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神原さんが浮狼舎として、本公演をするのは本当に久しぶりのことだ。神原組やハレンチキャラメルと、浮狼舎という3つの団体を核にして精力的に活動されている神原さんにとって、やはり母体である浮狼舎の看板を背負って打つ本公演は特別なものであろう。プロデュースでも、座付作家としてでもなく、主宰者として挑む自劇団での公演というスタンスは、彼女にとってやはりとても大事なものであるはずだ。僕も浮狼舎が見られる、というだけでなんだかワクワクする。
若手新人劇団員6名を迎えての満を持しての作品である。だが、力むことなく、どちらかというと軽いフットワークで、1時間15分という中編作品として仕上がった。王朝ものではなく、昭和55年、1980年という時代を背景にして、ささやかな庶民の哀歓を描く。肩肘張った大作ではなく、とてもひそやかな作品である。消えていこうとする昭和の残滓をひきずりながら、昭和とともにゆっくりとなくなってしまう人々の優しさ、思いやりの心を、万感の想いをこめて歌い上げる。
だが、ただ優しいばかりではない。ラストでは当然、いつものように惨劇を用意する。あんなに死ななくてもいいじゃないか、といつもなら思う位に死体の山が出来るのだが、今回はいささか死者が少なくて驚く。
男と女の切ない恋物語、という基本ライン。短編連作に近いスタイル。ひとりひとりの役者にきちんと見せ場を用意する。とても、気を使った作り方がなされている。今回の神原さんは黒子に徹しているのもすごい。
若手新人劇団員6名を迎えての満を持しての作品である。だが、力むことなく、どちらかというと軽いフットワークで、1時間15分という中編作品として仕上がった。王朝ものではなく、昭和55年、1980年という時代を背景にして、ささやかな庶民の哀歓を描く。肩肘張った大作ではなく、とてもひそやかな作品である。消えていこうとする昭和の残滓をひきずりながら、昭和とともにゆっくりとなくなってしまう人々の優しさ、思いやりの心を、万感の想いをこめて歌い上げる。
だが、ただ優しいばかりではない。ラストでは当然、いつものように惨劇を用意する。あんなに死ななくてもいいじゃないか、といつもなら思う位に死体の山が出来るのだが、今回はいささか死者が少なくて驚く。
男と女の切ない恋物語、という基本ライン。短編連作に近いスタイル。ひとりひとりの役者にきちんと見せ場を用意する。とても、気を使った作り方がなされている。今回の神原さんは黒子に徹しているのもすごい。