紅露の写真日誌…北の大地・夢空間

小樽・札幌の風景、イベントが中心

ベトナムハノイの旅~ハロン湾めぐり

2011-06-29 06:00:00 | 旅行
15-16日は世界遺産のハロン湾、焼き物で有名なバッチャン村の見学です。午前8時半にホテルニッコーを出ますが、この時点で気温は37度、湿度も相当高く、ホテルから出たとたんに汗だくになります。

バスは市内を抜けて高速道路に入ります。この高速道路も橋も日本の資金技術援助で出来たものとガイド氏が説明してくれました。一般市民にも日本の支援は知れ渡っていて、対日感情が大変良いですよとのこと。

高速道路といっても、日本のそれとは幾分様相が異なります。料金所のゲートは自動車路線のみに設定されていて、バイクは右端のゲートのない部分から入ります。高速道路の右端にはパンを売るベトナム人が10数メートル間隔で10人ほどおりました。フランス統治時代に入ってきたフランスパンやナゲットが自転車の荷台に積まれ、オバちゃんが手を振って呼び止めます。


(高速道路と言っても、日本の一般道と大差ない ベトナム人はパンが大好きとの事)

高速道路を下りて街中に入ると、ハノイほどではないにしろ、バイクの数が増え通行が危険になってきます。案の定、私達のツアーバスが横を走っていたバイクと接触事故を起こしました。バイクの後ろ荷台に果実や野菜を満載し、その上に折畳んだ日除け傘を載せていたバイクのオバちゃんが、接触の反動で、1回転して路上に放り出されました。日傘がバスに接触したようです。幸い肋骨6本折ったた程度で済みました。

ハロン湾まで4時間ほどの距離で、途中トイレタイムです。障害者の授産施設に立ち寄りました。大理石の彫刻や漆塗り、絹糸による刺繍など主におみやけ品を生産、販売しています。


(ここのコーナーではフェルトに絹糸で刺繍をしています)


(携帯を身近に置いて…見事な絵が出来上がって行きます)

ハロン湾につくと、桟橋から次々とクルーズ船が出航していきます。その間を縫うように小さなボートが、果物を積んで観光船めがけて近寄っていきます。


(どの船にも小さな就学前の子供が乗っています)


(われわれの船にもボートが近づいて来て、子供が飛び移ってきて窓から果物を差し出し、買ってくれという仕草)


(クルーズ船内では昼食の料理が運ばれてきます)

料理はツアー代金に入っていますが、飲み物は別料金。こう蒸し暑くて汗が出ると、どうしても冷たい飲み物が欲しくなります。缶ビール3$(6万ドン=VDN、約240円)、缶ジュース、ミネラルウォーターは2$(4万VDN、約160円)と、やや高めです。缶ジュース(ミリンダ350ml)は、ニッコーホテルの向かいのマーケットでは、1本1.8万VDN(72円)でした。


(街中でも、炭酸飲料の種類は数が少ない コーラ、ミリンダ、スプライト程度でした)


(このボートは物売りではないようです)


(途中のはしけで集合写真を撮った時にも、果物売りが…)


(この湾にはこのようなボートが数多くいる)

このあと、クルーズ船はある島の桟橋に到着しました。この島には大きな鍾乳洞があります。鍾乳洞の写真は割愛し、更に唯一砂浜のある島に到着です。この島の高台がとても見晴らしが良いとの事。とてもこの暑さでは、470の階段を登る気にはなりません。私はパスしました。


(大人も子供も泳いでいます 森の中の赤いものは、ベトナムの国旗です)

その後ハロン湾の桟橋に戻り近くのホテル「ノボホテル」のチェックイン、すぐ夕食とナイトマーケットの見学に出ました。午後7時過ぎに西の空真っ赤になりましたが、バスは構わず、レストランに直行。


(バスを降りてじっくり撮りたかった…残念、この一カットだけでした)


(海鮮料理を捌いてくれる店員さん prettey girlというとニッコリ)


(ベトナム語ガイドブックを出すと、発音を教えてくれる…)


(ホテル10Fから見たハロン湾夜景 ベランダに出るとレンズが湿気で曇り、なかなか曇りが消えない…)

なお、鍾乳洞と夜市の画像についてはフォトチャンネル「ベトナム紀行」には掲載いたしました。

ベトナム・ハノイの旅~垣間見た生活・風習

2011-06-25 06:00:00 | 旅行
6月13日から17日までベトナム・ハノイに行ってきました。ベトナム人の生活や風習の一端でも写し撮れればと思いつつ、カメラ二台(EOS40D+PEN E-P1)持参です。

ベトナムは南北に約1500kmにわたる、南シナ海に面した細長い国です。人口は8500万人、かつては北緯18度線で南北に分断されて、10数年に及ぶベトナム戦争の後、1975年に、南ベトナムのサイゴン(現在のホーチミン市)陥落により、今の国家が出来上がりました。国家統一に大きく働いた人物が、ホーチミン氏です。彼の肖像は紙幣ににも使われています。現在は共産党支配の社会主義国家です。

前置きはこの程度として、行程は次のとおりです。新千歳発14:05、ソウルIncheon(仁川)着17:05、2時間25分の乗り継ぎ後、Incheon発17:30でHanoiに現地時間22:05着。先ず新千歳空港で戸惑ってしまいました。新しく国際線ビルが出来たと聞いておりましたが、工事中のためか案内標識と、実際の経路が相違していて、出発ゲートにつくまでうろうろ、ゲートまでの距離が長いこと、足の悪い人には気の毒なほどです。


(新しいターミナルビルは、国内線とは打って変わって、がらがら)


(Incheonでは2時間余のトランジットタイム 金髪の女性がPCを操作中)


(午後8時頃、日が落ちるとオレンジ色の帯が…)

ベトナムは日本とは2時間の時差があります。ハノイ着は日本時間では24時頃、ホテル着は午前1時頃でした。空港からホテルまでの間、屋外の景色を見ていると、家の玄関前や、道路脇の高台で、数人が集まって飲み食いしているようです。気温は夜とはいえ30度を越えており、かなり湿度が高いようです。日本のように冷房設備が整っていないベトナムでは、室内はまさに蒸し風呂状態なのかなと想像されます。

翌朝ホテルの涼しいベッドの中で、車の警笛音で目が覚めました。5Fの窓から眺めると午前7時頃にはもうラッシュアワーが始まっているようです。物凄いバイクの数と警笛音にビックリ。慌てて顔を洗い、カメラを持ってホテルの前の交差点に飛び出しました。


(ホテルの前はT字路になっている バイクの二人乗り、三人乗りは普通、四人乗りも)

交通ルールは、あって無きがごとく、車は日本とは反対に右側通行だが、左折車は対向車の到来に関係せず左折してしまう。赤信号で停止している車両も、黄色信号がないので、緑に変わる2-3秒前に飛び出してしまうのだ。横断歩道があっても、歩行者がいようといまいと車は停止せずに、歩行者を避けて進んでいく。とても危険で横断歩道など渡れたものではない。


(緑色のお姉ちゃんが交差点のど真ん中を渡りだした バイク、車が避けていく、なるほど急いで渡ると返って危ないのだ)

観光ガイド氏によると、ベトナムは、交通事故の発生が極めて多いとの事。事実、15日ハノイからハロン湾に行く途中、私達の乗ったバスが街中で大きな荷物を積んだバイクと接触事故を起こしましたし、高速道路では、正面が大破したトラックも見かけました。

ともあれ、14日は仲間5人で市内観光することにしました。ベトナムには観光タクシーという制度がないので、小型のマイクロバスとガイドをチャーターしす。4時間で、一人当たり税・サービス・入場料込み込みで33$弱、日本円で2600円ほどです。

ホーチミン廟、一柱寺、孔子廟を回り、最後に旧市街の市場に寄りました。前三箇所については、写真撮影もしておりますが、特にこれといった画像がないので略します。市場周辺を歩いた時の画像を紹介いたします。


(することがない時は、木陰でハンモック、これが一番)


(これが有名なシクロ=チャリタク 街中では殆ど見かけなかったが…)


(木の実売りのおばあさん 路上での商売は原則禁止とか…)


(自転車に満載した物売り 履物を売っている)


(パイン売りの娘に、天秤棒を担げといわれ、担いだらパインを買わされた男二人、今回のツアー客) 

最後に市場内の画像を紹介します。この旧市街の市場は地元民の市場であり観光客滅多に来ないようです。外気温が37-8度あって、湿度が高いせいか、腐敗も早く、市場内は一種異様な腐敗臭がします。


(果物の種類も数も豊富です 訪れた時間が午後1時頃のためかお客は少ない)


(八百屋の前でアオザイの女性を発見 手前のほうでは八百屋の女主人が陰でごろ寝中)


(途中トイレタイムで寄った絹織物店 冷たいお茶をご馳走に 撮影者も画面のどこかに…そうです左の鏡の端に)

三回に分けてお届けする予定ですが、フォトチャンネル「ベトナム紀行」に画像をまとめてあります。

北限のブナ林を撮る

2011-06-21 06:00:00 | 日記
前回のブログでレポートしたとおり、午前中に島牧の賀老の滝の撮影を済ませました。午後は黒松内町にある、日本最北限のブナ林の撮影です。当初ブナセンターの学芸員に案内を乞うつもりでしたが、生憎月曜日と火曜日はブナセンターが休館日でした。案内用の掲示板に沿って、周囲を回ってみることにしました。なお、ここ黒松内歌才地区のブナ林は、国の天然記念物に指定されております。


(散策路に沿って進むと池や東屋などがあります 池の周囲に水仙やスノーフレークが咲いておりました)


(Freemlや壁紙写真部の内地の方の投稿では、良く見かけますが、北海道では初めて見ました)


(スズランを二周りほど大きくした花)

池の周囲を歩いていると、写友の一人がギャーという声。何事かと近寄ってみると、池の渕の菖蒲の隙間から三角形の頭をした蛇、マムシがこちらを睨んでいます。誰かが近くにあった棒で蛇を押さえつけました…一瞬「マムシ酒」を思い出しましたが、蛇はするりと抜けてどこかに消えてしまいました。

散策路にマムシは危険と急いで離れました。慌てて何処をどう歩いたか、散策路の端の、「歌才自然の家」の近くまできておりました。飲み物の自販機を求め、自然の家のロビーにお邪魔しました。たまたまおられた支配人&料理長の大谷氏(名刺には「歌うシェフ」と)にブナ林の話を聞くことができました。ついでにブナ林の入り口までマイクロバスで案内してくれるとの事。お言葉に甘えました。


(ここから歩いて10分ほどで、天然記念物に指定された「歌才ブナ林」のエリアに着きます)


(写友S氏が何かを見つけたのかな?)


(ブナの若葉が陽を受けて美しく輝く 葉はミズナラ・どんぐりに似ている 同じブナ科なので…)


(松の新芽がこれほど美しいとは…)


(途中の小さな橋から上流を見ると…)


(流れに周囲の緑が写りこんで…別世界に来たような気がしました)


(大きな枝から新芽が)

十分ブナの原生林を満喫して、黒松内を後にしました。あとは国道5号線に沿って戻るだけです。羊蹄山の山麓地帯は今が田植えはじめ農作業の最盛期のようです。


(6月6日、まだ八重桜が咲いていました 二人の農婦が歓談中)


(農家は田植えで忙しい)


(田植え後の水田に羊蹄が映り込む)

賀老の滝を撮りに

2011-06-17 06:00:00 | 日記
天候が悪くて延期になっていた、賀老の滝の撮影に行ってきました。賀老の滝は後志管内の一番南端の島牧村にあります。幅35m、落差70mのこの滝は「日本滝名選100」に入っております。賀老の滝は別名竜神の滝、飛龍の滝と呼ばれています。かつて松前藩がここで取れた砂金や財宝を隠し、それを龍が守ったという言い伝えがあるからです。

当日朝5時半にスタートし9時頃の到着を予定しています。その前後に滝に虹がかかると聞いていたからです。小樽からは、国道5号線を西に、そして南下し、共和町の国富で岩内方面に出ます。後はひたすら海岸線を南下します。寿都を過ぎた途中の漁港でカモメが群集しているのが目に止まりました。


(車から降りるとカモメは一斉に飛立ち、再び降りてきます)


(ホタテ漁の漁船が水揚げ作業中だったのです カモメはその様子を伺っていたのです)


(漁船から下ろされた浮きには、オレンジ色の虫がうじゃうじゃ よく見るとオキアミというプランクトンでした)

撮影もそこそこに、賀老の滝に急ぎます。幸いなことに島牧に着くと青空が広がって、太陽がさんさんと降り注ぎます。千走川に沿って14kmほど走ると賀老高原に到着です。ここから先は車両止めで、滝の入り口まで徒歩10分ほど歩きます。


(ぶななどの広葉樹の新緑が芽に痛いほど鮮やか)


(ここからは高低差100mほど下にある展望台まで700mの歩きです)

この700mが実は曲者なんです。かなりの急勾配で、ウッドチップを敷いた遊歩道とはいえ、急ターンが多く、道幅が狭く、無理やり山肌に取りり付けたような舗道なんです。つい前のめりになって脇に転落しそうな錯覚におちいります。おまけに片手に重い三脚を抱えて…


(展望台まで残り30m付近で虹が見えました でも肝心の滝が…)


(展望台から滝を見ると、虹が殆ど見えない 太陽との角度の関係でしょうか)


(ND400フィルターでSS6秒)


(河原に咲いていた赤い花を入れて…)


(ふと周囲を見ると光と影が美しい模様を)

再び虹がくっきり見えたところに戻ると、なんと虹はすでに消えておりました。やむなく遊歩道入り口まで退き返しです。標識には帰り30分とありましたが、とてもとても30分では戻れません。心臓破りの急坂を休み休み、小1時間かけて戻りました。

一旦寿都に戻り、今日の次の目的である「黒松内の北限のぶな林」に向かうことにします。弁慶岬の5kmほど手前から黒松内方面に向かいます。途中風力発電等撮影しながらのんびりと進みます。



(この辺は風力発電が多い)


(風雪よけシェルターの上には、初夏の雲が…)


(シェルターを覗くと美しいパターンが、車のテールランプでもあれば… なかなか来ない、来てもライトはオフのまま…)

次回は黒松内の北限のぶな林や羊蹄山麓の田園風景等をアップします。
なお、13~17日はハノイ撮影旅行中ですので、コメントのご返事が出来ませんので、ご了解ください。





YOSAKOIソーラン祭り

2011-06-13 06:00:00 | 祭り・イベント
札幌初夏の名物「YOSAKOIソーラン祭り」が、6月8-12日に行われました。今回は第20回目に当たりますが、3月の東日本大震災の影響もあって、参加は昨年よりも20組減りましたが、それでも284組に達しました。今回は大震災復興支援大会と位置付けられ、募金箱が設置され、YOSAKOI関連グッズの売り上げなども、日本赤十字社に寄付されるそうです。

事前に北海道新聞の折込で確認すると、北大の「縁」、「AOMORI花嵐桜組み」、小樽商大「翔楽舞」など気になるチームが午前中の演舞です。しかも大通りパレード会場北コースに集中しています。北大の「縁」はラストの赤フン姿が、AOMORI花嵐桜組みは、衣装の変化が素晴らしく、是非撮りたいチームでした。「翔楽舞」は小樽のチームです。

6月11日(土曜)撮影に行ってきました。当日の天候が気になりましたが予報では曇りマーク。しかし、強い初夏の日差しが出た途端に大雨が降るなど、二転三転の気まぐれ天気でした。


(パレード開始の10時前に大通公園に着くと、北大の「縁」チームが気合を入れています)

(1)AOMORI花嵐桜組の演舞


(AOMORI花嵐桜組みが早速登場 黒から白の衣装に)


(白から青の衣装に 扇子をかざして)


(扇子からべーるに持ち代えて、このあと震災復興のメッセージに持ち代えます)

(2)北大「縁」の演舞


(事前にドリンク剤を飲んで気合を入れていた「縁」 元気が良い)


(女子学生も大声を張り上げて…)


(出ました赤フン軍団)

(3)小樽商大「翔楽舞」の演舞


(AM11時半、どしゃ降りの雨 学生には気の毒だが、路面に映り込む衣装がこれまたいい)
 

(大雨もなんのその、元気一杯…)

(4)大雨の中の演舞ほか


(衣装が濡れて動きにくそう)


(メインステー上後ろから 雨に濡れ幟も重たそう、竿がしなる)


(雨をたっぷり含んでとにかく重たい…)


(ライラックは満開 雨が似合う)


(休憩の合間に化粧直し そこにカメラマンの目が集中する)


(会津若松市から参加したチーム 見た瞬間「赤鬼」か!と思ってしまった 夢に出てきそうなインパクト!)

スペースの都合で掲載できなかったカットについては機会を見てアップいたします。
なお、6月13-17日までベトナムハノイ撮影旅行中ですので、コメントのご返事は18日以降となりますのでご了承ください。

小樽商大YOSAKOI「翔楽舞」演舞披露

2011-06-09 06:00:00 | 日記
6月5日(日曜)に小樽市民会館で、商大のYOSAKOIソーランチーム「翔楽舞」の披露会がありました。小樽商大「翔楽舞」は、常々地元に根付いたチームを目指していて、今回地元の市民に直に見ていただき楽しんで欲しいと、開催の趣旨がプログラムに記されています。

プログラムによれば、(1)おたる潮太鼓演奏、(2)翔楽舞が最初にYOSAKOIソーランに参加した2008から2010年までの3年間のテーマ曲を演舞、(3)小樽商大応援団の「檄」、(4)翔楽舞2011「流星花火」、(5)翔楽舞、色内小学校生徒、託児所マミー園児の合同による「よっちょれ大乱舞」となっています。以下この順によって紹介していきます。

(1)おたる潮太鼓保存会による演奏


(大型客船出航の見送り時や潮祭りに潮太鼓保存会の演奏がされます)


(この保存会では女性の活躍が目立ちます)


(勢いよく…)

(2)翔楽舞2008-2010の演舞曲から
(翔楽舞が始めて参加した2008年のテーマ「鼓舞激励」)


(南中ソーラン 伊藤多喜男の訛った歌に合わせて踊る)


(やはり演舞は女子学生に目が行く…)

(3)小樽商大97代目応援団長の登場(100年目にして初の女性団長)


(片方10kgある高下駄を高く上げて前に進む)


(檄文を広げ…)


(檄文の巻末を他の部員が受け取る…)


(高らかに大声で読み上げる 一種独特の節回しで、聞き難い…)

(4)翔楽舞2011年「龍勢花火」


(龍勢花火は、漁師達の力強さ、花火の壮大な華やかさを表現したものという)


(どうしても威勢のいい可愛い…目が行ってしまう)

(5)翔楽舞、託児所マミーの園児、色内小学校の児童たちと合同「よっちょれ大乱舞」


(最後は全員で、本家本元の高知のよっちょれ節に合わせて…)


(観客席に飛び出して踊る…)

小樽市立量徳小学校最後の運動会

2011-06-05 06:00:00 | 日記
小樽最も古い量徳小学校も、来春で閉校となることが決まり、今回5月28日(土曜)が最後の運動会となりました。廃校に至る経過について、簡単に触れると、小樽市の人口減少に加え、市中心部の人口減も重なって、児童数が減少したからなんです。

量徳小学校は、明治6年に開校し、今年度で138年を迎える小樽で最も歴史のある学校です。かつて昭和30年代前半には2000人の児童数を誇るマンモス校でしたが、今では児童数130人程で、統廃合の対象になっていました。小学校に隣接する小樽市立病院の移転新築先が、正式に量徳小学校跡地にきまりました。量徳小学校は来春閉校となり、児童は潮見台と花園の両校に分かれます。

小樽教育発祥の地でもある、量徳小学校がなくなるのは、地域にとっても寂しい限りです。私の孫3人が現在、小6、小4、小2に在籍しております。今年が量徳小学校での最後の運動会になります。そこで、平成18-23年の6年間の運動会の中から写真をアップしたいと思います。

(1) 平成18年6月3日(孫紀斗小1)


(高学年の徒競走を流し撮り)


(同じく大バトンリレーを流し撮り)


(紀斗・小1運命走で1位となる)


(悠里と綺里はこの時未就学児 おにぎり食べて応援)

(2) 平成19年6月3日 (紀斗小2)


(1-2年の低学年の玉入れ競争)


(未就学児による徒競走)


(量徳伝統の紅白大玉ころがし 流し撮りがボールの回転に合った)


(5-6年生による蟻の棒引きも伝統の種目)

(3) 平成20年6月1日 (紀斗小3、悠里小1)


(綱引きも伝統の種目 このあと父兄参加の綱引きもある)


(紀斗独走)

(4) 平成21年6月6日 (紀斗小4、悠里小2)


(蟻の棒引きは、2回めは混合戦 画像はスタート直後棒に向かって走る)


(勝負がついたら他の組の取り合いに参加する)

(5) 平成22年5月29日 (紀斗小5、悠里小3、綺里小1)


(5年生の徒競走 ゴール手前で紀斗運動靴が脱げるハプニング この直後捻挫で半ベソ)


(伊藤多喜男の訛った歌に合わせYOSAKOIソーラン これも伝統種目)

(6) 平成23年5月28日量徳最後の運動会 (紀斗小6、悠里小4、綺里小2)


(飴か煎餅か かつてのパン食い競争 思いっきり引っ張るので、他の煎餅が…)


(こちらは飴のカードを引いた人 顔が真っ白)


(大玉ころがし 玉に合わせて先生も走る…)


(最後の運動会は、生徒も父兄もおそろいのTシャツ)


(最後は児童、父兄合わせて138の人文字で記念撮影 校舎屋上から撮影している)

当日の天気予報では、時々雨で次第に風雨が激しくなるというものでした。しかし予報に反して、午前中は気持ちのいい晴れでした。午後ポツリと来ましたが、午後1時の終了まで天候は持ちました。量徳最後の運動会、子供たちも大満足のようでした。来年は下の孫二人は、潮見台小学校へ通うことになります。

札幌の街は花盛り

2011-06-01 06:00:00 | 日記
郊外では田植えのシーズンが始まるというのに、一向に暖かくならない今日この頃です。そんな中で、5月26日(木曜)は、久しぶりに気温があがり、初夏の陽気。ということで、札幌の街に久しぶりに出かけてみました。目的は今が盛りの道庁の八重桜と、大通り公園で咲き始めたライラックを撮ることです。

先ずは道庁に行ってみると、地域の物産展が八重桜咲き誇る中で行われていました。昼休みの時間帯とあって、多くの人が出店のテントの前に、行列していました。


(道庁前の銀杏並木も葉が出揃い始めています)


(食べ物屋の前には長蛇の列)


(この日は初夏のような陽気 芝生で寝込む人も…)

久しぶりの暖かい陽気に八重桜も満開、前庭のチューリップも満開、これらの花を携帯やコンデジで撮る人が後を立たない。かすかに吹きぬけるそよ風がとても気持ちいい。


(赤レンガに咲き誇るチューリップ 絵になる)


(そよ風に揺れる桜を…と思いスロー(1/3秒)で撮って見ると、人物のほうが…手持ちでぶれずに撮れた唯一のカット)


(道庁の前庭の池には道庁の赤レンガが写り込むスポットが何箇所かあります)

さらに池の周囲を回って何カットか撮影した後、道庁の地下食堂で遅い昼食をとります。ここの食堂と札幌市役所の食堂は、ほぼワンコイン(500円)で食べられるので、大変便利です。決して美味しいとは言えませんが…


(この日はカツカレー450円で昼食を済ませる 1時過ぎると品切れも多いが…)

さてこのあと、3月に開通した駅前地下街を通って大通公園に行って見ました。なお、この地下街のオープンについてはこのブログでも、3月11日のオープン当日の様子をレポートしています。


(所々に天窓があり外の光が張り込む)


(6月8日から始まるYOSAKOIソーランのポスターならぬタペストリーが…足を止め見入る人たち)

大通公園に出てみると、噴水のそばでは、小さな子供たちがパンツ一つで水遊びをしています。すっかり初夏の様子です。5丁目の公園では、ライラック祭りにあわせ、テント小屋が作られデッサン、和紙細工等の教室や骨董市、茶屋等が建っておりました。


(札幌名物とうきび売り屋台)


(やっと咲き始めたライラックをバックに記念写真)


(ライラックを撮る人、枝を近づけて匂いをかぐ人…)

札幌の市花でもあるライラックは、薄紫と白の二種類があります。薄紫のライラックは最初濃い紫色ですが、花が完全に開くとピンクに近い薄紫になります。とても甘い香りがして、その香りはアカシアにも似ています。