これはプロローグでしかない。ここから始まる壮大なプロジェクトの序章である。だいたい『OASIS』と言いながらも、まだどこにもそれは描かれていない。それはこれから先のお話なのだ。だいたいこの芝居が「オアシス」にまで行き着くことが出来るのかすら不明だ。
リーディングというスタイルで、小原さんはこれから作られる死刑制度をテーマにした新作の予告編を作り上げた。だが、これはただの予告ではない。核となるエピソードを通してこれから綴る膨大なお話の核心を貫く問題を1時間強という限られた時間の中で示す。今回は客観的な事実を示すだけに留める。ドラマ自体はここにはまだない。あくまでもただもラフスケッチでしかない。だが、ラフだからこそ見えるものがある。主人公たちのエモーションは描かれない。すごい距離感だ。それはリーディングというスタイルゆえ強調される。話の輪郭だけが示されてその中身はまだ語られない。
この芝居は、まず、≪牛男≫という不気味な存在を提示する。この謎の存在が芝居全体を覆う。それは見えない闇だ。だが、そこには大事な問題が隠されている。
そしてある夫婦の物語を中心に据える。犯人の手にかかって殺された子どもの両親である。彼らは今では離婚している。5人を殺して拘留されている男は、殺したことで自分が処刑されることを喜んでいる。死ぬために殺したのだと嘯く。そんなことが許されるはずもない。夫は法廷で犯人を殺そうとする。だが、出来ない。
様々なエピソードが交錯する。複雑に入り組んだ様々な人たちの思惑が死刑制度というテーマのもとに収斂する。今回はその問題提起だけである。ここから始まる。
本来の主人公であるフリー・ジャーナリストの女性がここでは脇役しか振りあてられていない。彼女がこの事件をどう見たのか。それは今後の完成版で描かれることであろう。来年3月の試演会が楽しみだ。そこには、ようやくこの芝居の全体像が示されるはずだ。
リーディングというスタイルで、小原さんはこれから作られる死刑制度をテーマにした新作の予告編を作り上げた。だが、これはただの予告ではない。核となるエピソードを通してこれから綴る膨大なお話の核心を貫く問題を1時間強という限られた時間の中で示す。今回は客観的な事実を示すだけに留める。ドラマ自体はここにはまだない。あくまでもただもラフスケッチでしかない。だが、ラフだからこそ見えるものがある。主人公たちのエモーションは描かれない。すごい距離感だ。それはリーディングというスタイルゆえ強調される。話の輪郭だけが示されてその中身はまだ語られない。
この芝居は、まず、≪牛男≫という不気味な存在を提示する。この謎の存在が芝居全体を覆う。それは見えない闇だ。だが、そこには大事な問題が隠されている。
そしてある夫婦の物語を中心に据える。犯人の手にかかって殺された子どもの両親である。彼らは今では離婚している。5人を殺して拘留されている男は、殺したことで自分が処刑されることを喜んでいる。死ぬために殺したのだと嘯く。そんなことが許されるはずもない。夫は法廷で犯人を殺そうとする。だが、出来ない。
様々なエピソードが交錯する。複雑に入り組んだ様々な人たちの思惑が死刑制度というテーマのもとに収斂する。今回はその問題提起だけである。ここから始まる。
本来の主人公であるフリー・ジャーナリストの女性がここでは脇役しか振りあてられていない。彼女がこの事件をどう見たのか。それは今後の完成版で描かれることであろう。来年3月の試演会が楽しみだ。そこには、ようやくこの芝居の全体像が示されるはずだ。