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経済の最新情勢から、世界の裏側、そして大人の為のアニメ紹介まで、体当たりで挑むエンタテーメント・ブログ。

低インフレがバブルを延命させる・・・そして崩壊の規模は拡大する

2017-07-13 20:30:00 | 時事/金融危機
 

■ 先進国のインフレ率の鈍化 ■

各国中央銀行の緩和的金融政策にも関わらず、先進国のインフレ率は低迷しています。原因は単純です。

1) 労働分配率の低下

企業は株主の欲求を満たすべく、固定費である賃金を抑制し、配当や自社株買いによる株価上昇を選択する。結果的に賃金は抑制され、購買力が低下し物価を抑制する。

2) 製造業からサービス業への産業構造の変化

先進国は新興国や途上国に比べ賃金が高いので、製造業が国外へ流出する。結果として製造業よりも賃金の低いサービス業へのシフトが起こり、所得が押し下げられて物価を抑制する。

3)高齢化の進行

日本のみならず先進国では高齢化が進行しており消費を抑制する。

4)社会保障費や税負担の増加

高齢化によって若年層の社会保障費や税負担が増加し、消費を抑制する

これらの現象は程度の差こそあれ先進国で等しく進行しています。一方で新興国から安価な製品が輸入されるので、さらに物価が抑制されるというスパイラルが発生しています。この現象のトップランナーに居るのが日本です。日本は移民を受け入れず、有効な少子化対策も打ち出す事が出来なかったので、デフレ圧力が他の先進国に比べても高い。

■ インフレ率で利上げタイミングを測ると資産市場がバブル化する ■

中央銀行は利上げのバロメータにインフレ率を使用していますが、インフレ率が抑制が抑制される状況においては低金利が長期化します。一方で過剰に供給され続ける資金によって不動産市場、株式市場、債券市場、現物市場はバブル化します。

中央銀行も当然これらの市場の動向に目を光らせている訳で、利上げをちらつかせながら、市場が過熱するのを抑えます。

■ 適性な価格を見つけられなくなった市場 ■

現在の世界はリーマンショック後の金融緩和バブルの最後の時期にあります。ダウ平均株価が市場最高値を更新しましたが、もはや株価は企業業績など反映しておらず、FRBの利上げ観測や、ECBや日銀の量的緩和の行方にのみ敏感に反応しています。

でえから、通常、株価に有利なインフレ率の上昇や、失業率の低下は利上げの要因となるのでネガティブの反応を示しています。最早、市場は景気のバロメーターの役割を完全に失っています。

これは非常に危険な状態で、「適正価格」を見つけられなくなった市場は、一旦調整が始まると適正価格を越えてオーバーシュートします。


ここまでの話は市場参加者の多くの共通の認識ですから、一旦下落が始まると我先に売り抜けようとする事で、バブルの崩壊規模はさらに拡大します。尤も、賢い人達はとっくに資金を引き揚げている頃ですが・・・。


『アクションヒロイン チアフルーツ』・・・千葉県大多喜町 聖地巡礼

2017-07-09 03:39:00 | アニメ
 

■ 変なアニメが始まった ■


前期アニメが名作・秀作ぞろいだったので、今期アニメはあまり期待していませんでした。だいたいシーズン初めはひと通りチェックするのですが。1分とか5秒で視聴中止の判断をする作品が多い。

そんな中で、普通なら3分で切りそうな作品を最後まで観てしまったのが、『アクションヒロイン チアフルーツ』



『アクションヒロイン チアフルーツ』より

女子高生達の町興しの話の様ですが・・・・1話目冒頭は変なアクションヒロイン物で始まります。


『アクションヒロイン チアフルーツ』より

「おいおいダイミダラーかよ!!」と思わず突っ込みを入れてしまいましたが、昭和臭プンプンのオープニング部分は、どうやら出雲のご当地アクションヒロイン「カミダイオー」のヒーローショーらし。


『アクションヒロイン チアフルーツ』より

「日本全国でご当地ヒロインが人気を博し、カリスマ的存在までが現れた今、政府はついに故郷ヒロイン特例法案を可決させた。この物語はその流れに乗り遅れた地方都市を元気にしようとする少女達の物語である。」

という冒頭ナレーションですが、このカリスマこそがカミダイオーの様です。

このアニメ、カミダイオーのショーのTV放映のエンディングまで創り込んでいます。これがもう抱腹絶倒、フォントまで昭和アニメの再現で、歌もまさに・・・。実は今作の制作スタッフやスポンサーがさらりと入れ込んである辺り、かなりの曲者と見た。

脚本は荒川 稔久。『仮面ライダークウガ』を始め、東映の特撮ヒーローを多数手がけ、その筋では超有名なお方。そして監督は草川 啓造。私は『アスラクライン』が好きですが、最近は『風夏』が好印象でした。
脚本が荒川 稔久ならば冒頭の異常?なまでもツボを押さえた作り込みも納得というもの。



『アクションヒロイン チアフルーツ』より

この「カミダイオー」国民的カリスマヒロインらしく、子供達はもちろんの事、「大きなお友達」のファンまで居ます。これ、今作の主人公の一人赤来杏ですが、彼女はカミダイオー・オタク。部屋は抱き枕やフィギアを始めとするグッズで溢れ、ブルーレイは全て持っている。上の画像、コスプレじゃなくて「お面」ですよ・・・。

彼女達の住む陽菜野町にカミダイオーショーがやって来ます。大ファンの杏は学校を抜け出し、お面を頭の後ろに被って一目散で会場に走って行きます。その後頭部にお面を付けて走る姿のの何とシュールな事か・・・・。そして躓いて転びそうになった彼女は空中で一回転して着地、そして上の写真の決めポーズ。もちろん顔に見えるのは後頭部のお面です。

「バカだ、こいつ本物のバカだ!!」と突っ込みを入れる一方で、何十年とアニメを見て来た中でベスト3に入るショッキングな映像です。「これこそがアニメーション」と喝さいを送りたくなります。だって、これ実写じゃ絶対ヤラナイ・・・と言うか出来ない。アニメキャラクターの「絵としての顔」と「お面という絵」が表裏になる事で生まれる何とも言えないシュールさ・・・・。これが実際の役者やお笑い芸人がお面を後頭部に被ってやっても確かに笑えるのですが、アニメで感じた不気味なまでの感じを生み出す事は難しい。このシーンだけで今期の視聴継続が確定しました。

そもそも1話冒頭のカミダイオーの番組自体、作中劇の入れ子構造な訳ですが、それが街にやって来るあたり、メタ的な要素を多分に含んでいる訳で、物語の構造としてはなかなか複雑で面白い。


『アクションヒロイン チアフルーツ』より

第一話の大まかなストーリーは、何の特徴も無い地方都市の陽菜野町で開催されるイベントにカミダイオーショーが呼ばれます。女子高生の黄瀬美甘は妹を連れて出かけますが、なんとイベントは「調整の都合で中止」・・・。落胆する妹に、「お姉ちゃんが何とかしてあげる」と約束してしまったものの、どうしたら良いのやら皆目見当も付きません。

そんな折、カミダイオーのお面を被って疾走して行ったクラスメイトの赤来杏の「決めポーズ」を思い出します。二人でカミダイオーショウーをやるしか無いとお願いすると、何と杏は即決で快諾。

そこから二人の特訓が始まります。元新体操部の杏はとにか身体能力が高い。チアリーデイング部だったミカンもそこそこの動きが出来ます。放課後や昼休みを使って猛練習する二人、アクションシーンの連中でミカンの体は痣だらけですが、妹を喜ばせる為に必死です。

衣装、音響、舞台装置と手作りして、いよいよ妹とその友達達の前でカミダイオーショーを披露する二人ですが、その後大変な事が・・・・。

えええええーーーー、これちょっといい話じゃないですかーーーーぁーー。そして滅茶苦茶面白い。



■ 行って来ました、聖地巡礼 ■

ところでこの作品の舞台、何か既視感が在る様な・・・



『アクションヒロイン チアフルーツ』より

私、このカットで確信しました。これは千葉県を走る「いすみ鉄道」。そして、このホームは・・大多喜ダァーーー!!!



はい、大当たりでした。


『アクションヒロイン チアフルーツ』より





『アクションヒロイン チアフルーツ』より


彼女達が通う高校はこのカットで「大多喜高校」だと一目で分かります。お城を背景にした高校なんて全国にそう沢山は在りません。



『アクションヒロイン チアフルーツ』より

ところで杏が学校をエスケープするシーン。3階の廊下の窓から外に飛び出して、視聴者をびっくりさせますが、何やら瓦屋根の上に降り立って、地上に着地します。何だか意味不明のシーンですが・・・






実は後者の脇に、江戸時代に二ノ丸に建っていた門が移築されて残っているのです。彼女はこの屋根に飛び降りてエスケープしたのです。



『アクションヒロイン チアフルーツ』より




車寄せのシーン。アニメではお城が見えますが、実際には同じアングルでは見えません。



『アクションヒロイン チアフルーツ』より




橋も特定しました。夷隅川に掛かる「外廻橋」です。



『アクションヒロイン チアフルーツ』より



新聞配達店も町の中心部にあって簡単に見つかりました。





ところで作中では何の特徴も無い地方の街として描かれる大多喜町ですが、江戸時代の建物が多く残る城下町です。大多喜は武田氏、里見氏の支配の後、徳川家康が徳川四天王の一人、本多忠勝を入城させ、里見氏に備えます。

本多忠勝は城下を整備し、市を開くなど大多喜の発展の基礎を築きます。











自然も豊富で、房総の小江戸として観光客が集まる街なのです。聖地巡礼のついでに大多喜観光など如何でしょうか。



今回は、聖地巡礼一番乗りを目指し、炎天下を自転車で行って参りました。熱中症一歩手前・・・。



『月がきれい』・・・川越聖地巡礼

2017-07-07 09:39:00 | アニメ
 

■ 今年最高のアニメ作品は『月がきれい』以外には考えられない ■




幼児の頃からアニメを見て育ち、50歳を過ぎてもアニメを見いる私ですが、何年かに一度、心が震える作品に出合います。

『月がきれい』は中学3年生男女の初恋を、淡々と描いた作品ですが、50歳を過ぎた親父が思春期の中学生にタイムスリップして、毎回ハラハラ、ドキドキしながら見ていました。我が家にベッドがあったならば、枕を抱えてゴロゴロと転げ回らなければ正視出来ない程、初々しくて切なくて・・・。(ちなみに私は布団に寝ていますが)

この手の作品の傑作には新海誠監督の『秒速5センチメートル』がありますが、『月がきれい』を見た後では、『秒速・・』はキャラクターに血の通わない退屈な作品に思えてしまいす。

■ アニメにおけるリアリズムの追及 ■

『月がきれい』はアニメにおけるリアリズムの表現を突きつめた作品としてアニメ史に名を残すでしょう。

実はアニメは実写と比較した場合、情報量が圧倒的に少なく、それだけにリアリティーを得にくい。ですからデフォルメによって表現力を補強するのが一般的です。

リアリティーは「細部」に宿るので、アニメで映像だけに拘ってリアリズムを追及すると、背景や作画にかなり高いクォリティーが要求されます。ただ、いたずらにクォリティーだけを高めていくと、結局はCGによる実写紛いの表現に行く着く訳で、それがアニメと言えるかと言えば私的にはNOだと答えます。

アニメにおけるリアリズムとは、「映像として欠落した物を補って現実感を獲得する手法」では無いかと私は考えています。

パット思い浮かぶのは下の二人に代表される表現です。


1) 押井守 型
   
ストーリーや演出を精緻に積み上げ、物語やその描かれた社会や人物に実在感を与える方法。現実には存在しないメカや街並み、架空の組織や事件を緻密に描き切る事で、視聴者を作品世界の中に没入させ、アニメ世界のリアルの中に視聴者を閉じ込める手法。

これはアニメの得意とする所で、架空の世界を描くファンタジーやSFにおいて良く使われる方法です。富野のガンダムシリーズや、宮崎駿もこの系列と考えられます

2) 新海誠 型

背景や人物を緻密に造形し、人物の動きなどもアニメ的なケレンミを徹底して排除し、実写に近い表現を追求する。一方、映像的には実写以上の美しさを追及し、その美しさによって実写を超える訴求力を生み出す。


『月がきれい』の岸誠二監督は新海誠型を採用していますが、彼がリアルの補強に用いたのは映像の精緻さでは無く、「間や空気の精緻感」。れらは「リアルな距離感」という言葉に代替する事が出来ます。「人と人との距離感」がこの物語にリアリティーを与えているのです。

人物が話し始めるまでの微妙な間や、ぎこちない恋人達の肩の間の距離。家族の間の自然な距離感。ラインでのやり取りの距離感。

これらが全て絶妙なのです。実際には声優さんが発声するまでのほんの一呼吸だったり、ラインの返信が帰って来るまでの0.5秒の間だたりするのですが、それらが言葉よりも雄弁に心の動きを表現しています。

似たような表現手法を『のんのんびより』の川面監督も用いますが、彼が「間のデフォルメ」によって表現の補強を行っているのに対して、岸誠二監督は、徹底的にリアルな間を作る事で、視聴者を物語世界にシンクロさせています。作品と視聴者の呼吸がシンクロした時、「あるある、こういうの・・・」っていう圧倒的な共感が生まれるのです。

■ セリフ先取りのプレスコだから出来る声優の演技 ■

特に声優のセリフの間の取り方は絶妙で、これは「プレスコ」だなと直ぐに分かります。(特に女子達がトイレで会話する様なシーン)

プレスコは一般的なアフレコと違い、映像が完成する前にセリフを録音し、後から映像をセリフに合わせる演出方法です。一般的には映像に声優がセリフを被せるアフレコの方が作業効率が良いので、プレスコを採用する作品は希です。

プレスコの特徴は、セリフの間にあります。アフレコでは画面の登場人物の口の動きに合わせて声優が声を当てるので、絵のリズムで会話が進行します。一方、プレスコは普通の会話のリズムが再現され、集団での会話では「会話が被る」事などもしばしば発生します。

プレスコで作られた作品で成功した例として松尾衡監督の『紅』が思い浮かびます。変人ばかりが住む古いアパートでの日常シーンでその効果が如何なく発揮されます。(ミュージカル回なんて何回観ても素晴らしい)

『紅』がプレスコによって「動や騒」を作り出しているのに対して、『月がきれい』は「静や間」を作り出す事に成功しています。

オトナシイ性格の小太郎と茜の会話はとにかく間が長い。多少じれったくなる位に。私は短気なのでこうう人が相手だと会話を先取りしたり被せてしまいがちですが、彼らはじっくりとお互いの話を聞いています。

茜は陸上部の部長の比良とはテンポ良く話すので、周囲は茜と比良の相性が良いと思っていますが、意外にも茜が心地よさを覚えるのは小太郎との間の方に在る様です。結局二人の本質が似ている事に惹かれ合っているのです。

普通のアニメでは、茜が小太郎の何処を好きになったのか全く表現出来ませんが、プレスコという手法で、声優同士が繊細な間を作り出す事で、言葉や絵にならない感覚的なものを描く事に成功sしています。

■ ドタバタ喜劇の『瀬戸の花嫁』も「テンポ=間」で出来た作品だった ■

実は私は岸誠二監督は器用な監督だとは思っていましたが、こんな繊細な作品を作るとは想像も出来ませんでした。過去の岸監督の最高傑作は『瀬戸の花嫁』でファンの意見が一致すると思いますが、これはリアリズムの対極にある作品です。

この作品、とにかくテンポが速い。バルカン砲の様なスピードでギャグが次から次へと撃ち出されてきますが、その合間あいまにポロっとせるシーンが投げ込まれたりします。

実は笑いというのも「間」で出来ています。落語家やお笑い芸人をそれを巧みにコントロールして自分の話の世界へ観客をシンクロさせますが、岸誠二監督が『瀬戸の花嫁』で試みた演出はまさに噺家の手法。笑いから、しんみりに移る微妙な間に視聴者はトラップます。

『月がきれい』は、お笑いを全て排除して、間から間にシームレスに移ろう事で、岸演出の神髄を見せてくれています。

この作品に比べたら下手なアイドルタレントの自分勝手な間で進行する現在のドラマが、いかに「下手」であるか良く分かります。いえ、ベテランの俳優だって「絶妙な間」で演技をするのは至難の業でしょう。

■ シリーズ構成・脚本の柿原優子が素晴らしい ■

シリーズ構成と脚本は柿原優子。『坂道のアポロン』や『昭和元禄落語心中』でも素晴らしい脚本を書いていましたが、まさかオリジナルでこんな作品を作れるとは驚きです。

多くの中学生や、かつて中学生だった人達が経験したであろう初恋や中学校生活を、特に誇張する事も無く淡々と描いていながら、圧倒的な浸透力で物語が心に入り込んで来ます。

地味な性格の主人公達のやり取りは、現在の映像表現としてはアリエナイ程にゆっくりしたテンポで進行し、観るものをモドカシイ気持ちにさせますが・・・しかし決して彼らをせかす気にはなれません。「ガンバレ、ここで告白しろ!!」とか「エー、ここでそう言うか」なんて、心の中で、あるは声に出して突っ込みを入れながらも、彼らのぎこちない恋愛をついつい応援してしまいます。(一方で「弾ぜろリア充!!」なんて叫びそうにもなりましたが・・・)

普通の人を描く事、普通の出来事を描く事は、とても難しい事です。これが出来ている作品は映画でも小説でも数える程しか在りません。

この作品の凄い所は、「普通に共感させるチカラ」がハンパ無い事。
今年一番、いえ、近年一番の作品として私の記憶に深く刻まれました。

■ 最終回に全てのピースがピタリと収まる完成度 ■


この素敵な物語にはオマケが着いています。

それは最終回のエピローグ。エンディングの歌に合わせて彼らのその後がさらりと流れます。各話のエンドロールに謎のLINEの画面が現れますが、実はそれは彼らが中学校を卒用した後に交わされた内容であった事が明かされます。

実にチャーミングで、そして気の利いたエピローグです。

このエピローグまで含め、この作品は全ての細かいピースが在るべき場所にピタリと収まって完結します。それが決して予定調和などというものでは無く、「なるべくしてこうなった」と視聴者に納得させる所に、この作品の「凄み」を感じます。

岡田磨里の『True Tears』や、新海誠の『秒速5センチメートル』に対する柿原優子のオマージュであり、返歌の様な作品ですが、完成度においてさらなる高みに達しています。

素晴しい作品を届けてくれたスタッフに拍手を送りたい!!




■ 川越に聖地巡礼に行って来ました ■

物語も終盤のなった7月24日、自転車に乗って川越に聖地巡礼に行って来ました。

浦安から川越までは荒川サイクリングロードで行くの信号が少なくてベスト。ただ、野球少年やジョギングや散歩の人達が居る狭い自転車道路をロードバイクで走るのは危険です。ですから私はサイクリングロードはマウンテンバイクで走る事にしています。

ゆっくり川越に行くつもりでしたが・・・・サイクリングロードでロードバイクに抜かれるとついつい体が反応してしまいます。結局、川越線の踏切まで2時間で着いてしまいました。メーターのAVは29.4km/h・・・。追風とは言え、スピード出し過ぎですよねサイクリングロードで・・・。

川越には仕事で何度か来た事が在りますが、観光地には行った事がありません。スマホの地図を頼りに、先ずはこの場所を目指しました。



「月がきれい」より


氷川神社は古い町並みを抜けて、川越市役所の少し先に在りました。この場所は小太郎と茜がデートした場所ですね。


「月がきれい」より


アニメでは鳥居に飾られているのは風鈴ですが、行った時には風車が風に回っていました。風鈴に架け替えられるのは7月1日からです。


「月がきれい」より




赤い鯛は「一年安鯛」、ピンクの鯛は「あい鯛」のおみくじ。竿の先のかぎ針で釣り上げます。なかなか面白い趣向で観光客も大喜び。




「月がきれい」より



「月がきれい」より



お札のトンネルもアニメのまんま。合格祈願や安産祈願など色々なお札が在ります。




「月がきれい」より


ご神木もこの通り。



「月がきれい」より



「月がきれい」より


風鈴のトンネルも涼やかでした。音色に暑さを一時忘れます。



「月がきれい」より



「月がきれい」より


作中、茜ちゃんが流していたのは「人形流し(ひとがたながし)」。身の穢れを人形に移して流します。この人形、すぐに水に溶けてしまい、上手く流さない鳥居をくぐる前に沈んでしまいます。

氷川神社、テーマパークのアトラクションの様で観光客を飽きさせません。商魂たくましいというか、今風と言うか・・・デートには最適です。




「月がきれい」より

「月がきれい」より


神社の裏の寒川橋も重要な聖地。



「月がきれい」より


橋から見える桟橋も、作品中と変わりません。



「月がきれい」より


氷川橋を渡った先の遊歩道は二人がキスを交わした場所。



「月がきれい」より


川に沿って少し上流に歩くと、田谷堰が現れます。


「月がきれい」より


堰の近くにある、陸部女子3人が座っていた石段。



「月がきれい」より


さらに川を遡ると「濯紫公園」の石段が現れます。クリスマスプレゼントのマフラーを渡した場所ですよね。



川沿いの遊歩道は最終回のデートの場所かな。



「月がきれい」より



「月がきれい」より


古い町並みの瓦屋根もリアルに描かれています。




「月がきれい」より



時の鐘の横で「いも恋」を発見。茜ちゃんの大好物ですよね。山芋が練り込まれた皮の中は、アンコとふかしたサツマイモ。ふかしたてのあっつあつは美味しかったです。作中、祭りの夜のいも恋屋さんは本通りに在りました。



「月がきれい」より


小太郎が川越祭りの神楽?を練習しているのは朱雀町の熊野神社。



「月がきれい」より




「月がきれい」より




「月がきれい」より




「月がきれい」より


雨戸を空けてイケメンの古本屋のお兄さんが出て来ないかと期待しちゃいました。



『月がきれい』の舞台川越は、東京から近い「小江戸」として人気の観光スポットです。観光客も多く、「アニメの聖地」として今更オタクを取り込む必要も無いのか、作品のポスターなどは貼られていませんでした。

「リア充」の恋愛の物語だけに、オタクには眩し過ぎたのか、それらしい巡礼者には出会いませんでした。

近くても行く機会の無かった川越ですが、観光地としても魅力的な街でしが。今度は川越祭りの時にでも再訪したい・・・。







帰りはサイクリングロードを浦安まで戻ります。荒川CR名物向かい風で・・・・へとへとになりました。




「税の平等」・・・統制 VS 自由

2017-07-06 03:24:00 | 時事/金融危機
 

■ 炭素税 ■

最近池田信夫氏のブログが炭素税やEU型付加価値税の事を取り上げていて面白いので少し考察してみます。

トランプ大統領はパリ協定から脱退するなど「二酸化炭素による地球温暖化仮設」に懐疑的な立場ですが、これは彼の背後に石油資本が居るからだと思われます。ティラーソン国務長官は元エクソンモービルのCEOです。

ところが、米国内の「炭素税」を提唱するシンクタンクにブリティッシュ・ペトロチアムとエクソンモービルという石油大手が参加している様です。このシンクタンクは40ドル/トンの炭素税を導入すべきと提言しています。

炭素税とは製品に含まれる石油製品に応じた額の税金を掛けるもので、例えば車一台に50kgの石油製品が含まれているとすれば(50kg/1000kg)x40ドル=2ドルの炭素税が課せられる事になります。

実際には車を生産する過程で消費されるエネルギーが石油由来であれば、そこにも課税されている訳で、それは製品化価格に反映されます。

炭素税は二酸化炭素の排出を抑制する為に掛けられますが、排出が抑制される為には税金を含めた製品価格の値上がりが消費を抑制する事によって達成されます。製造段階でもエネルギー価格の値上がりを分のコストを抑制する為に、省エネが図られ、結果的に石油の消費量を削減します。

炭素税は国内製品のみならず輸入品にも等しく課税されるので、税的公平性は確保されます。但し、輸入品の生産国が輸出品に炭素税を課税すると二重課税になるので、輸出品には課税されません。これは消費税が輸出品から免除されるのと同等です。

■ 排出権取引 ■

BPやエクソンモービルが炭素税のシンクタンクに参加した理由は、池田氏によればパリ協定が進める「排出権取引」に対抗する為だそうです。

排出権取引は「キャップ&トレード」とも呼ばれ、企業に炭素排出の規制を掛け、その規制を満たさない企業は排出量に余裕の在る企業から排出権を買い取るという物です。

ここで問題になるのは上記の取引においては「総排出量」が抑制されていない点ですが、実際には排出量を減らせば排出権を買うコストが削減できる、又、排出量をさらに抑制すれば排出権を売る事が出来るので企業に二酸化炭素の排出を抑制するインセンティブが働きます。

排出権取引は国家間にも運用され、実際に日本は京都議定書を守る為にロシアから排出権を買っています。

ちょっと複雑な排出権取引ですが、もともとはシカゴ商品取引所が作り出したシステムで、「排出権を商品化する」という「金融ビジネス」の一つです。

二酸化炭素自体は無価値ですが、そこにキャップを嵌める事で、無価値の二酸化炭素が「商品」に生まれ変わるというトンデモ無い代物。これを考え出したのは金融屋でしょう。

そもそも「二酸化炭素による地球温暖化仮設」は、「排出権取引を活発化させる為に作り出された巨大な詐欺」とも言える代物。

パリ協定には中国などの途上国も前向きに参加していますが、排出量が増える事が予想される新興国は、排出抑制の為の技術や資金の支援を期待しています。これは同時に製造技術の向上と効率化を伴いますから、パリ協定は中国に対するヨーロッパの支援的な色彩を帯びてきます。これを排出量の多い日本やアメリカに負担させようという魂胆が透けて見えます。

■ 炭素税と排出権取引はどちらが良いのか ■

炭素税と排出権取引はどちらが良いのか?

炭素税は税率によって二酸化炭素の排出抑制の効果に差を生じます。あまり低い税率では効果が無く、あまり高い税率では経済活動を阻害します。どこかに在るはずのベストバランスを探る必要があります。

一方、排出権取引は国家間の政治的思惑が絡んで条約を批准しないケースが生じます。今回のアメリカが正にその例で、排出量が多く明らかに不利になるアメリカや日本は一方的な負担を迫られる事になります。日本は率先して参加しようというのですから、まさにカモネギですが、政府が金融屋の支配下に在る事を妄想させます。

炭素税は恣意性や政治の介入する余地が少なく、さらには消費者の負担は税金として国に納付されるので、払った税金は少なくとも国民に還元されます。

一方、排出権取引は日本がロシアから排出権を買っている様に、国民の税金が海外に流出してしまいます。さらに排出権は「金融商品」となっているので、それ自体が売買されるという本末転倒の状況に陥り易い。これは他人の借金の債権が金融商品として流通している事にも似ていますが、市場に流入する資金によって排出権価格が乱高下します。実際に一時、ヨーロッパでは排出権が暴騰していましたが、現在は暴落しています。

この様に排出権が金融商品的な性質を持つ事で、排出権による温暖化の抑制は不安定性を持つ事になります。

この様に考えれば、「ウソ臭い二酸化炭素の抑制効果の達成」を横に置いておいても、炭素税の方が排出権取引よりもシンプルで良い様に思えます。

■ 付加価値税としての炭素税 ■

池田氏はさらに炭素税を付加価値税として再定義しています。

付加価値税とは簡単に言ってしまえば消費税の事です。日本の消費税はヨーロッパの付加価値税を簡略化したものですが、商品やサービスの取引に一律課税するものです。炭素税は商品に含まれる炭素に一律課税するものですから、確かに付加価値税に似た性質を有します。

二酸化炭素による地球温暖化仮設が嘘ならば、炭素税なんて面倒な事をせずに、付加価値税に一本化しても何ら問題は在りません。要は消費税率を上げても同じ様なものです。

ただ、炭素税は目的税として、再生エネルギーの技術開発援助や省エネ助成金に充てるなどという、税金の使い道を限定する事で国民の理解を消費税よりも得やすいという利点は在ります。消費税増税には国民は反対しますが、炭素税は支持される可能性が高い。

実際には現在一般会計から出されている再生エネルギーの技術開発援助や省エネ助成金を、炭素税の負担に回せる訳ですから、増税と何ら変わらないのですが・・・復興税に国民が反対しないのと同様のトリックです。

■ 付加価値税に一本化して、法人税と所得税を廃止する?! ■

池田氏によれば、新自由主義の経済学者を中心に、付加価値税に一本化して法人税と所得税は廃止すべきとの議論も活発だとか・・・。

これには多くの方が反発を感じるでしょう。だって、消費税が20%になって企業の税金がタダになるのですから・・・・。さらに所得税がタダになったら金持ち優遇意外の何物でも在りませんから。

一方、消費税(付加価値税)は所得の低い人の負担率が高くなるという「税の逆進性」が在るので、付加価値税への一本化なんてもっての他だ・・・そう考えるのが自然です。

■ ベーシックインカムと一体化で議論すべき ■

実は付加価値税一本化はベーシックインカムとセットで議論されるべきです。

ベーシックインカムは所得に関わらず一定の金額を国が国民に支給するという制度です。例えば国が国民一人当たり年100万円を国民に一律に支給し、但し年金や生活保護は廃止するという制度。

生活保護の月額は8万円ですから年間支給額は96万円。これでは実際に生活が出来ませんから、生活保護世帯は無償の市営住宅に住めたり、医療費が控除されます。一方、生活保護を支給されている間は車などの資産は持てませんし、仕事をして所得を得ると保護は打ち切られます。

こんな変な制度よりは一律100蔓延支給して、後は働いて稼ぐという方が精度的にシンプルで勤労意欲も高まるでしょう。

国民年金の最低支給額は6万円ですから年間支給額は72万円。これも100万円になれば今よりもマシな生活が出来ます。老人二人世帯で200万ならば、貯金が在ればどうにか生活出来ます。

ベーシックインカムが議論される時問題になるのが「財源はどうするのか」です。そこで、付加価値税を一律60%にする・・・。

低額所得者、例えば世帯年収300万円の世帯は貯蓄など出来ず、所得の全ては消費に回るはずですが、支出は税率分上昇するので480万円となるとします。ベーシックインカムの上限金額を世帯で200万円とするならば、払った税金180万円を補って20万円余ります。

一方、1000万円の世帯が税抜きで年間800万円の消費をしたとすると、支出は税率分上昇するので1280万円とします。払う税金は480万円。ベーシックインカムで200万円が支給されると・・・280万円の税金負担となります。(実際に年収1000万円の専業主婦世帯の社会保障費負担は257万円。これに消費税8%分の46万円を足すと税額負担は313万円)


多分、年収700万円世帯辺りから累進的な所得課税が必要になりそうですね。或いは10%程度のフラットタックスにするか・・・。

付加価値税は企業の取引にも消費税同様に均等に掛かりますが、最終的には最終消費者が税金を負担しますから、製品価格は付加価値によって上昇する事は有りません(便乗値上げしなければ)。

■ 法人税廃止ってオカシク無い!! ■

所得税が仮に消費税に一本化出来るとして、法人税が無くなるのってオカシク無い?そう思う方がほとんどでしょう。

ただ、企業が設備を購入したり、エネルギーを消費すれば当然消費税(付加価値税)を消費者として負担します。これを商品の価格に全て転嫁してしまうと製品価格が上昇しますが、仮に従来の法人税の税額相当であるならば価格を据え置く事が可能です。

池田氏の主張は、法人税の存在こそがタックスヘブンや法人税の安い国に企業が移転してしまう元凶なのだとか・・・確かにそうですが・・・。

■ 一国だけでは成り立たない ■

借りにアメリカが上記の様な付加価値税を導入したとします。アメリカ国内で製造された商品にも、輸入された商品にも等しく課税されるので、アメリカ国内だけで見れば輸入品にも公平な税と言えます。

しかし、アメリカの国内物価は消費税分だけ上昇するので、仮に40%のインフレとしてそれが観測されるならば、為替市場でドルの価値が40%減少する事でバランスが取られます。

結果的に40%のドル安が発生するので日本の輸出企業は対米輸出で大きなダメージを受けます。これを防ぐには円を減価するしかありません。そこで日本もアメリカと同率の付加価値税を課せば、国内物価は見かけ上40%上昇して為替相場は均衡を保ちます。

或いは日銀が大量に円をばら撒いて意図的に円を減価するかですが・・・。


うーん、なんだか煙に巻かれた様なお話ですが・・・アメリカが仮に付加価値税の1本化に踏み切ったら、日本を始めとする対米輸出国家は即座に何等かの形で為替を調整せざるを得ない。そして、その方法は税制をアメリカと同等にするという方法が有効である・・・そう池田氏は主張しています。



「税の公平性」の確保は、再分配も含め永遠の課題ですが、付加価値税への一本化とベーシックインカムの導入も、確かに検討する価値が在るのかも知れません。


ただ、輸出企業は戻し税でぼろ儲けですから、ここに歯止めを掛けないと・・・どうも付加価値税の議論の裏にもグローバリスト達の姿がチラチラしています。


<追記>

消費税率60%などと書くと「アリエナイ」と思う人も多いでしょうが、ベルギーは給与税37%と消費税20%を合わせると57%で60%に近い税負担。それを上手に再配分して国民は手厚い福祉や教育の恩恵にあずかっています。だから国民の満足度も高い。

一方、税負担が高くともハンガリーやギリシャなどはその殆どを大量の公務員が食いつぶしています。これは本末転倒。

一方日本は昔はクロヨンと呼ばれ、サラリーマンは9割、自営業は6割、農家は4割の所得が補足され、それに課税されるシステムでした。昨今は多少は改善していると思われますが、やはり現行税制は抜け道も多く、税の公平性に問題が在るのも確かです。

そもそも、キリスト教国家では納税は義務として一種の神(社会)への奉仕と捉えられています。だから税の使い方に納得がいくならば国民は高い税負担にも耐えます。一方、日本では税金はお上に取られる物という意識が強く、なるべくなら払いたく無いという人が殆どでしょう。

AIやコンピューターの発達によって行政は今後自動化が進むと思われます。現在の様な複雑な税制や複雑な制度は、それを管理する公務員の肥大化を招き、公務員という非生産的を職種に優秀な人材を固定してしまう弊害を生み出しています。

私は消費税を60%にして法人税や所得税をタダにしろという意見は確かに極端だとは思いますが、現在の税制が抜け道だらけであり、再配分も恣意的である事の問題点は、国民が理解すべきだと思います。


何だか、本日のテーマは難しくて、頭がオーバーヒートです。


「教育という聖域」から闇献金を生み出す・・・教育国債に絡む闇

2017-07-05 07:54:00 | 時事/金融危機
 

■ 加計学園問題は単なる口利きでは無く、建築土木工事をめぐる疑獄事件 ■

政治と建築土木業界の癒着は昔から噂になりますが、資金の流れを追う事は国税局でも難しく、小沢問題でも結局のところ裏献金を洗い出す事は出来ませんでした。

従来は公共の箱物とか、ダムなどの巨大土木工事がこの様な資金を生み出す温床となっていましたが、「無駄な箱物」とか「無題な土木工事」などに世間の目が厳しくなったので、入札も厳しくなり昔の様には裏の資金を生み出す事が出来なくなっています。

公共事業が闇献金の温床と思われがちですが、誘致に政治家が絡む民間の巨大プロジェクトも、彼らの「口利き」の入り込む余地があり、同様に闇献金を生み出している事は意外に知られていません。

「首相のお友達への口利き」程度に世間が考えている森友問題や加計問題ですが、本質は土木建築工事を通しての闇献金作りである事は報道されていませんでした。

しかし、文藝春秋など一部の雑誌がこの問題を報道し始めた様です。

■ 随意契約と税金ドロボー ■

公共事業では競争入札が行われ、工事費の拡大を防ぎます。以前は業者が談合して落札額を吊り上げ、持ち回りで受注して業界全体が潤っていましたが、世間の目が厳しくなってからは「競争原理」が正常に働き、むしろ薄利で入札して赤字を出すケースも増えています。

この様に政治家が公共事業を通じて闇献金を生み難くなっている中で見過ごされているのが「随意契約」です。

「特殊な技術を要する」とか「入札をしている時間が無い」などの理由で特定の業者を指名して工事を発注するのが「随意契約です」(工事だけではありませんが)。

私の妄想では、福島原発事故で地下水を堰き止める為に採用された「棟土壁」などは特定の建築会社に発注させる為の方便でしか無いかと・・・。効果が確実で無い「棟土壁」よりも、深い掘りや鋼矢板による遮水の方が確実に効果が見込めたと思えます。しかし、それでは競争入札で受注金額が下がってしまいオイシクありません。(尤も原発自体が過剰な安全基準によって一部の業者が利益を独占する構造になっているのですが・・。)

雑誌報道では「新国立競技場」のやり直し入札も、時間が無かった為に和泉首相補佐官の仕切りで「随意契約」で進行したそうです。あれだけの巨大プロジェクトが競争入札で無い事は驚きですが、ザハ案にぶら下がっていた業者と政治家が斬り落とされ、新な利権に付け替えられたのが、あの一連の騒動の本質です。

尤も、ザハ案も相当に悪質で、元々予算内に収まるはずの無いプランを選考しておいて、後から追加予算を膨らめて行くという公共事業の常とう手段が用いられました。そこを、利権を掠め取ろうとする連中に付け込まれたのです。

■ 加計学園が開校を急いだ本当の訳 ■

報道によると加計学園の工事も随意契約で進められている様ですが、その理由は「開校までに時間的余裕が無いので、入札の時間が取れない」というものらしい。

1) 政府戦略特区で獣医学部の新設を決める
2) 開校までの期間を2年程度とする事で京産大を候補から外す
3) 開校までの期間が短いので建築工事は随意契約とする
4) 国の補助金を投入する
5) 随意契約で膨らめた施工費の一部を政治家に還流する

こんな流れの様です。

民間の工事なので随意契約でも問題は有りませんが、税金が投入されているのでここで問題が発生します。(民間でも、大型工事で相見積を取らなかったりすれば経営責任を問われるのが普通ですが・・)

こうして、国民の税金がまんまと掠め取られている・・・これが加計学園問題の本質です。

■ 「教育」という神聖な言葉を利用する教育国債 ■

加学園問題の「税金ドロボー」の本質を報道しない大手メディアは、「教育国債」の問題点にも当然ダンマリを決め込んでいます。

大学などの建築工事は巨大プロジェクトです。キャンパスの敷地は広く、地方行政との連携が不可欠です。ここに政治の介入する余地が生まれます。

人口減少に悩む地方都市は大学のキャンパスを誘致したい。そこで文教族の政治家に誘致の斡旋を依頼する。

一方、新キャンパスの建設を予定している大学は、有利な条件でキャンパス用地を取得し、出来れば多額の補助金を確保したい。そこで政治家に仲介を依頼する。

こうして、「神聖な教育」の裏で、ドロドロの利権が生み出される事になります。

安部政権の元で、何故か急の浮上した「教育国債」ですが、予算がひっ迫する中で無駄な公共事業はこれ以上増やせません。ならば「教育」を看板に掲げ、国債を発行すればいいじゃないか。これなら国民も反対しないだろうし、公明党も賛成してくれる・・・。


まさに「ポピュリズムの時代の打ち出の小槌」が教育国債なのですが・・・学費負担が軽くなる国民がこれに反対する事は絶対に在りません。いつの時代も民主主義を腐敗させるのは「国民」なのです。