『TENET』より
『ダークナイト(バットマン)』のクリストファー・ノーランの新作『TENTET』を観ました。
『劇場版クレヨンしんちゃん』と迷いましたが、平日の昼間に仕事の合い間に、しんちゃんを観たら、その後テンションアゲアゲで仕事にならないので・・・。
全くの前情報無しに、「ヘぇ~~、クリストファー・ノーランの新作なんだ」程度の乗りで選びましたが、どうやらネットでは「難解」だと相当話題になっているらしい。
日本のアニメを見慣れて視聴者ならば「難解」と感じるよりも「雑」だとか「設定が崩壊してるじゃん」程度の映画でした。
ネタバレしてしまいますが、大したネタでも無いので・・・・
1) 未来において核融合技術の副産物として「時間逆転」の技術が開発される
2) 開発者はその装置を「過去を変革する恐れが有る」として過去の時代にバラバラに隠す
3) 未来において過去を変革すべきという勢力が、過去の人類の滅亡を目論む
4) 彼らは未来における様々な不都合が過去の人類の所業によるものと考えている
5) 過去を改変しても、自分達の現在(未来)は変わらないと信じている
6) ある過去の人物をエージェントとして装置に回収に当たらせる
7) CIAのエージェント(主人公=名は無い)がこの、時間逆行装置の回収を命ぜられる
8) 彼は僅かな情報を辿りながら、優秀な協力者を得て、滅亡派のエージェントに接触する
9) 滅亡派のエージェントも時間遡行を使い過去に干渉する
10) お互いに干渉し得る過去に布石を打ちながら現在で対決する
「時間遡行」というSF的ギミックを抜きに観れば、普通の「スパイ映画」。「味方なのか、敵なのか分からない」という緊張感が、人々を物語に引き込みます。
一方、SF的なギミックである「時間逆行」は映像的な面白さを提供はしますが、観客が瞬時に「トリック」を理解するには、多少難解です。
「現在起きている事の中に、過去に遡行した誰かの「仕込み」が紛れている」という事を絶えず意識して観ていないと「スッキリ感」が得られません。「仕込み」を見逃すと、展開に付いて行けないのです。かだら2回、3回と劇場に足を運ぶファンが増えています。
「仕込み」は映像的には「逆回しの動き」として認識されます。
1) 時間遡行中に車を前向きに運転する → 実時間では車はバックで猛進する
2) 時間遡行中に拳銃を撃つ → 実時間では拳銃の弾は着弾点から拳銃に戻る
■ 結局は「タイムマシンもの」でしか無い ■
不都合な事態が起こると、主人公らは「過去に戻り」そこで「時間を遡行して、不都合を変革する仕掛けを置いて来る」
例えば、「バナナの皮で転ぶ」という不都合に対してて、「誰かが過去に戻り」+「バナナの皮を踏む直前にバナナの皮を蹴り飛ばす」という対処を取る。
この「過去への干渉」が可能なのは、「回転ドア」という装置を用いて「時間を遡行」出来るからで有り、作中でこれを「タイムマシン」とは呼称していませんが、明らかにこれは「タイムマシン」です。
要は、『TENET』は「タイムマシンSFの亜流」ですが、タイムマシンで遡行した時間で遡行した人物は時間を逆向きに進む・・・・これがこの作品のミソ。
時間遡行者と格闘する人間には、彼の放った銃弾は、拳銃に戻る様に見えるし、遡行時間中に遡行者が転倒すれば、正の時間から観測すれば、床からいきなり起き上がる様に見える・・・。
これは映像的には新鮮ですが、実は遡行者にその必然性は全く有りません。バナナの皮をどけたければ、普通に歩いて行って除ければ良い。「タイムマシン」が存在する時点で、遡行者は任意の時間に遡行して、対処を行えるのです。
■ 時間遡行のパラドクス ■
「時間遡行」には制約が有る様です。それは「正の遡行者が観測された時間にしか戻れない」事です。これは「映画の都合」で起こる制約です。
「タイムマシン」が有るのですから、遡行者は任意の時間に遡行しても構わないのですが、そうなると一般的な「タイムマシンのパラドクス」が発生します。干渉された世界と、干渉されない世界が別物では無いか・・・要はパラレルワールドが生じる場合に、時間干渉は果たして解決になるのかという問題。
『TENET』でも「祖父殺し」の命題として言及しています。「タイムマシンで時間を遡行して祖父を殺害した場合、自分はこの世に生まれるのか?」
そこで、このパラドクスを避ける為に、クリストファー・ノーランは遡行ポイントを「過去の正の時間の観察者が遡行者を観測した時間」だけに限定します。これならば、時間遡行者が過去に影響を与えたとしても、その結果は正の時間の観察者の未来に必ず同じ結果をもたらします。要は因果が、この特殊な状況においてはループしているのです。
ただ、ここにも大きなパラドクスが発生します。それは「遡行の起点は何処か」という点。未来における遡行の動機は「不都合な過去を改変する」事。ですから、未来で不都合が起きる度に「遡行」が行われますが・・・この遡行は時系列を持たない。要は、かなり未来からかなり過去に遡行するケースもある訳で、そうなると、今の状態が、どの時点の遡行の影響かに有るのか、視聴者には判断が付かなくなります。
ノーランはこれを「時間の挟撃」と呼称してお茶を濁していますが、結局、「シュレディンガーの猫」では有りませんが、正の時間の観測者が観測した時点で未来が決まって行く・・・そんなパラドクスを「時間遡行」は抱えています。
■ 「分からない」から面白いのか?・・・結論を言おう、ツマラナイ映画だったよ・・・ ■
一部には「分からないから、理解出来るまで何度でも観れる」というファンを生んでいますが、分からないのでは無く最初からトリックが破綻している。
特に、「回転ドア=タイムマシン」の設定を必要とする時点で、「時間遡行」の意味が映像的なトリックだけになっています。
さらに、この一見複雑な設定を強引に押し通す為に、画面は終始、アクションシーンの連続です。誰かが絶えず殴られているか、銃撃戦をしているか、カーチェイスをしている・・・。
観客を醒めさせないテクニックですが、とにかくアクションと大音量と派手な爆破で誤魔化せ!って手法。SF的トリックの破綻を誤魔化しているとも言えます。
大作映画のファンを相手にしているので、これは正解ですが・・・SF作品として観たら如何なものか・・・・。「時間遡行」の映像的な面白さも『マトリックス』の映像的なインパクトに比べたらショボい。
■ 何故か『Re:ゼロ』と比較してしまう『TENET』■
『Re:ゼロから始める異世界生活』より
私は『TNENT』を観ながら、絶えず『Re:ゼロから始まる異世界生活』を思い浮かべていました。「時間遡行」という共通のテーマを扱った作品だからでしょう。
『Re:ゼロ』の主人公は、交通事故で異世界に転生しますが、彼は魔女によって「不死の呪い」が掛けられています。死んだら、セーブポイントまで戻ってやり直しが出来る。これ、ゲームのルールと同じ。これは主人公の主観的には「時間遡行」です。「タイムマシン=自身の死」なのです。そう考えると『Re:セロ』はタイムマシンSFの亜流です。
『Re:ゼロ』の主人公が時に自殺までもして、救いたいのは「大好きなあの娘」・・だんだん増えて来ますが。彼は戦闘能力が高い訳でも無く、知能が高い訳でも無い。ただ、死ぬ事で過去に戻れるので、未来が有る程度予見出来るだけ。
一方『TENET』の主人公が救うのは「世界の未来」。主人公の名も無きエージェントは、彼が死んでは未来が破滅するかも知れないので、必死に生き抜いて敵に対抗します。彼は戦闘力も高く、知性も高い。
「日本アニメ」と「ハリウッド映画」の根本的な違いはここに有る。人々が憧れるハリウッド映画の主人公は「強く正しい」。一方、アニメファンの共感する主人公は「弱いけれでも、大切な誰かを守りたい」・・・。
私が『TENTET』に対して評価が低いのは、彼がアメリカ型のヒーローで「強く正しい」事が気に入らないからかも知れません。但し、クリストファー・ノーランもそこは分かっていて、敵の妻に主人公は憐憫を感じる事で、主人公に人間の皮を被せようとしていますが・・・取って付けた様な薄っぺらさに違和感を覚えます。
『TENET』の主題は「時間遡行というアイデア」そのものと、その「映像的な面白さ」。登場人物も、物語も、「時間遡行」を引き立てる為に存在する。これでは感情移入する対象を見付ける事は難しい。
一方『Re:ゼロ』の時間遡行は、主人公の愛情表現であり、自己肯定の拠り所であり、視聴者の希望でも有ります。ここには多くの「共感」が存在する。
私は『TENET』と『Re:ゼロ』のどちらが面白いかと聞かれたら、『Re:ゼロ』と答えるでしょう。「トリックやギミック」を「装置」として扱うのか、それとも「存在の必然」として扱うのか・・・この違いは限りなく大きい。
まあ、アニメオタクの偏った視点の評論なので、『TENET』ファンには申し訳無いのですが・・・。