『父、帰る』『ヴェラの祈り』『エレナの惑い』『裁かれるは善人のみ』。ロシアのアンドレイ・ズビャギンツェフ監督の第5作。今まですべての映画が傑作ぞろい。今回もなんの疑いもなく大傑作だろうと期待して見た。しかし、今までの4作品のような感動はない。というか、これはもうそういう次元には収まらない映画なのかもしれない。
この圧倒的な拒絶感に震撼させられる。主人公である失踪した少年の両親への感情移入は一切拒否される。だからといって彼らを拒絶したのではない。映画自体がすべてを拒絶するのだ。このふたりが少年にとって世界だった。そんな彼らが少年を拒絶する。だから、少年は失踪するしかない。凍てつく川に流されて死んだのだろう。自殺かもしれないし、事故かもしれないがそんなことはどうでもいい。両親の離婚を知って、泣き崩れる姿が印象的だ。そのシーンの後、もう彼はこの映画から姿を消す。
映画の後半は彼の捜索シーンが延々と描かれる。捜索を指揮するボランティア団体のメンバーが凄い。無能な警察とは対照的にプロとしての仕事を見せてくれる。だが、少年は見つからない。両親は息子の消息を必死になってたどろうとする。探し求める。だが、たどりつけない。彼らが少年を棄てたのだ、とでも映画は言うように、足取りは摑めないまま、ラストを迎える。この非情さこそが、この映画の描こうとするところだろう。感情を一切入れない。ただありのままの事実を突きつける。その先にある荒涼とした風景こそがこの映画が目指したものだ。これまでの4作品も確かにこんな映画だった。だけど、ここまで冷徹ではなかった。
少年にとっての唯一の肉親である祖母が凄まじい。母親の母なのだが、彼女の周囲を完全に拒絶する姿をどう受け止めればいいのか。