村上春樹の最新短編集なのだが、いつも通りの内容に既視感しかない。彼のこんな小説なら今までも何度となく読んでいる。だからこれは昔ながらの変わることのない村上ワールドなのだ。そしてそれが心地よい。ぬるま湯のようなこの世界に浸っているといろんなことがどうでもよくなる。何かとても大切なことがあったはずなのに、それが何だったのか、わからなくなる。でも、それがどうしたというのだ。忘れてしまうなら忘れればいい。そんな気分。どのお話にもオチに当たる部分がない。それで?っという気分にさせられるのだけれど、それも嫌ではない。そんなものなのだ、と思わされる、ということなのだ。
彼女のことを忘れたわけではない。でも、もう逢うことはない。彼女は何のために招待状を送ってきたのか。そしてピアノリサイタルはなかったのか。あのレコードは幻だったのか。あの人語を操る猿は存在したか否か。そんなことのひとつひとつがどうでもいいことなのだ。でも、そこにはきっととても大切なことが隠されてある。でも、それを知る事はない。
人と人との関わりは儚いものだ。だから大切にしたいとか、そんな話ではない。幻のようなときを、ただただ見守るばかり。おもしろい小説を読みながら、その先がこんなにも気にかからないことはない。ふつうなら、当然気になるものだ。物語というものはそういうものだろう。でも、彼の小説はそうではない。お話自体ではなく、そこにいるということが、ただそれだけが、大切なのだ。この時間のなかで、まどろんでいればいい。
変わらない世界を提示するこの短編集の中で、唯一異質な『ヤクルトスワローズ詩集』が、私小説っぽくて、楽しい。エッセイではなく小説としてこのお話を作り、ここに納めたことが、楽しいのだ。遊び心ではなく、これだってちゃんとここに収まりきるということ。それは「こんな小説もある」というお話でもある。