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映画・演劇のレビュー

カメハウス『どろどろどるーんぷらすてぃっく』

2016-05-15 21:41:17 | 演劇

 

これは凄いわぁ。見ながらその強烈なイメージに圧倒された。というかその大胆な性描写。ふつう芝居でこういうことをしない。(まぁ、亀井さんだから「ふつう」なんかはしないのだけど。)でも、強烈で、鮮烈な青春絵巻。「マンガなら、こういうのはよくやるでしょ、」と舞台監督の塚本さんが終演後の雑談で行っていたけど、山本直樹とかならとこかく、これはエロも含むマンガではなく、エロも含む小劇場演劇なのである。なんか、そういうの、ふつうはない。こんなこと、誰もなかなかやらない。もちろん、ポイントはそこではないけど、まず、そこも大事。そこをスルーして、この芝居を評価出来ない。

大胆というのは表現ではなく、思い切った演技に挑んだ役者たちの勇気だ。それをこんなにも、ドロドロで、でも厭らしくなく奇麗に見せた演出の力、そんな演出家を信じた役者たち(結局そこに立ち戻る)。まず、この芝居について書く前に、そこを抑えなくては先には進めない。

 

高校生の日常を描いた回顧的なドラマという枠組みを持つ。亀井さんの高校時代をモデルにして「80%実話」ということらしい。少女マンガのようなキラキラした青春ものではない。だが、ドロドロしたものでもない。なんだかとても透明感のある作品なのだ。いつものカメハウスのような激しさは内に秘める。

退屈な日常を描く。だが、その「日常は退屈で美しい」。主人公の性的妄想を描く、なんていう切り込みをしたなら、損なわれる危うさ。現実なのか、夢なのか、と言われたら、青春なんてものが、そういうものさ、と嘯くしかない。ここには今自分が直面していることに対して、驚くのではなく、そこに対してさえ距離を感じてしまう現実感のなさ。それが彼にとっての日常なのだ。

3月31日に向けてカウントダウンしていくお話が、切実ではなく、退屈に描かれる。その日に死んだ兄の日記の通りに追体験していく。自分もまた、兄と同じように死んでいくはずだ、と思う。同じ時間に同じように死のうと決めている。どうして、そこで死ななくてはならないのか。彼が見た兄と自分の恋人とのセックス。それが彼のトラウマになっている、ということになっているけど、果たしてそうか。それだって危うい。

 

お話はミステリタッチで描かれていく。謎は徐々に解けていく、のではなく、謎はどんどん深まる。闇の奥にはもっと深い闇はある。どこまでいこうと、堂々巡りの繰り返し。だが、時間は確実に過ぎていく。やがて、運命の3月31日はやってくる。彼は果たして死ぬのか。

 

死なない。だって、これは退屈な日常を描く物語なのだから。火曜日の謎や、彼の周囲の女の子たちの行為。学校自体が虚構の苑で、そんな迷宮の中で、当てもなくさまよう2時間の幻。はっとさせられるような描写がいきなり不意打ちのように現れる。でも、僕たちはそれを夢見るように見守る。こんな現実はない。その醒めた感覚は主人公の彼自身が抱いている感情だろう。彼とともに、高校生の頃、という妄想の世界にいざなわれる。今回亀井さんはこういう迷路を提示する。刺激的で、でも、なんだか懐かしい。10代の妄想は誰にも心当たりがある。

 


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