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映画・演劇のレビュー

『櫻の園』

2008-10-23 22:45:08 | 映画
 なぜ今頃もう一度『櫻の園』なのだろうか。見ながらずっとそのことばかりが気になっていた。18年の歳月を経て中原俊監督が再びメガフォンを取る。

 もちろん単純な再映画化ではない。あの映画をもうひとつのストーリーのもとに映画化する。だからこれは別の映画だ、といってもいい。続編と言うことすら可能だ。だが、そんなふうにはしない。大ヒット作のパート2ならさんざん作られるがこれはその類のものではない。だいたい興行的な何らかの保障があるか、と言われたなら反対にまるでない、と答える。前作のファンがこの映画を見たいか、と言われるとたぶんほとんど誰も見たくはないと答えるだろう。では新しい映画ファンはどうか、と言われたら、こんな古臭い企画に触手をそそられるとは思えない。デメリットばかりで心配になるくらいだ。

 前回も大ヒットしたとはいえミニシアターでの上映であり、そのことはまるでアピールにはならない。ではなぜ、今この企画が通ったのだろうか。古典的名作というには中途半端で、90年のあの頃には確かに評判になったが、今、この映画化になんの魅力も感じない。

 映画を見ながら一体何がしたいのか、皆目見当が付かなかった。後半学校に隠れて『櫻の園』の練習をするのだが、それがなぜか校内の立ち入り禁止の旧校舎というのはなんだかおかしくないか。一番学校側から目立つところで稽古してどこが秘密なのか、僕にはよくわからない。だが、百歩譲ってそのまま見た。すると、担任の先生が私もあんたたちに協力するとか言ってランニングとか始める。おいおい、学校に無許可なのに校内で、担任の指導のもと大々的に練習していいのか。しかも、ラストでは早朝緊急職員会議(授業を自習にして行うのだ!)で『櫻の園』上演について話がなされるのだ。なんだかついていけない設定だ。

 だが、それでも見続けた。ラストは前作を踏襲した公演前のエピソードで、あの有名な写真撮影の場面もある。エンドタイトルが出てきてもなんだか納得がいかなかった。

 これは遠い日の映画だ。懐かしい時代の香りがする。この閉鎖的なお嬢さま学校で学ぶ女子高生たちは世界から切り離されて生活している。閉じられた学園でそこだけのルールのもと生きている。田舎のエリートが通う有名な女子高という架空の場所を舞台にして現実とは違う時間の中でドラマは展開していく。ここにはこの世界にしか通用しない普遍性がある。もしかしたらそんなものが若い観客の心を打つのかもしれない。

 11年前の事件。それ以降演劇部は廃部にされ、この学苑の伝統だった創立記念日の『櫻の園』上演は中止された。そんな中、もう一度復活させようとする子供たちの姿が描かれる。100年前、ロシアで上演された戯曲をなぜ今を生きる若い女の子たちが上演しようとするのか。そこには変わる事のない「若い日」への憧憬がある。永遠にくりかえされる青春の日々。そんな中でくりかえし上演されるチェーホフのこの戯曲、そういう設定を通して、時代が変わろうとも変わる事のない十代の時間の愛おしさを描こうとした。それだけがこの映画の信じるリアルなのだろう。とはいえなんだか納得はいかないのが現状だ。なぜ、今『櫻の園』か。本当はまるで僕にはわからない。

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