とてもいい芝居だとは思うのだけど、なんだか乗り切れなかったというのが正直な感想だ。お話があまりにストレートすぎて、なんだかなぁと思うのである。コロナ禍における感染、隔離を下敷きにしたドラマは、リアルだけど、ここに描かれるドラマは現実ではなくなんだかSF的な設定だ。そのちぐはぐな感じが、この芝居のスタイルであり魅力でもあるのだろう。そこに乗り切れたなら感動したはず。でも、そうはならなかった。断片的に描かれるお話は、現実世界を反映する。そこに象徴される抽象的なものを拾い集めてこのお話は展開していく。
彼は何かのウィルスに感染して隔離され、この孤島に連れてこられる。ここに来たら、新しい名前を自分でつけられるらしい。過去の自分を消すためか。匿名性を確保するためか。もちろん本名を使ってもいい。だから仮名、フジワラ。自分が自分としてここにいられる。ここでは自由だ。でも、ここからは出られない。ただ、車でなら島外に出てもいい。そして車の中から出なければいい。車という密室なら感染しない。それは藤原さんの車でドライブすることだ。この設定を通して何を描こうとしたのか。
ここは以前はハンセン病の療養施設だったようだ。それが新型ウィルスの隔離施設になっている。歴史は繰り返す、のか。ミサイル射撃、ウクライナ戦争。世界の終わり。お話はパンデミックだけに限定しない。今ある世界情勢を織り込み、そこに終末の光景を展開する。消えた藤原さん。消えた橋。修理された車。フジワラは藤原さんの運転でこの島を出ていく。外の世界を見てくる。そして、再び戻ってくる。切れ切れのお話が一本につながらない。
今ある現実を映し取りながら、その先に広がる世界を提示するというのは確かなのだが、そこに何を象徴させたのかが見えてこない。いろんなことが曖昧なまま終わるのがなんだかもどかしい。