの撮影はピンボケのため、別位置からの作品。


水芭蕉もそうですが、このザゼンソウも周囲に枯れ枝や腐敗した枯れ葉等が散らばっていて、ストレートに撮影すると汚れの多い画像になってしまいます。ここではセンターフォーカスフィルターで周囲をぼかしてみました。


同じく周囲をボカかして撮影。

このザゼンソウの群生地は、苗穂公園の北側出口に近いところにあります。出口からさらに500mほど進んで右手に曲がると、澤地があります。その澤地が水芭蕉の群生地になっています。澤地の手前が雪捨て場になっていたのか、残雪が山のようになっていました。その小山を越えて、枯れ枝をかき分け進むと、一面の水芭蕉です。


水芭蕉全部が画面に入らないといって、後ずさりする孫娘。


CASIOのコンデジでパノラマ撮影。上の画像(CANON EOS40D画像調整なし)と水芭蕉の緑の葉を比べると、CASIOの画像の発色が地味なことがわかります。

水芭蕉がこれだけ群生していても、どうしても湿地の中が枯れ木や腐敗した枯れ葉が多く、また水芭蕉そのものも、葉や額の一部に腐敗したような痕跡が多く、きれいな写真が撮れません。汚れをオブラートに包むように、ソフトフィルターをかけたり、モノクロで撮影したり工夫してはいますが…毎回同じような写真になってしまいます。さて水芭蕉については十分撮影したので、途中の景色を撮影しながら駐車場に戻ることにします。


アジサイに似たドライフラワーがあちこちに落ちています。公園の管理センターで確認すると、このドライフラワーは、「蔓アジサイ」だそうです。大きな木に寄生する蔓に額アジサイと同じような花が咲き、冬の間も腐敗せずに雪の下でドライフラワーとなっています。


古木の切り株に生えていた苔を、クローズアップで撮影。


日陰の小川をバックに照らし出された笹の葉。

孫娘は、途中で拾った松ぼっくりやクルミなどを大事そうに抱えています。どうするのと聞くと、ばあちゃんへのお土産だとか。う~ん…

旭岳・美瑛を回る~その1

2013-04-22 06:00:00 | 旅行
4月の5日~6日に、フォートピアのメンバー5人で、旭岳・美瑛の写真撮影に1泊どまりで行ってきました。旭岳の撮影については、昨年9月26日~27日に晩秋の旭岳を撮影後に、冬の撮影も行うべく決めておりました。ところが2月上旬以降、二日と晴れマークの続く日がなくて、延び延びになってしまっていました。4月に入って、やっと快晴の日がやって来たというわけです。

早朝6時に小樽を出て、札樽道・道央自動車道で旭川に向かいます。旭岳のロープウエーの始発が午前9時のため、始発に間に合わせるべく先を急ぎます。駐車場に到着したのが始発の10分前。カメラ機材にスノーシューを携えて急いで乗車券売り場会に向かいます。この時期ボーダーやスキーヤーがかなり行列していました。往復1800円の乗車券を購入し、急ぎロープウエーに乗り込みます。終点の姿見駅までは10分。斜面は前日の滑った跡でしょうか、シュプールがあちこちで見られます。


ボードやスキーを持った方が多く乗り込みました。


山肌には滑った跡が残っていました。


メタリックなゴーグルに周囲が映り込んでいます。撮影した私も右端に居ります。


ロープウエーを降りると、白銀の世界。まずは噴煙を上げる旭岳をバックに記念写真を撮る人たち。


ボーダーやスキーヤーたちは右手のコースに向かうようです。コースが決められていて、コース外の滑降は禁止されています。

さて我々は、ここでスノーシューをつけて旭岳の噴気孔を目指します。雪のない時期には散策コースが指定されていて、コース外を歩くことは禁止されています。しかし冬場は全面真っ白の、多分数mの積雪ですので、どこを歩こうが自由です。もちろん滑落などの危険が全くないわけではありませんが、そこは自己責任です。すでに写友のS氏とY氏は噴気孔目指して直進しています。姿見の池の展望台を目指します。残りの写友O氏とN氏は、体力的に自信がないということで、抜からない程度の周辺撮影にとどめるということです。


カンジキならぬスノーシューを履いて…、ありゃっ、左右反対に履いてしまったようだ。でも歩行に支障がないので、このまま進みます。


写友二人はもうかなり先まで進んでいます。


私は、彼らとは300mほど離れた右手の路を進みます。前方に小さく見えるのが姿見の展望台。なお、姿見というのは、この展望台と噴気孔の間に池があって、その池に旭岳の姿が映ることからそう呼ばれています。


途中で振り返ってみると、ロープウエーの姿見の駅から次々と上がってくる人たちが見えます。


スタートしてから小一時間も経過したでしょうか、やっと姿見の展望台に到着です。残念ながら姿見の池は雪に覆われて姿を見せていません。


シンボルタワーの鐘は、上部にわずか雪が付着している程度です。気温も結構高いようで、ジャケットが必要ないくらいです。

ここ姿見の展望台から手前の噴気孔までは400~500mくらいです。写友たちはと見ると…、なんと途中のクレパスのようなところで盛んに写真を撮っています。何か良いオブジェでも見つけたのでしょうか、帰りに寄ってみることにします。この展望台で20分ほど休んで、噴気孔に向かいます。


最初の噴気孔のあたりにはすでに写真を撮っている人がおります。


風紋を探しましたがほとんど見当たりません。ここ数日穏やかな天気が続いたのでしょうか。噴気孔に向かう途中にわずかに風紋、雪紋がありました。遠方に頂上を目指す方が2~3人見えます。


噴気孔から黙々と水蒸気が噴き出しています。写友二人とここで合流です。


しばし噴煙を撮影していると、外人のカップルがやってきました。ここはチャンスと、ブロークンイングリッシュでモデルをお願いすると、OKとのこと。写友3人でしばしパチリ、パチリ。彼らはスノーボーダーで、これからガイドとともに、ボード担いで、山頂付近まで上るとのこと。

われらは最初の噴気孔でかなり撮影しましたが、さらに奥の噴気孔を目指します。


あれれ、S氏はスノーシューをザックにぶら下げたままだ。それほど抜からないので、履くのが面倒だとのこと。

手前の噴気孔と奥の噴気孔の中間あたりまで行きましたが、大差がないので引き上げることにします。彼らは姿見の展望台を目指し、私は彼らが来た道を引き返します。


最初の噴気孔から吹きあがる煙越しに富良野岳が見えます。


写友二人は姿見の展望台方面に向かい、私はクレパス(もどき)に向かいます。


写友二人が長時間撮影していたのがここ。右上に足跡が見える。う~ん、どう見てもただの穴のようにしか見えないが…

さて十分撮影したので姿見の駅に戻ります。噴気孔には行かなかった二人は休憩所で待っておりました。ロープウエーの乗降客を狙ってスナップ写真を撮っていたとのこと。スキーウエアーがカラフルで、よい写真が撮れたとホクホク顔でした。


なるほど窓のツララ越しに、カラフルな団体が通り過ぎてゆきます。

ロープウエーが到着するたびに、カラフルなウェアーを着用したボーダー・スキーヤーが通り過ぎてゆきます。ある団体は旭岳をバックに記念写真を撮ったり、愉快なポーズをつけて撮ったりと、見ているだけで楽しくなります。そうこうしているうちに写友全員がそろい、下りのロープウエーで下山します。降りる間も盛んにシャッター切っています。


滑降コースの途中に、小山があって、記念写真を撮っているようでした。

駐車場に戻ると12時半でした。走行中の車内で昼食を済ませ、美瑛に向かいます。この快晴の天気なら何かいい写真が撮れそうな予感がします。道道212号線・213号線に沿って、ぜるぶの丘やケンとメリーの木のある北美瑛に向かいます。この道道は、美瑛町、東川町、東神楽町が入り組んでいて、撮影地の指定に戸惑います。こういう時はJSP機能付きコンデジが役に立ちます。Y氏が盛んにコンデジで位置を確認しています。

212号線と213号線がクロスするあたりで、大量のこいのぼりが舞っているのを発見しました。明徳小・中学校の校庭一杯に翻っています。早速下車し、校舎内いた先生方に挨拶して撮影に取り掛かります。始業式(多分週明けの8日から)が始まっていませんので、子供たちの姿が見えないのは残念ですが、これだけの数のこいのぼりは、写真以外では見たことがありません。


バックの雑木林が…、山の中の学校ですので周囲はみな同じ。


道路わきのカーブミラーにも映り込んでいました。ついでに私も右下に映り込んでいます。

晩冬の美瑛の丘については次々回取り上げます。

イヌの散歩道~水天宮編

2013-04-18 06:00:00 | 街中ウォッチング
毎朝犬を連れて30分ほど自宅周辺を散歩するのが日課になっています。私の大反対を押し切って、我が家にイヌがやって来たのが平成17年ころ。メタボ防止だ、健康にいいという家内の甘言に騙されて、もう8年近くもイヌの散歩に付き合っています。最初の内は自宅から北運河近くまで片道2km弱を往復していましたが、さすがに小型犬のパピヨンにはきつい散歩だったようで、家に戻るとバタンキュー。とろとろ歩きではメタボ解消にほど遠く、いつしか距離が短縮、メルヘン交差点、入船ガード下、双葉高校横、JR南樽駅、自宅というコース(JR南樽駅コース「2013.1.24イヌの散歩道」)になってしまいました。距離にして1km弱を30分ほどかけて、回っています。

4月も中旬となると、雪解けも進み春らしくなってきました。道の片隅にはクロッカスが咲き始め、水仙のつぼみも日に日に膨らんでいます。気持ちの良い気候に誘われて、普段とは違うコースに行ってみることにします。雪が降る前には時々イヌの散歩に行っていた水天宮コースです。冬期間は道路が雪に埋もれとても登ることが出来ません。雪が解けたので登れそうだということで向かってみました。


自宅を出ると、ところどころ残雪の山。


メルヘン広場の交差点を渡ります。中国人の団体がオルゴール工房に向かうようです。


メルヘン広場の「銀の鐘」の店員さんにじゃれついてしまいました。家にもいるんですよ…としばし歓談。


堺町郵便局の横小路、銀の鐘の流氷館の前を通ります。


今は閉校となったデザイン専門学校の横を回ると、目の前に水天宮の急坂が現れます。写真にすると勾配がわかりませんが結構きつい坂なんです。

この坂は途中からあまりにも急なために階段状になっていて、車が通りぬけることが出来ません。冬期間は、市の除排雪が入らず、坂の両端の住民による除雪に頼っています。景観は海が見えていいのですが、住環境としては、とてもお年寄りに優しいとはいえません。そういうこともあってか、坂の途中には廃屋があちこちに見られます。


坂の途中にクロッカスが咲いていました。


駐車場の一角にフキノトウが顔を出していました。なお、道産子には、フキノトウを食べる習慣がありません。内地では珍味も、ここではただの野草。


アジサイがドライフラワーになっています。この画像の右手も空地。


坂の途中の廃屋。数年間このまま放置されています。


この辺りはまだ車で登れます。手前の屋根に飾り(雪止め)のある建物の「破風」を見てください。奥の2F建は別棟です。手間の家には1棟で3つの破風がありますが、最奥の破風(玄関)はべニアでふさがれています。何か不思議な感じがして撮ってみました。


坂の半分近く来たでしょうか、右手に見える建物2棟空き家です。この辺りの斜度は30度ほどあります。左側の石垣の敷地もほとんど平地で荒れ放題です。


空き家になって10年ほどでしょうか、周囲の樹木が伸び放題。


石段の隙間からフキノトウが顔を出しています。

途中何度も休憩を取りながらやっと石段を登り切りました。なお、水天宮は標高53mほどあります。水天宮に至る道路は大きく分けて三つあります(2010年9月22日付「小樽は坂の街」参照)。一つは今登って来た道で(相生町の坂)、メルヘン広場や入舟町の道路に通じる道です。もう一つは境内から海側に降りる外人坂です。この坂は相生町の坂よりも、さらに急坂で斜度40度近いのではないでしょうか。夏場でも上から見ると、転げ落ちそうで怖くなります。もちろん冬場は足跡さえ見られません。

もう一つの路は花園町からくる道ですが、鳥居をくぐると30段ほどの石段となっています。となると水天宮には車で来ることはできないのか、という疑問がわきますが、ご心配無用。細いながらも道があります。ひとつは、旧堺町小学校前、旧板谷邸前から観光街の堺町通りに出る道(ただし冬期間は通行止め)。もう一つは堺町小学校近くから山田町に抜ける道です。いずれにしても、この水天宮というのは交通の不便なところに立地しています。話がずれましたが…


やっと境内に着きました。


境内の芝生の部分にはまだまだ雪が残っています。


境内から外人坂を見ると雪がかなり残っていて、降りられそうもありません。


この境内は港の眺めがとてもよく、小樽市指定の眺望展望台となっています。新潟行きのフェリーが午前10時半の出港を待っています。


また雪に埋もれた境内の片隅には石川啄木が、小樽を歌った碑がたっています。「悲しきは 小樽の町よ 歌うことなき人々の 声の荒さよ」小樽は貿易で栄えた町で、啄木が小樽の新聞記者をしていた時代は、はしけの沖中師たちが活躍していた時代です。自然大声を張り上げあららしい言葉が飛び交っていたと思います。繊細な啄木にはなじめない言葉だったのかもしれません。

(注) 石川啄木は明治40年9月来樽、小樽日報社に勤務、後の童謡詩人・野口雨情とともに記事を執筆するも上司と対立。2か月余で退社。釧路新聞社に勤務するも、ここでも上司と対立して3か月余で退社。その後函館でも長続きせず東京に向かう。(Wikipediaによる)


本文中のカラー写真は、4月12日撮影、CASIO EXILIM Z3000による。モノクロ画像は、4月14日撮影、LUMIX DMC TZ30による。

冬の情景Part4~in Hokkaidou(モノクロ編)

2013-04-14 06:00:00 | 写真
前回はPart3として、モノクロによる小樽の冬の情景を取り上げましたが(2013.1.16「冬の情景inOTARU)、今回はエリアを広げて北海道の冬の情景を取り上げてみたいと思います。と言っても全道あちこち雪景色を撮りに歩いたわけではありません。後志管内、札幌市内と昔勤務したことのある釧路等が中心になります。出来る限りフィルムカメラで撮影したモノクロフィルの画像を中心としますが、一部デジタル画像をモノクロ変換したものも含みます。もっともよく出かける後志管内はニセコ・洋蹄山麓の画像から紹介します。


(1) ニセコ・洋蹄山麓


夜明け直後でニセコ連峰の山の頂付近に朝日が当たりました。


同じく方向を変えてみると、雲の隙間から朝日が差し込んでいます。


山の斜面に木々の影が出来ました。


湯元温泉・雪秩父温泉旅館の源泉付近で撮影。緩やかなうねりの一部に小さな木が、自己主張しているようにも見えます。


二本のサクランボの木と羊蹄山が見えるニセコ曽我地区の撮影スポットです。午前7時過ぎ羊蹄の裾から陽が上がってきました。気温-15度でした。


道道393号線線終点付近の撮影スポットです。


ニセコのスキー場近くのラーメン屋で出会ったオージー(オーストラリア人)たち。気楽に写真に納まってくれました。この店のお客の6-7割がオージーたちでした。


(2) 札幌・石狩・近郊


平成15年3月5日、JRタワー・ステラプレイスのオープンを翌日に控えた5日の午後5時過ぎに撮影しました。当時札幌に勤務しており、いつも鞄にコンパクトカメラを忍ばせ行き帰りに撮影して歩いたものです。ISO400のモノクロフィルムを詰めており、ぶれないように左側のガラス戸に体を押しつけて数枚撮ったうちの1枚です。


雪にまみれながら通勤していた頃が懐かしくなります。


みぞれ交じりの雨模様の夕方でした。


滝野霊園にはなぜかモアイ像がたくさん並んでいる…


初冬の頃、手稲駅から石狩花畔(バンナグロ)に抜ける道道石狩手稲線の脇にはこのような農村風景がたくさん残っています。


石狩川郊外では、-15度を下回る日には樹氷の花が咲きます。


樹氷はモノクロで撮影してもきれいですね。


栗山町のパラダイスヒルズ温泉の近くで撮影しました。内陸なので真冬は-20度近くまで下がり、樹氷が見られます。


同じくパラダイスヒルズの近くで撮影。歩くとキュッ、キュッと音が出ます。


風景だけではなく冬の人物も取り上げてみました。カクマキなんて、TVドラマ「おしん」か、「新十津川物語」でしか見たことがない方も多いのではないでしょうか。この画像は開拓の村モデル撮影会の時のものです。


もう一枚、モデル撮影会の画像です。一般的には視線の前にスペースを持ってくるのですが、この場合は、前方がごちゃごちゃしているのであえて後方にスペースを取ってみました。この画像決定的な致命傷が…モデルが7分袖の下着をつけていることです。


(3) 美瑛・富良野・旭岳


旭岳の風紋、山岳用語ではシュカブラという。


マイルドセブンの丘は冬期間は積雪で近寄ることが出来ません。


日没近くまで粘って防風林の奥に日が落ちるのを撮りました。


美瑛美望橋付近。


(4) 道東


釧路市内のぬさまい公園から、幣舞橋、フィッシャーマンズワーフを見たものです。釧路は雪はあまり降りませんが、いったん降るとそれがガチンガチンに凍ってしまいます。


細岡展望台付近の釧路川。河畔の樹木に樹氷が付きそれが朝日に照らされています。カラーで見るとまるで真冬の桜に見えます。


屈斜路湖を津別峠手前の展望台から見ると、結氷した湖面に風紋が広がっている。


十勝ばれの日、豊頃のハルニレの樹の近くの堰堤をダンプカーが走る。


(5) その他


私の生まれた雨竜町の江竜橋付近のハサギ(昔は刈り取った稲を木と木の間に渡した丸太にかけて天日干ししました、それらの木々をハサギと言います)。


長万部の海岸から内浦湾越しに駒ヶ岳が見えます。


大沼から見る冠雪した駒ヶ岳。


冬の積丹の浜辺、夏の積丹ブルーの穏やかさとは打って変わって、荒れ狂う。




新しいスキャナーを購入しました

2013-04-10 06:00:00 | デジタル
10年ほど前に購入したスキャナーがついにダウン。フィルムのスキャンが出来なくなってしまいました。そこで思い切って新しいスキャナーを買ったのです。スキャナーには、(1)フィルムだけを専門に取り込むスキャナーと、(2)コピーを兼ねたり、写真を取り込む機能も兼ねたスキャナーもあります。さらには(3)プリンタとスキャナーが一緒になったタイプもあります。

私が持っていたのは、2番目のタイプで、フラットヘッドと呼ばれるタイプです。10年ほど前に購入したのはCANON製の5200Fと呼ばれるスキャナーで、最高解像度が2400dpi、35mm判フィルムのみ取り込むスキャナーで、セミ判(6×4.5㎜)や6×6判などのブロニーフィルムは取り込みが出来ませんでした。価格的にも2万余円と、中級機でしたが…。ところが昨年1月にPCをWindows7に切り替えたとき、5200Fの対応ソフトがなくて(アップデートされていない)、インスツール出来ず、やむなく古いPC(WindowsXP)でデーターを取り込んでいました。その5200Fも寿命が尽きたのか電源が入らなくなって、ただのゴミと化してしまいました。

新しいスキャナーは、CANO SCAN9600F Mark2と言い、キャノン製品のフラグシップ機であるMark2のネーム入りです。3月14日に新発売された製品ですが、価格ドットコムで最安値を見ると、なんと23000円台で購入できることがわかり、即購入しました。


梱包用外函を写しました。

主な仕様・スペックは下記のとおりです。

35mmフィルム スリーブ(6コマ)、マウント
ブロニーフィルム スリーブ(セミ判、6×6判、6×9判ほか)

スキャンスピード
35mmネガ 9600dpi 6分10秒  1200dpi 18秒
35mmポジ 9600dpi 2分10秒 1200dpi 10秒
L判カラー写真  4秒
A4判カラー文書 7秒 

実際には35mmフィルムを最高解像度の9600dpiで取り込むことはなさそうです。ワンカット取りこんでデジタルデータ化すると、約800~900MBとなってしまいます。1画像で1GBに近いデーターは、明らかにオーバースペック。PCがパンクしてしまいます。ということで今回は取り込んだ画像をもとにブログを書いてみました。5200Fと9600FMark2との画像比較や、数十年前のフィルムから出てきた画像を交えて見ていきます。


(1) スキャナー両機比較


5200F機による35mmポジフィルムの取り込み(出力2400dpi)。画像は平成11年ころ小樽マイカル(現WingBay)に出店した石原プロワールドの受付嬢を撮影したものです。5200F機は赤い部分が多いと、全体に紫っぽいモヤがかかったようになります。解像度2400dpiですが、画像中心部を拡大してみると(拡大率200%)…


かなりシャープさが落ちています。チラシの文字は解読不能です。


9600F機による取り込み(出力2400dpi)。上の画像との差は歴然です。


200%に拡大した画像ですが、チラシの文字も割と鮮明に読み取れます。


5200F機による35mmネガカラーフィルムの取り込みです。


9600F機による35mmフィルムの取り込みです。上のカットは小樽雪あかりのフォトコンテストで「ぬくもり賞」となり、原版を主催者に渡したために、上のスキャナーで取り込んだ画像しか残っていません。したがって、下の画像はコマ番号が隣のカットになっています。両カットともに、スキャナーで取り込み後ソフトで調整しています。ソフトで調整後は両機に大差は見られません。


(2) 大判フィルムの取り込み

スキャナー比較はこれくらいとして、5200Fでは取り込めなかったブロニー判フィルムが、9600Fで取り込めるようになったが最大のメリットです。中学生、高校生時代にオヤジのカメラ(パール2型、セミ判)を借り出して撮ったフィルムがデジタル化でよみがえりました。ここではセミ判、6×6判、6×9判を取り上げます。

9600F機では、セミ判、6×6判、6×9判の判断は機器が自動で行います。手動で出来ないのが残念ですが、自動判別するために、珍現象が起きることもあります。それは後で述べるとして、セミ判から見てみましょう。


中学校3年生頃の遠足の時のカットです。新十津川町との間の尾白利加(おしらりか)川にかかるつり橋で撮影。


コマの間が重なったために、機械は6×9判と判断したようです。中学3年の時の修学旅行で十和田奥入瀬をまわったとき撮影。


ロシア製の二眼レフカメラ「LUBITEL」で、平成7年に撮影した画像。現役時代青森支店から釧路支店に転勤し、単身赴任していた頃の画像です。当時住宅が鶴ヶ岱にあって、広い一戸建ての住宅を手に余していたことを思い出しました。また前年の平成6年10月に、根室沖を震源とするマグニチュード8.2の最大級の東方沖地震が発生し、釧路根室に大きな被害が出ました。


昭和11年製の六桜社(のちのコニカ)リリー(6×9判)によるカット。ポジフィルムによる。リリーについては、2010.12.25日付ブログ「コニカという名のカメラたち~その2」に詳しく述べております。


上と同じ。ネガフィルムによる。


オリンパスペンのようなハーフサイズのフィルムでは、二カット同時に取り込んでしまいます。画像は昭和50年代の東京競馬場のパドックです。

ちなみにこれら以外のフィルムの取り込みはどうであろうか、という疑問がわいてきます。文書やカラー写真が取り込めるのですから、フィルムガイドレールから外れたサイズでも取り込めると思うのは当然です。ちなみにベスト判(4×4cm)で試した見ましたが、取り込みOKでした。それでは110判は?これはポケットサイズのカメラのフィルムです。もちろんデジタルデータ化できました。


110判のフィルム1ピースまま取り込みましたが、ここでは半分にカットして例示しました。昭和50年ころの画像で、カメラはAGFA110です。右端の画像は私自身で当時30歳台前半の頃でした。


<昭和30年代初めの頃~オヤジのパール2型を持ち出して>

私が中学、高校の頃にパール2型カメラで撮影した画像がたくさん出てきました。そのほとんどはモノクロ画像ですが、取り込んでみると当時の記憶がよみがえってきます。ここで最後に何カットか紹介します。


中学3年3月の卒業式後の謝恩会にて。当時はカメラが大流行し学校に持ってくる子も多かった。


同級生たち。このカットは、当時現像プリントしてくれた地元の写真屋さんに、いいカットで、友達の表情が生き生きしている、とほめられました。


なぜか、放課後に弁当を食べている…。思い出せません。


中学校の校庭で、友人にシャッターを切ってもらった一枚。3年生の夏でした。今は珍しくなった木のサンダルを履いて自転車で通学していたことを思い出しました。


この美人は?友達でも恋人でもありません。写真屋のオヤジさんに誘われて、生まれて初めてモデル撮影会に参加しました。今見ると、モデルの前が空きが少なくて窮屈な感じがしますね。


モデル撮影会のカット。昭和33年ころだったと思います。地元雨竜町神社の境内でした。

機会があれば、高校生、大学生のころの写真も取り上げてみたいと思います。  

東京・横浜散策~その3

2013-04-06 06:00:00 | 旅行
二日目の夕食は、ホテル地下1Fのカフェフローラのイタリアンバイキングということでしたので、一瞬カフェ?と思いあまり期待はしていませんでした。カフェの入り口の案内を見ると、夕食バイキング、お一人様3500円とあります。ウエイターに案内され席に着くと、周りの席のテーブルよりも、ナイフ&フォークの数が多い、不思議に思っていると、この予約席はコース料理も選べるとのこと。結局はコース料理+バイキングという私のいとっては超豪華版の夕食になってしまいました。

店内をよく見てみますと、私たちのテーブルの横壁には幅1mほどのミラープレートがかかっていました。よく見るとACミランとあって、サッカー選手たちのサインが書き込まれています。さらの店内を見回すと右手には、スペインマドリードのプレートがありました。都合5枚ほどのプレートがあります。サッカー界世界の強豪チームのプレートでした。それだけここの店が超有名なのでしょうかね。


ACミランが欧州のどこかの国の強豪チームであることぐらいは知っています。

サッカーにそれほど興味がありません。それよりも夜景の撮影が気になります。そそくさと夕食を済ませ、疲れて歩けないという家内を部屋に残し、カメラ片手に夜の街に飛び出しました。まずは汽車道から赤れんが倉庫群、そして大桟橋へと向かいます。


ホテルを出るとまず目に付くのが係留されている日本丸。ライトアップされていて貴婦人振りの一端がうかがえます。


海岸沿いを遊歩道のある汽車道に向かいます。手前のボートと観覧車をからめてパシャリ。


明治時代に使われた橋やレールが利用されています。この辺りは若者たちのデートコースです。


しばらくこの汽車道を進むと赤れんが倉庫群の前の出ます。明治の終わりころ倉庫として作られましたが、その後廃墟のような状況でしたが、平成13-4年ころから改装されて、ショップや飲食店が入居して、一大観光スポットとなりました。倉庫の中には入らず、先を急ぎます。


赤れんが倉庫群を過ぎたころから前方にベイブリッジが見えてきました。夜間毎時00分から5分間だけ橋が青くライトアップされるのですが、まさにライトアップされている最中。


このオブジェもよく見かけます。


大桟橋の中は一部青いランプで、宇宙に迷い出たような不思議な感覚に陥ります。


大桟橋からみなとみらい方面を望むと、この日は強風で波が荒く海面への映り込みが全くなく、期待外れに終わってしまいました。

この日は結構風が強く、街中の立て看板が吹き飛ばされることもありました。夜間ではっきり確認はできませんが港内の海面もかなり波立っているようです。これでは海面に映り込む夜景の撮影は無理のようです。そこでホテルの戻るべく、大桟橋を出てみなとみらい線の日本大通り駅に向かいます。途中で珍しいものに出会いました。三輪バイクが、見事にLEDライトに飾られていて、今まさに、バイク店の店先から出発しようとしているところでした。


二組のバイクが同じように飾り立てられています。聞くと小遣い全部車につぎ込んで、家内に叱れていますとのこと。後部座席に乗っている奥さんが笑っていました。


爆音を残してぎらぎらのバイクが出ていきました。


ホテルに戻り、部屋の窓から撮った一枚。

さてホテルに戻り、一風呂浴びて寝ることにします。ただ外はかなりの強風が吹いているようで、窓ガラスも音を立てています。その音に朝の4時頃目が覚めてしまいました。高層ビルということもあるのでしょうか、あるいはTV放送では強風の注意予報が出ていましたが…ともあれ窓からのぞくと、これまた美しい夜景が目に飛び込んできました。小型三脚を使って、小1時間も撮影に熱中してしまいました。


汽車道が美しい軌跡を見せている。


午前4時、まだ真っ暗な中なのに、街は動き出している。

再度一眠りして午前8時頃に目覚めました。TVでは昨夜の強風についての報道がされていて、市内の街路樹が倒壊して、停車中のタクシーを直撃したといっておりました。なお、朝食は70Fのレストランでバイキングでした。窓際のテーブルが満席で、奥に案内されたので、外の景色は見えませんでした。これまでのお土産品等を段ボールに詰めホテルから自宅あて発送してもらい、9時ごろには身軽になってチェックアウトしました。それでもキャリングケースとカメラバッグをみなとみらい駅のコインロッカーに預けます。まずは中華街へと向かいます。


みなとみらい線の終点・元町中華街駅からは徒歩5分ほどで中華街へ。あちこちの店で「食べ放題・150数種類」の看板が見られます。値段も1500円台から2300円ほどで。リーズナブルかと。


ブタまんを食べ歩く人もちらほら。


こっちを見てください!といったわけではありませんが…立ち食いする娘さんたち、中華街ではこれが普通。


おおっ、これまたナウい!

家内は孫たちへのお土産を物色、横浜勤務の折(昭和の終わりころ2年間)よく食事に入った「聘珍樓(ヘイチンロウ)」でお土産を調達したようです。ここの肉まん、餡まんはとても美味しくて、宅配・通販で求めるよりサイズが一回り大きいとか。さて次は、横浜から小樽に里帰りする際再三お土産として持ち帰った、「かをり」のレーズンサンドを求めに日本大通りへと向かいます。横浜在勤の折に、地元の職員からよく聞かされたものでした。かをりのレーズンサンド馬車道十番館のビスカウトが横浜を代表する銘菓であると。

さてこれでお土産の心配は全くなくなりました。あとは観光めぐりですが、いかんせん夫婦ともに老齢、こう歩きづめでは腰がもちません。娘に進められていたカップヌードル博物館へと向かいます。


歴代のインスタントラーメン、カップヌードルが展示されています。


試食コーナーもありますが、さすが横浜まで来てカップヌードルは…


3Fのテラスでは横浜港を眺めながらだべっている。

昼近くになりましたが、とにかく疲れてしまい、ゆっくり休めるところということで、みなとみらい駅のあるクィーンズスクエアで昼食を取りました。その後みなとみらい線で横浜に出て、京急電鉄で羽田空港に向かいました。

最後に六本木ヒルズ53Fで行われていた会田誠展と羽田空港のロビーで行われていた細川がラシャ展について照会しておきます。会田誠展については事前に何の知識も持っておりませんでした。たまたま東京シティビューの入場券に53Fで 展覧会「天才でごめんなさい 」と題して行われているとみて、入ったにすぎません。大きな部屋一面に絵画、アクリル絵、屏風絵あるいはダンボールを加工した工作物が大量に展示されていました。中には文庫本のページに色彩が施され数千枚のページが高さ10数mにも張られていたり、とにかく度肝を抜かれました。一部を除いて撮影禁止ですので、ご紹介できませんが、興味のある方は「会田誠展 天才でごめんなさい」を検索してみてください。


唯一写真撮影OKの作品「考えない人」(Creative Commons License Rulesに従って表示しております)
台座を含め5mほどの高さで、金色のう○この上に座っているように見えました。

一方細川がラシャ展は、羽田空港出発ロビーの右最奥で遺品や掛け軸等が数点展示されています。ご存じの通りがラシャは、戦国大名細川忠興の妻でもありますが、逆臣明智光秀の三女でもあったことから、本能寺の変後、領内に幽閉される身ともなりました。そのごゆうへいはとかれたものの、キリスト教に帰依し、Garaciaと名乗りました。1600年天下分け目の関ヶ原の戦い直前に、細川家が東軍に組みしたために、大阪城下で細川家を守っていたGaraciaは、石田三成の軍勢に敗れ37歳でその生を閉じました。




館内は撮影OKですが、展示物も少なく、入り口正面の絵の方がわかりやすい。

平成25年1~3月期の写真コンテストの状況

2013-04-02 06:00:00 | フォトコン関係
う~ん、このところ写真コンテスト選外続きで多少落ち込んでいます。3月の初めに3件の入選通知が届いた後は、選外、落選の連続で、泥沼にはまってもがいているような状況です。もがけばますます深みにはまる…、1月、2月、3月ともに各3件の入選で計9件にとどまりました。平成24年は17件、23年が14件から比べても…、まあこんなこともあるさという気分です。

そういえば、今年の元旦に住吉神社で引いたおみくじが「小吉」、2年連続で小吉。おみくじには次のように書かれていたことを思い出しました。「努力が空回りし、どうにかしようと力むほど幸運が遠のく。思うように身動きが取れず。反面失敗もうまくかわすことが出来る…略…目先の欲に駆られて動くよりも、地味な道を選んで自分自身を厳しく律すること。」九星運勢の立て看板も似たようなことが…「万事進み過ぎると破運を招く恐れがある…自惚れは大けがの元…」

ということで大いに反省、今後は腰を落ち着けじっくりと慎重に進めることを思いながら、1~3月期を振り返ってみたいと思います。1月早々に、ここ数回選外続きであったTAMRONの「マクロレンズフォトコンテスト」の入選通知が飛び込んできました。以下主な入選作品を紹介いたします。


☆ 第9回TAMRONマクロレンズフォトコンテスト 入選「水中花」

交換レンズメーカーのTAMRONが主催しているフォトコンテストには、このマクロレンズフォトコンテストともう一つ鉄道フォトコンテスト(鉄道の町さいたま市と共催)があります。ほぼ時期を同じくして開催されます。鉄道フォトコンテストにも数年前に入選したことがありますが、鉄道はそれ専門に撮影する「鉄ちゃん」がおりますので、入選は難しいのが現状です。こちらのマクロレンズフォトコンも数回目にして、やっと入選にこぎつけました(応募総数5429点)。


北海道の桜はゴールデンウィーク頃が例年満開になります。神社の境内にある手水鉢に落ちた桜を狙いました。バックがわずかに青色、ピンク、黄色になっているのは参道に建てられた「九星運勢」の立て看板の色が映り込んだものです。


☆ 我が家のフォトコンテスト IQ君賞「あれから5年、我が家の孫狸たちは…」

保険クリニック社のWEBフォトコンテストで、「ほっとショット」「元気ショット」「面白ショット」が、おのおの最高10万円という高額賞金に、ついふらふらとなって応募しました。残念ながら最高賞は取れませんでしたが入賞はしました。なお画像は…、何分被写体となってくれた孫たちのうち、真ん中の孫娘は小学校の高学年、年頃でもあります。「ジジ、ブログに載せるのやめてねと念を押されています。なんでも、学校のPC授業中に孫たちの画像が出てきて恥ずかしかったとか、ということで画像はカットしますが、入選作品一覧がありますので、リンクを載せておきます。


☆ 余市ビンヤードフォトコンテスト 佳作「冬の準備作業1」

余市というと、ニッカウィスキーの工場があることや初の日本人宇宙飛行士毛利衛さんの出身地として有名です。また余市はリンゴをはじめブドウ、さくらんぼなど果物の産地としても有名です。小樽市には小樽ワイン(ブランド名)を製造する「北海道ワイン」(社名)がありますが、隣町の余市にも、余市ワイン(ブランド名)を製造する「日本清酒余市ワイナリー工場」(社名)があります。その余市のブドウをテーマにした第1回のフォトコンテストが「余市ビンヤードフォトコンテスト」なのです。


画像そのものは、平成15年11月とかなり古いものです。この年は、平成23年秋と同様かなり遅く秋終盤まで残暑が続いた年で、ブドウの葉が例年にないほど赤く紅葉した年でした。たまたま剪定作業をされていたご主人が「もう何十年もブドウを作り続けているが、これほどきれいに赤くそまった葉は初めてだ。珍しいので写真に撮って送ってくれ」と言われたのを昨日のように覚えています。

なお、2月23日(土曜)に「余市産ブドウ・ワインふれあいセミナー」が開催され、その席上でフォトコンテストの表彰式がありました。


☆ 秀景ふるさと富士写真コンテスト 佳作「残雪の頃」

富士山を取り巻く県や市町村では,様々な「富士山写真コンテスト」が実施されています。もっとも代表的なのは「冨士忍野フォトグランプリ」でしょうか。かつてはグランプリ=100万円の賞金が出ていましたが、最近は30万円に減額されているようです。こうした写真コンテストの中のひとつに静岡県主催の上記写真コンテストがあります。撮影対象が、全国各地にある〇〇富士と呼ばれる山が対象です。北海道にも蝦夷富士(=羊蹄山)をはじめ各地にあります。


蝦夷富士、羊蹄山を撮影したものですが、倶知安町富士見町にある十割そばの看板を掲げた蕎麦屋さんの裏手にある遊水地に映り込んだ羊蹄山を撮った一枚です。


☆ 円山動物園フォトコンテスト 入選「ホットスポット見っけ」


寒い日でした。屋外に飼われているサルたちは少しでも暖気のあるところを探して、体を寄せ合い寒さをしのいでいます。なお、2点応募しましたがどちらが入選しているのか連絡がないため分かりません。もう1点は、鼻水を垂らしたオオカミを撮影したものですが、独断でサルのほうだと決めました。


☆ 家族のスマイルフォトコンテスト スマイル賞「仲良し三兄妹」

HDC(ハウジング・デザイン・センター)神戸が主催する、家族を扱った写真コンテストです。


孫たち3人兄弟が我が家の横小路や玄関前でボール遊びをし、一休みしたところを撮影しました。この孫たちも成長して、この4月には孫長男が中2、孫長女が小6、孫次女が小4となりました。


☆ 寒い写真コンテスト グランプリ「チャリ、ただいま冷凍保存中」 服部賞「君といれば寒さも…」

京都市に本店を置く寝具関係のメーカー「大東寝具の楽天市場店」アステが開催するフォトコンテストです。2点が上位入賞しました。なおグランプリ商品として「座・きまま」と称するビーズ入りで変形する座椅子型クッションと、かえカバーが3組セット+小物セットでした。娘が早速NETで調べたらしく、5万円相当とか。家内をはじめ孫たちが使っています。


あるアパートの階段下に置かれた自転車です。物置がないせいか、階段の鉄柱にロックされ冬期間そのまま雪に埋もれたようです。春の訪れとともに三寒四温の日が続き、雨だれが夜間結氷したために氷漬けのチャリンコになってしまったようです。


こちらは服部賞となった画像です。室蘭市の祝津公園で落日を眺めるカップル。3月とはいえとても寒い日で、男の子の前かがみ気味の姿勢からも寒さが伝わってくると思います。


☆ 札幌ステラプレイス10周年記念「星の写真」コンテスト 佳作「御岳スターの木」

JRタワー札幌ステラプレイスは今年の3月6日で開業10周年となります。なぜ詳しい日まで覚えているかというと、JRタワーオープンの前日、札幌大通近くの勤務先から小樽に帰宅する際に、オープン前日の様子をコンパクトカメラにモノクロフィルムを詰めて撮ったからなんです。1Fのフロアーのあちこちに3月6日オープンの文字が飛び交っておりました。今回のフォトコンでは、星をイメージするものなら何でもOKです。


東京都青梅市の郊外の御岳山(ミタケサン)の麓、多摩川渓流沿いに生える大きなイチョウの木が一本。その堂々たる枝振りが賞賛されていつからか「御岳スターの木」と呼ばれるようになりました。秋口になると周囲の紅葉が濃くなる中そのイチョウの黄色が映え、観光客が押し寄せます。またこの渓流でラフティングを楽しむ若者たちも絶えません。
なお、余談になりますが、御岳山は「ミタケサン」と読みますが、あの有名な木曽の御嶽山は「オンタケサン」と言います。ところがJR青梅線のここの駅は、「御嶽駅」と書いてミタケ駅と呼びます。ああ、頭が混乱してきました。

主な入選作品を紹介いたしましたが、ここで1~3月中に写真コンテストの表彰式が2回行われました。その様子も紹介しておきます。

<余市ビンヤードフォトコンテスト>
2月23日余市町公民館で開催された「余市ブドウ・ワインふれあいセミナー」が開催され、余市町長のセミナー開催の挨拶のあと表彰式が行われました。同公民館の1Fスペースに、入賞作品7点がが展示されておりました。





<札幌トヨタ GO!GO!フォトコンテスト>
このフォトコンテストは、北海道の四季部門は春夏秋冬、季節ごとに実施されていて、またドライブ・笑顔部門は年2回の実施となっています。いずれも創立50周年記念事業ですのでここ2年ほどの期間限定のフォトコンテストのようです。今回の表彰は北海道の四季部門が夏と秋の入賞を、ドライブ・笑顔部門はH24年下期の分が表彰されました。


札幌トヨタ総務グループ長の挨拶で表彰式が始まり、各部門の入賞作品がプロジェクターで大写しにされます。


表彰式の後に、今回の審査を担当された旭山動物園専属プロカメラマンの今津秀邦先生から、主な入賞作品について講評がありました。

最後に、今津先生の作品(動物園内の動物たちや街角スナップ)をもとに撮影の狙い撮影方法について30分ほど解説がありました。なお、私の入賞作品は、北海道四季部門・夏で銀賞(題名「ラフティングを楽しむ」)でした。


<審査担当今津秀邦先生講評>
子供たちが急流下りを楽しんでいるのがストレートに伝わってきます。また水しぶきの動きにも臨場感があります。