きっとこんな映画なのだろう、と期待したような映画だった。手塚眞は彼の最高傑作である大作『白痴』のように、今回もまた大胆に自分の世界を提示した。原作の持つ雰囲気を大切にしながら、彼にしか作れない世界を堂々と見せてくれる。でもそれは自分の独りよがりにはならない。圧倒的なビジュアルで映画を埋め尽くす。
ばるぼらというわけのわからない女と出会ってしまった男の地獄めぐりだ。でも、それは彼にとって快感である。だからこれでいい。さっさと地獄に落ちろ。そんな気分だ。何不自由ない暮らしをしている売れっ子作家がホームレスの女を拾ってくる。彼女の魅力の虜になり、身を持ち崩していく。悪魔的な女に狂わされていく、というわけではない。彼はちゃんと理性的に対応している。でも、それが狂気なのだ。倒錯的なドラマというわけでもない。現実からどんどん外れていく。彼女の導く世界へと誘われていく。
狂気の世界に誘われ、すべてを失っていく。幻でしかない彼女を追い求め、彼女との世界に耽溺する。それだけの映画だ。そこには何の理屈もいらない。なんでこうなるのか、とか、そこに何の意味があるのかとか、この映画のテーマは何なのかとか。そんなめんどくさいことはどうでもいい。この圧倒的なビジュアルに身を任せるだけでいい、これはそういう映画なのだ。つまらないと思う人も多々いることだろう。この映画には何の意味もない、と。でも、そんなこと最初から承知の上だ。そこが作り手の狙いなのだから、そう思うという事は狙い通り、ということなのだ。
稲垣吾郎と二階堂ふみの二人の世界は、まずは新宿という猥雑な町の迷路の中で繰り広げられていく。彼のマンションの一室から、やがてたどり着く世界はこの世の果てなのか。誰にも知られることのない山小屋で、映画は死んだ女を抱くことで、閉じられていく。ここはどこだ。これはなんだと、茫然とする。