紅露の写真日誌…北の大地・夢空間

小樽・札幌の風景、イベントが中心

年末にあたって…今年最後のブログです

2010-12-29 06:00:00 | 日記
早いものであっという間に年末になってしまいました。ブログを開始以来1年10ヶ月になりました。何とかここまで続けてこられたのも、拙いブログを読んでいただいた皆様のご声援、コメントでの励ましがあったからだと思っております。心からお礼申し上げます。

さて、今年も残りあと二日となりました。何かとお忙しい日々かと思います。そんなか私にとってBig Newsが飛び込んできました。それも二つ同時に。一つは、「ハートンホテルフォトコンテスト2010」の珍百景部門(他に2部門あり)で、最優秀賞に、もう一つは、道の駅「ふるさと写真コンテスト」で第1席入賞の通知でした。とても大きなX'masプレゼントでした。


珍百景部門「真冬に桜満開?」(最優秀賞)2009年1月28日釧路市細岡展望台付近

応募時のコメント(写し):去年二月厳冬の釧路に撮影に行った際、細岡展望台付近で撮影。当日今季一番の冷え込みで-25度。釧路川流域の樹木には霧氷が付着。朝日が上がると共に、ピンクに輝きだした。川面に映り込んだ樹氷は、まるで桜が満開のように見えた。

入賞賞品として、熱海大観荘のペア宿泊券を頂きました。暫らく国内旅行もしていないし、家内と二人で折を見て行こうかと話しております。

さてもう一点は道の駅・未知倶楽部「第11回ふるさと写真コンテスト」第1席の通知でした。娘家族とニセコ町に羊蹄の噴出し水を汲みに行った折に撮影した一枚です。、ニセコの道の駅・ビュープラザの駐車場において、小五の孫にジャンプさせて股の下に羊蹄山を写しこんだ写真です。


「羊蹄を飛び越えろ」 第1席 2010年4月4日ニセコ道の駅・ビュープラザ駐車場 OLYMPUS PEN E-P1

講評(写し):『羊蹄を飛び越えろ』 ニックネーム:kouroさん
まるで写真のフレームから飛び出すかのように、少年が空高くジャンプしています。「ほら、あの羊蹄山を飛び越えて」と指示する作者と、それに元気よく挑戦する少年の、ささやかな会話が聞こえてきそうです。見事、まるで羊蹄山を跳び箱のようにして、しっかりと飛び越えていますね。北海道の澄んだ冬の青空に、寒さに負けない少年の元気な笑顔がはじける躍動感のあるこちらの作品を、一席に選定しました。

第1席の賞品は、道の駅すず塩田村(石川県)特産の塩サイダーとか。果てさてどんな味がするのか、賞品の到着が楽しみです。

追記:28日午後5時ころ宅急便で賞品が届きました。一口試飲したところ…う~ん、なんと表現したらいいか…梅干を舐めながら普通のサイダーを飲んでいるような、微妙な味でした。

さて私にとってのBig Newsは以上の二点ですが、12月の入選作品からもう1点紹介しておきます。画像投稿サイトの一つに、カメラ関連用品メーカーのHAKUBAが運営する「ハクバフォトコンアワード」があります。風景部門とマクロ部門の二つがあります。マクロ部門で銀賞を取ったのが下の画像です。


タイトル:「怖い話2」
怖がることはないよ、
私は赤頭巾ちゃんのおばあさんだよ、
イッヒッ、ヒッ

HAKUBA選考スタッフの一言:目の付け所が絶妙ですね!写真を楽しまれているのが伝わってきました!

皆様どうぞ良いお年をお迎えください。来年も引き続き当ブログのご愛読よろしくお願いいたします。








コニカと言う名のカメラたち~その2

2010-12-25 06:00:00 | カメラ
前回のブログで、コニカ製のカメラを4台を紹介いたしました。今回は三台+αを紹介いたします。


(左がコニカレコーダー、右がリリーです)

(4)新型リリー(S11年製)
大正から昭和の10年頃にかけて、小西六本店(後の小西六写真工業、コニカ)では、リリー手提暗箱、パール、パーレット(国産ベス単とも言われる)など時代の先端を行く、数々の名機が作り出されていきます。そのうちの一つがリリーです。手札サイズ(7.5cm×11cm、今でいうサービス判サイズ)の乾板式ですが、フイルム部分をハンザのカートリッジに交換が可能で、ブロニー判(120型)のフィルムを使うと6cm×9cmのネガ(またはポジ)が得られます。


(H14東京晴海埠頭で撮影 手持ちのスキャナーでは取り込めないのでポジフィルムをデジカメで撮影)

このカメラは、かつて昭和20年代に北海道新聞の委託カメラマンをしたことのある、親戚の方から譲り受けました。なんでも、昭和29年9月26日の洞爺丸台風時、後志管内岩内町で大火事が発生。3299棟が消失(死者33名)と言う大惨事の時にこのカメラが大活躍したと聞いております。

レンズはあの有名なCarl Zeiss Jeana製で、Tessar105mm付き、上下、左右にシフトできます。手元に来た時にはさすが錆ただらけでした。光線漏れも見られました。当時八王子に単身赴任中でしたので、市内桜町のコニカ修理センターに持込しました。さすが、受付の係り員もビックリ、数人が珍しそうに集まり、修理可能かどうか、暫らく検討しておりました。やがてかなり年配の技術者がやってきて、修理可能だと言います。

1週間後ぴかぴかに磨き上げられたりリーが手元に戻ってきたのです。しかし残念ながら、このリリーは鉄の固まり、デジタルに以降後は全く出番がなくなりました。

(6)コニカレコーダー(S59.3製造)
昭和40年代から50年代にオリンパスPENに代表される、ハーフサイズのコンパクトカメラが大ブームを起こしたことは記憶に新しいと思います。このコニカレコーダーもハーフサイズのカメラですが、如何せん発売が遅くヒットはしなかったようです。PENなどに代表されるハーフサイズカメラは、普通に構えて撮影すると、縦長の画像になります。しかしこのコニカのレコーダーは、フィルムが上下に走るので、横長の画像になるのです。


(イヌの散歩道である勝納臨海公園にて 放置された自転車と壁の落書き)


(H21.11.4初雪の日 内臓ストロボ発光 絞りの形が変形のためか、映り込んだ雪の形がいびつだ)

このコニカのレコーダは、ヨドバシカメラ札幌店のジャンクコーナーで入手したものです。500円のシールが張られていました。見た瞬間欲しかったカメラでもあり、ジャンクとはいえシャッターが切れるか試してみました。なんとストロボまで正常に発光するではありませんか。勿論500円で、お宝GETです。

(7)ジャスピンコニカ(C35AF)(S52.11発売)
昭和49年発売のコニカC35EF(ピッカリコニカ)に引き続きヒット商品となったのがこのジャスピンコニカでした。35mm判では世界初のオートフォーカスカメラでした(財団法人日本写真機光学機器検査教会資料に基づく)。このカメラも、ジャンク品の中から見つけたものなのです。このカメラには、赤、青黄色のバージョンがあって、私が持っていたのは赤いカメラでした。

写りがとても良く、単焦点ながら、とても活躍してくれました。残念ながら、大夕張の三菱炭鉱鉄道を撮影している間に紛失してしまうと言う失態。そのためカメラの画像がありません。


(北海道庁のイチョウを逆光気味に撮ったものです)

(8)コニカカメラのアクセサリー

(上左から、パール、コニカF、コニフレックス、コニカI、コニレット)

もう10数年前でしょうか、札幌のコニカにカメラの修理依頼で伺った時に、受付の女性に頂いたものなのです。確か7-8種類×2個毎、14-5個頂きました。友人等に差し上げて今はこの5個だけが残りました。コニカの名が消えた以上、二度と手に入らないでしょうね。この5個の中でもコニレットはお気に入りで、現在もドアのキーにつけておりますので、色が多少変色してしまいました。

コニカと言う名のカメラたち~その1

2010-12-21 06:00:00 | カメラ
明治36年にチェリー手提暗箱と言うカメラが、小西本店(後の小西六、コニカ)から発売されたのが国産小型カメラの第一号機といわれています。その後数々の名機を作り続け、戦後カメラ業界をリードしてきたコニカも、遂に平成20年カメラ業界から撤退してしまいまた。今はなきコニカカメラを偲んで、私が使ったコニカの数々を紹介して行きたいと思います。


(右がコニレット2型、左がパール3型)

(1)Konilette(S31.9発売)
私が始めてカメラを手にしたのは、昭和30年代初めの頃で、中学生の時でした。それは、親父に買ってもらったコニレット2型と言う蛇腹のカメラです。専用パトローネ入り、30mm×36mmと言うライカ判を上下に6mmほど大きくした12枚撮りの無孔フィルムを使うものでした。コニカ(当時は小西六)がフイルムの製造メーカーでもあったからこのような特殊サイズのカメラが作れたのでしょうね。


(S33年頃自宅前で遊ぶ フィルムスキャーナ時35mmサイズに合わせている)

このカメラでは飽き足らず、ものの1年ほどで手放してしまいました。その後平成8年頃、再度このカメラを手に入れましたが、フィルムのパトローネの幅が市販のフィルムでは太すぎて合わないのです。コニカ製の薄型使い捨てカメラのパトローネがぴったり合うことに気づき、フィルムを薄型パトローネに詰め替えて、何本か撮影したことがあります。

(2)Pearl3型(S30.12発売)
コニレットと同時に親父が購入したものです。親父は仕事で(役場勤務)使う以外は、写真に興味がないので、専ら私が使っておりました。中学校に持って行ってはクラスのマドンナを追いかけ、先生に叱られたことを思い出します。当時カメラブームで、田舎の中学校でも男子生徒の2-3割はカメラを持っていたようです。二眼レフや蛇腹のカメラが主流でした。


(中学3年生の時の秋の遠足 S33年9月頃)


(H14東京永代橋から佃リバーシテイ21を望む タングステン・ネガフィルム使用)


(右がコニカビッグミニネオ、左がコニカ3A)

(3)KONICA BigMiniNeo(H5.7発売)
このカメラは、青森支店に勤務時(H3-6年)、外国に出張することが決まり急遽購入したものです。それ以前からBigMini(24mm単焦点)を使い、映りのよさ、性能のよさを感じていました。と言うわけで28-70mmのズームつきのネオを選んだのです。その後このカメラは、娘に譲りました。娘は10年近く子供たち(孫)を撮り続けました。遂に裏蓋の開閉接点が故障し、私のところに戻ってきました。修理に出すも部品がないということで、カメラの役目を終わりました。


(H5.11ローマトレビの泉の近く)


(H5.11ロンドン塔入り口の受付人)

(4)KONICA3A(S33.4発売)
このカメラは、八王子支店に単身赴任中(H12-14年)に、有楽町電気ビル地下街の中古店で、4万円ほどで入手しました。中古カメラを物色していると、店主から「このカメラはいいよ、なんせ警察の鑑識に使われるくらいだから」と言われ、衝動的に買ったことを記憶しています。レンズ側のレバーを二度押ししてフィルムを巻き上げます。単身赴任中は、赤外フィルムを詰めて使っておりました。ただ重たい上に、フレアーが出やすく、その後は使っておりません。今は、展示棚の最前列にド~ンと鎮座しております。


(H13年頃、羽田~新千歳間霞ヶ浦上空辺りで撮ったもの)

次回に続く(リリー、ジャスピンコニカ、コニカレコーダーの話)

お江戸見物その2~イルミネーションを撮る

2010-12-17 06:00:00 | 旅行
東京都内のあちらこちらで、大規模なイルミネーションイベントが行われていることは、壁紙・写真部やGANREFのサイトで見ておりました。特に短時間で掛け持ちして回るなら、後楽園ドーム、汐留カレッタ、六本木の東京ミッドタウンが良いと聞いておりました。

最初に向かったのが後楽園ドームです。都内に勤務していた折には何度も行っておりますので、渋谷からは、山手線で代々木へ、そこで中央線に乗り換え、水道橋下車と、すぐ分かりました。下車すると神田川の夕景が目に飛び込んできます。橋を渡ると、すぐ目の前に後楽園ホテルが見え、イルミネーションの一部が見えてきました。


(先ず目に付いた赤い表示板 運よくカップルが来ました)

さらに奥に進むと虹色にライトアップされた船のオブジェが見えます。この周辺で小一時間ほど撮影し、近くの軽食喫茶店でパスタ+ソーセージを夕食代わりに取りました。


(どこを見ても目移りがして…)


(センターフォーカスと言うフィルターを使って…)


(同じフィルターで周囲をぼかして見ました)

短時間で三箇所を駆けめぐるとなると、1箇所に長居が出来ません。早々に後楽園を切り上げ、代々木で大江戸線に乗り換えて、次の汐留カレッタに向かいます。ビルとビルの空間に青いイルミネーションが輝いております。時おり流れるアナウンスによれば、海をイメージしているとのこと。ヴァイオリニストの葉加瀬太郎氏のプロデュースとか。


(着いた時には生憎、日本TVの撮影中で、PM7:30まで立ち入り禁止、撮影禁止云々…)


(3Fくらいの高さの遊歩道から隣のビルの壁面に反射したイルミを撮る)


(音楽に合わせシャボン玉が噴出されますが、暗いといまひとつぱっとしない…)

メインカラーが青に統一されているためか、どうもバラエティに富まず、写真撮影も範囲が広がりません。立ち入り禁止解除を待たずに、最後の六本木東京ミッドタウンに向かいます。再度大江戸線で六本木で下車すればすぐ着きました。


(アーチ型のイルミネーションが出迎えてくれます)


(その根元に設置されている4面がガラスの箱 無限の世界に落ち込みそうな錯覚になります)


(これだけ撮り続けると一服したくなります…)


(最後は街の風景を)



こうしたきらびやかな街を見ていると、再度東京に単身赴任がしたくなります。東京から離れて8年、現役を引退してから5年早いものだな~と思いました。ボルボさん、東京での表彰式へのご招待有難うございました。

後日ボルボ事務局から、入賞作品のA3パネル、A3カレンダー、卓上カレンダー等を送付してくださる旨連絡がありました。


お江戸見物&表彰式

2010-12-13 06:00:00 | フォトコン関係
先週9-10日にボルボ・カーズ世田谷で、ボルボカレンダーフォトコンの表彰式がありました。自費で参加というのであれば、欠席のつもりでした。しかし交通費、宿泊代をボルボ側が負担すると言うので、参加してきました。なかなかチケットが届かず、出発日(9日)の二日前になってやっと航空券とJRの乗車券が届きました。

行きは午前11時50分新千歳発のスカイマーク便です。1時間ほど前に空港に到着し、久しぶりに空港に来たこともあり、PEN E-P1でアチコチパチリ、パチリ。


(以前こんなオブジェはなかったような~、ああそうだターミナルビルは、2年ほど前に全面改装・拡張されたんだった)

と、突然PEN E-P1のモニターの画像が消えて、真っ黒のまま。スィッチを入れ直してもダメ。2-3ヶ月前から同じ症状が時折現れ、その都度スィッチのオンオフで誤魔化してきましたが、今回は誤魔化しも効かない。なんと言う事だ、故障したカメラを持って行く羽目になるのか?と言うわけで、フライト中の画像はゼロ。雲海が撮りたかったのに…

定刻どおり羽田に到着し、渋谷駅前の東急エクセルホテルにチェッイン。おおなんとダブルベッドで広い部屋だ。午後4時過ぎまで仮眠し、これからお江戸見物だ。今夜は、後楽園、汐留カレッタ、六本木ミッドタウンのイルミネーションを撮りまくるぞ。


(運よく神田川をボートがこちらに向かってくる 左側の階段が総武線水道橋駅)

イルミネーションの画像は、後日ブログでアップする予定として、10時頃ホテルに戻り就寝。ホテルの朝食は、和食と洋食のバイキングが別々のコーナーにあるといわれ、はたとここで悩む。本当はトースト+味噌汁がいいんだが…意を決して左の洋食コーナーに進む。


(この長い道のりの奥が洋食… レストランのある25Fからの眺めは抜群)


(朝9時頃は食事客で賑わうほど 外人客もちらほら この画像、上の画像とも携帯auWin62Tによる)


(9時半ともなると朝の通勤客もかなり少ない 渋谷駅前交差点)

さて東急田園都市線に乗ってボルボカーズ・世田谷のある用賀に向かう。定刻11時開始と聞いていたが、すでに受賞者らしき人たちが集まっているが…定刻を10分ほど過ぎて、担当者が、受賞者をショールームに案内して、ボルボ車がいかに人に優しいかを説明。


(う~ん、この車なかなか…横に回って価格を見ると599万円 逆立ちしても手が出ん!)

30分ほどボルボの経営理念等の説明のあと、ボルボジャパンのディレクター(OEC)チャールズ・フランプ氏が挨拶。そして1月から順に表彰状と副賞の目録が手渡されました。


(英語で挨拶 司会者が日本語に翻訳 フランプ氏、実は日本語ぺらぺら)


(受賞作品 手前から1月、2月… 受賞作品はNETで公開されています)

表彰時に自己紹介と撮影動機等を受賞者が一言コメントしましたが、なんとプロの写真家及びデザイナーが4-5名受賞者に入っておりました。画像では、一段目の手前1月、最奥の5月の作品がそうです。二段目では9月、10月がそうです。NETで公開されている画像を見ていただきたいのですが、5月の画像は富士山をバックに受賞者のカメラマンとアシスタントが飛び跳ねております。このカット製作のためになんと130回飛び跳ねたと笑っておりました。


(今回審査を担当したカメラマンが、作品にコメントしてくれました)


(ボルボのマークの横で記念撮影 久しぶりのネクタイ姿で多少緊張)

その後1時間ほど受賞者とフランプCEO、ボルボ関係者、審査担当写真家、デジキャパ編集部員達との立食のパーティがありました。今回は第3回フォトコンペテイーションでしたが、過去二回はフォト部門ではなくアート部門だったそうです。第4回開催については未定とのこと。

パーティも終わり、渋谷駅前にバッグを取りに戻り、時間があればカメラ店で何か物色をと思っておりました。しかし、頂いた目録自体かなり立派で大きかったのですが、中身は本当に目録だけで、他に何も入っておりません。う~ん、ビックかヨドバシへ行く当てが外れてしまった。

渋谷駅でふらふらしていると、「あな~たのくちづけ~に…♪」と懐かしいピーナッツのメロディーが流れてきます。双子のデュオ「リッカ&リッツ」のライブ中でした。こりゃーしめたとバチバチ撮っていると、外国人三人の撮影クルーが、地下鉄出入り口の前でビデオカメラを回し始めました。


(多くの観衆がいましたがカメラを構える人に遠慮して前方はがら空き)


(何の取材なのでしょうかね アーティストが交代すると彼らも去っていきました)

まだまだ紹介したいスナップがありますが、別の機会にでも…
大都市はやっぱりいいナ~、撮影対象が向こうから転がり込んでくる。一泊二日の旅は疲れましたが、得る所もまた大でした。次回イルミネーションを紹介します。

小樽街中散策~キョロキョロ2

2010-12-09 06:00:00 | 街中ウォッチング
小樽街中散策~キョロキョロの第2弾です。カメラ片手に街中をぶらつくと、オヤと思ったりこれは!と思うようなシーに良く出会います。

(1)金庫番が昼寝しておっていいのか?



小樽観光街堺町通りの寿司店「多喜二亭」の横にディスプレイ用なのか、古い金庫が置かれています。日当たりが良くて気持ちよさそうに、いつもここで野良猫が昼寝しております。「寝ておっては金庫番にならんぞ!」「ちゃんと鉄パイプを用意しているサ」

(2)めっちゃ気の弱そうなネコ



水天宮界隈には野良か飼い猫か分かりませんが多くの猫たちを見かけます。このネコは模様の位置が悪いのか、とても強そうには見えません。八の字型の額、鼻黒、それとも口の横の黒ポチのせいかな?でも、同じような模様でも下のネコは、威風堂々として親分気取りで闊歩しています。



「親分どちらへ?」「うん、カッポレの練習にな」
このネコは祝津の青塚食堂の横小路におりました。前浜で採れた美味しい魚に毎日ありついているのかもしれませんね。

(3)観覧車揺れる



ん?観覧車が揺れるのは当たり前ですって。この画像、観覧車の下が雪に埋もれております。隣のビルもゆらゆらと。そうなんです、ウイングベイの観覧車が、海に映りこんでいるところをパシャリしたものなんです。海の一部に雪が積もりシャーベット状になっています。画像を逆さまにしてみてください。逆さまにできない?では、逆立ちすれば~

(4)戦国武者怒る



太陽の形をした鍬形を取り付けた兜をまとった戦国武者が、カーッと目を見開いているようにも見えます。この城は本物ではありません。銀鱗荘というホテルなのです。北海道に城があるのは松前だけです。5月の中旬にはこの銀鱗荘の後ろ側に太陽が落ちます。部屋の裏側の窓から入り込んだ夕日が畳に反射して、光っているものと思われます。

(5)東雲町はここだってば!



水天宮の鳥居付近から、旧堺町小学校方面に下る幅の広い道の途中で見かけたミニ標識。何度もこの道(画像の小道ではありません)を通り、その都度この標識を目にします。この辺りが東雲町であることは誰もが知っています。何で、こんな標識が?と常々思っておりました。

ある日、この標識のある狭い石段を下り、幅1.5mほどのこの画像の小路を下っていって初めて、この標識の意味が分かったんです。なんと、この車も通れない小道に、「しののめ」と言う喫茶店があったのです。はて、さて、お客が来るのだろうか?



(6)水天宮の廃屋



水天宮の海側にはかつて建物があったであろう空き地が数箇所あります。一番手前つまり水天宮側の空き地には今年マンションが建ちました。画像の建物はレンガ塀の一部で、中央のアーチ型の門をくぐると、下のような廃屋があります。



昔は水天宮界隈は高級住宅地で、小樽で財を成した人達の居住地でもありました。旧板谷邸や旧寿原邸などが、今は市の重要建築物として残っています。ただ周辺は道路が狭く石段や急勾配の坂があって、車社会の現代では、必ずしも適しているとは言えません。

(7)開院待ち



「ちょっと胃がむかついてね…」「このところの冷え込みで腰が痛くて…」
普通犬猫は、動物病院を嫌がります。でもここには朝早くから近所の野良たちが集まって、開院を待ちわびております。実は、院長が野良たちにペットフードを毎日与えているからなのです。ついでに野良を捕まえは、避妊手術を行っています。

(8)黄色い消火栓と…



黄色い消火栓は別に珍しいわけではありません。小樽では、水系によって赤、黄、青に消火栓が色分けされております。偶然にも住宅の柵に黄色い軍手が干してありました。なお、消火栓が背負っているポールは、消火栓の位置を示しています。冬季間積雪が2-3mになると消火栓は雪に埋もれてしまいます。ここに消火栓があるぞという印なのです。

(9)塀の中から松が、にょきっ



高級住宅街であった水天宮界隈も時代と共に移転が進み、この邸宅も現在は無人のようです。

積丹の荒波を撮りに

2010-12-05 06:00:00 | 旅行
11月の29日に積丹に行ってきました。例によって写友S氏、Y氏とです。前日から天候が荒れて、29日には6mの荒波になるとTVでの予報があったので、その荒波を撮りに行ってきたのです。途中塩谷の海岸に出てみると、6mはありませんが結構波が荒れています。早速その状況を撮る両氏。


(砂浜の浸食を防ぐ護岸にそって波が切り立って押し寄せる 後ろはTVドラマにも使われたレストラン「北ホテル」)

石狩湾内の塩谷でこのくらいであれば、積丹はもっと荒れているとおもわれます。なんせ積丹の荒波は歌に歌われるくらいですから。それは江差追分の一節にあります。「(小樽の)忍路高島及びもないが、せめて(積丹手前の)歌棄磯谷まで…♪」北前船の頃は、積丹沖は日本海三大難所の一つに上げられておりました。


(遠方に見えるのは、余市豊浜のローソク岩 ここも思ったほど波がない)

美国港に立ち寄ると、この悪天候の中、スルメ干の側で火にあたっている漁師がおります。ここは「もう来ないでケレや」と言っていた、魚の干物を売っている例のオヤジさんのところです。留守番らしき漁師に聞くと、今魚を倉庫に取りに行ったとのこと。こんな荒れた天候の日でも、買いに来るお客がいるとのことでした。


(あの陽気なオヤジさんが不在では…と次の目的地に向かう)

婦美から積丹岬に向かいますが、島武意海岸の展望台の入り口のトンネルが現在補強工事中、工事終了が12月10日とのことでした。そこで入舸(イリカ)、日司方面に向かいます。この頃になると海からの風と雪が一段と強くなってきました。波も相当あります。日司漁港の出入り口に位置する赤灯台が荒波でかき消されています。


(時おり6-7mにも及ぶ波が押し寄せてきます)


(漁港の消波ブロックや防波堤を乗り越えて波が押し寄せてきます)


(赤灯台の前で荒れ狂う波)

猛烈な横殴りの強風と雪で、三脚を立てるどころではありません。レンズに波飛沫や雪が入り込んで、画像の半分近くはボツでした。更にいいロケーションを求めて野塚、神岬に向かいます。神岬漁港では、防波堤や消波ブロックを越える大波が押し寄せていました。


(鉛色の空と波飛沫の色の区別がつかない)


(浜辺の漁師小屋)

朝の8時に小樽を出て、ここ積丹町の西の端での撮影終了が丁度昼でした。美国に戻って例の美味しいラーメン屋「やまとみ」で昼食ということになりました。その引き返す途中の野塚あたりで見かけたのが下の画像です。周辺一面鉛色のモノトーンの中で、赤いブイと黄色の旗がとても印象的でした。


(これぞ冬の積丹を代表する風景)


(地元の方も勧めるやまとみのラーメン ミソラーメン650円 う~ん美味かった)


小樽街中散策~キョロキョロ1

2010-12-01 06:00:00 | 街中ウォッチング
このところ二日と晴天が続きません。黄葉も終わり、日増しに寒い風が吹き時おり雪も混じります。朝の日課であるイヌの散歩も、今日は天候が悪く散歩中止、なんていう状況ですので、遠方へ撮りに行くこともできません。ブログのネタも尽きかけてきました。そこで、街中に何か目新しいものがないか、ここ何日間かキョロキョロしてきましたのでその報告をいたします。

(1)おお、凄いクラシックカーが堺町通りを轟音発して…

咄嗟に数枚流し撮り。とにかく突然のことで、絞りやシャッタースピードを調整している暇はありませ。結果的に、SS=1/30で上手くバックが流れました。

(2)うろこの館(神戸北野町界隈)数百年後の姿?

昔本店調査部に勤務していたおり、ファッション産業の調査で神戸北野町界隈の洋品店を調査したことがあります。その折に、通りすがりにうろこの館を見ました。小樽にもうろこの壁の建物があることを発見した時には驚きました。昔は由緒ある建物であったのでしょうが、横に回るとさすが年代を感じます。1F真ん中あたりに蛍光灯がついております。いまだ事務所として現役続行中なんです。頑張れ、うろこの館!

(3)上品な三毛猫、ペルシャが混ざっているのかな

綺麗に手入れがされ、カメラを向けても知らんふり。わが道を行くという態度。そのりりしい態度を誉めたばかりなのに…。おいおい、下水を覗くのかい?


(4)近寄るな!シッコ引っかけるぞ!

ここは俺様のエリアだ、たとえ人間でも近づく奴には、シッコを見舞うぞ。とでも言っている様な格好です。実はこの二匹親子で、奥にいるのが母ネコ。手前の子供は、いつも母親にべったり甘えています。大きな玉ちん〇つけて…この辺をエリアにしている、飼い猫か野良かは分かりません。よく見かけるネコです。

(5)チュウレンポートあがったぞ!

パソコンのマージャンゲームです。やけに万字が来るぞ、と思っていたら9万が三枚になった。ええいリーチだ!一発で1万が飛び出してきた。やったーチューレンポートだ!でもこの日、何もいい事が起こらなかったな~。

(6)普通のうちに見える?よくよく見てよ

ビー玉を右の窓辺に置くと、あれれ、左に転がって…、そなんです窓枠全体が僅かに右上がりになっていて…いや、待てよ逆に建物が左下がりになっているのかな?

(7)これが噂のパンロールパン?

巷で評判の「かま栄」のパンロールパンを初めて食べてみました。私自身パンを良く食べます。朝食はいつも、トースト+ミルクコーヒーで済ませます。小樽では亀十、クリハラといった有名な老舗の専門店があるために、蒲鉾専門店のかま栄がパンを?と疑問に思っていたのです。ところが写友Y氏も絶賛、意を決して購入してみました。

実は店員に聞くまでは、「パンロール」と「パンロールパン」の区別がつきませんでした。、薄いパン生地を油で揚げて、蒲鉾を包んだものがパンロール(上の画像皿の右)、そのパンロールを挟んだものがパンロールパン(皿の左)とのこと。これは美味い!今までにない味、薄く巻いたパン生地と蒲鉾のバランスが絶妙。小樽に来た折に、是非自分の舌で味わってみてください。お勧めの一品というか、絶品ですネ、これは。なお、皿の写真にはマスタードとケチャップが写っておりません。

(8)ランドセルよりも小樽発祥のナップランドが主流

小樽市内の小学校では殆どの児童が、この画像のようなナップランドを背負って学校に通っております。ランドセルを見かけることは殆どありません。ナップザックとランドセルを足して2で割ったようなものと思えばいいでしょう。革のランドセルに比べ、合成繊維で軽く、しかも値段がランドセルの2万円前後に比べ6000円と三分の一以下です。カラーも、ポケット部分の色違いを含めると10色になります。

(9)北海道限定といえば…そうです「ガラナ」です

昭和30年代中ごろに、アメリカからコーラーが日本に入ってきてあっという間に全国を席巻してしまいました。この時日本の飲料組合が対抗商品として作り上げたのがこのガラナなんです。残念ながら全国発売される前に、コーラーに駆逐されてしまいましたが、北海道だけは、コーラーの普及が遅れたために、生き延びることになったのです。今では函館の小原飲料の「コアップガラナ」と大手キリンの「キリンガラナ」の二社だけが製造販売しております。

上の画像のガラナは、発売当初のビンの形で、このビンガラナは小樽では運河プラザの売店でしか見たことがありません。またペットボトルのガラナは、小原飲料の「コアップガラナ」のみです。なお、味についての説明は…難しいですね。むかし、コーラーの仲間に「Dr.Pepper」という飲み物があったのをご存知でしょうか。あれの薬臭さを除いて、まろやかにして…なおさら分からなくなった?一度飲んでみてください。止められなくなります。