セカンドシーズンに当たる4話から7話に突入。4話はあれからしばらくの時間を経て、だからすずには子どもが生まれ、夫もチャンピオンになっている。だけど、次女の尾野真千子は夫の浮気を突き詰められないし、長女も三女も相変わらず。そんな中、父は寝タバコからボヤを出す、ということから始まるのだが前半部分のように面白くはない。
お話が進展せずに停滞したままだからだ。もちろん向田邦子はストーリーの面白さで話を引っ張ろうとしたわけではないからこれはこれでいい、はずなのだが、いろんなことが中途半端なままなのでフラストレーションが溜まる。
長女の不倫とお見合い、次女の夫への疑念や苛立ち、三女の父との同居と結婚、四女の夫,義母との生活。それぞれに立ちはだかる問題はある。それが並行して,あるいは重なりあって描かれてはいる。だけど、それだけで終わる。
3話の母の死でこのお話は終わっていたのか、と改めて思った。これは残念だが余計な後日譚でしかない。是枝監督をしてもオリジナルの欠陥を解消出来なかったのだ。もしかしたらこれを映画化して2時間15分にまとめた森田組の作品の方がいいかもしれない。(あの映画を今もう一度見たらどう思うかはわからないけど)
思えば、TV版の放送された79年、僕はまだ19歳だったのだ。昨日から再放送されている山田太一の『沿線地図』も79年作品だった。あの頃は『阿修羅』より『沿線地図』に夢中だったけど、今見たらこれも響かない。
今回の新作を見ながら79年は遠い昔になったことを再認識した。だって当時孫世代だったのに、四姉妹を通り越して父親母親世代が今の自分とは同世代になっているのだから。
是枝監督は「これはもう時代劇だ」と、どこかで言っていたが、この時代を通して彼は何を描きたかったのか。それが明確にならないもどかしさがある。