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映画・演劇のレビュー

iaku『The last night recipe』

2020-11-15 21:18:51 | 演劇

こんなにも痛ましい芝居はない。冒頭から泣けてしまい、困った。妻が死んだ、というそれだけで過剰に反応してしまう今の自分は異常だ。3月に突然妻が入院して、そこから彼女が、ではなく、自分がおかしくなってしまった。そんな個人的なことも影響しているのだろう。まぁ、それはこの芝居のせいではない。だけど、この芝居の「覚悟」は普通ではない。こんなふうに描くのか、ということと、こんなことを描くのかという驚き。ここまで突き詰めるとは思いもしなかった。

2時間越えの大作である。だからといって大きな事件を扱うわけではない。いつものように、どこでもいそうな、ふつうの人々の日々を描く。日常のスケッチだ。だけども、今までの横山さんが描くドラマとは、これは少し肌触りが違うかも知れない。いつも以上に痛ましい。

 

今まで通りにしていることが困難な時代を受け入れて、そこからどこに向かえばいいのか呻吟する。コロナ禍の今をそのまま背景にして取り上げる。2019年から2021年までが描かれる。未来から現在経由、過去まで。この先を視野に入れるのではなく、この先から始まる。突然妻が死んだ。それだけのことなら個人的な出来事だ。だが、そうではない。すべてはこの時代だからこそ起きたことかもしれない。ピンポイントのコロナ禍ではなく。

 

それにしても、こんなにつらくて重い芝居を見るのは初めてかも知れない。今という時間を背景にして、ひと組の夫婦が抱える問題をみつめ、彼ら個々の問題が、周囲に与える影響を丁寧に拾い上げていく。それが単純にどうすればいいのか、という答えにたどりつかない。ひとりひとりが自分の問題と向き合い、少しずつ前進していくしかない、という答えにはなんとか行き着く。その苦しい現実こそが光となり、そこから一歩を踏み出していくことになる。こんな時代だからこそ、いや、どんな時代であろうとも、誰もが抱える不安は同じだ。ただ、それと真摯に向き合い答えを出すしかない。こんな抽象的な話ばかりを書いてしまうのは、ここにある「特別」が「普遍」に繋がるからだ。

 

ある日、突然妻が死んでしまった。それを受け入れるところから、始めるしかないのだが、やがて、このお話自体、単純ではないことが明白になっていく。彼には仕事がなく、妻に養って貰っていたという現実が見えてくるところから、彼らの特殊な関係が明らかになる。そこからこのありえないような物語は始まる。彼ら夫婦がなぜ結婚に至ったのかという特異な事情は、とうてい納得のいくものではない。本人たちだって、そんなことは信じられない。

 

彼女は彼を助けるために、まだ数回しか会ったことのない彼との結婚を決定する。貧困から未来を閉ざされた彼を救い出す手段はそれしかない、と思う。結婚を武器にする、って大胆すぎる。そこにはまだ、個人的な愛はない。だって彼は取材相手である。彼を知っているのではなく、彼の置かれた状況しか知らない。彼は彼女にひきずられるようにして、家を出て結婚する。

 

自分の人生を掛けてたったひとりの青年を貧困から救い出すことを突然決意して実行する無謀の背景には彼を通して自分の仕事を成し遂げようというもくろみもある。彼との出来事をルポにして一冊の本にまとめあげる。ライターとして認めて貰い、独り立ちするため、彼を利用するのだ。しかし、そんな理由だけで、結婚するなんて、あり得ない話だ。さらには、コロナの新薬をレポートするため治験を引き受け、それが原因だかどうだかわからないまま、死んでいく。こういう用意されるドラマはあまりに突飛すぎて、本来メインとなるはずだったラストレシピを巡るお話が色褪せてしまう。これは甘いお話ではない。この作品が描く悲惨な現実は未来の見えない今ここで生きることの意味を問いただす。

 

突き詰めていくと、どこにたどりつくのか。仕事と愛。日常と非日常。夢と現実。ルポライターをしている女性が取材対象である男性を救い出すためだけに「結婚」という手札を切り、彼を抱え込む。その理不尽なことから始まるとんでもない物語の切実さは、その一点だけで想像を絶する。ギリギリでどう生きるのかを問いかける。

 

妻の死という現実をどう乗り越えて生きていくのかを描くというよくあるパターンからここまで遠いお話にしたのは、コロナ禍だけでない根源的な不安と向き合うためだろう。ここにあるのは、わかりやすい夫婦愛のドラマからこんなにも遠く離れたお話だ。それは我々ひとりひとりが今をどう生きていくのかを問い質す。その一点だけ。凄まじい。


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