この小さな本が提示した不思議はただの不思議ではなく、もしかしたら現代の黙示録なのかもしれない。どうでもいいようなことの集積が、実はとんでもないことの始まりであった、かもしれないし、もう始まりなんかではなく、終わってた、なんてことであるかもしれない。1999年に書かれた『魔術師』という短編の孕む不穏な空気に圧倒された。淡々と語られる不思議なできごと。それらがひとつに重なる時、答えが出るのではなく、世界が終る。なんだ、そんなことだったのか、と安心するのではない。まだまだ日常は続くけど、それはいつ何の前触れもなく終わってた、にしても気付きもしない。
最後の『魔術師2016』は、もうひとつの警告だ。その間に交互に挟まれる2種類の連作エッセイ集(『ブリキの卵』『この世は少し不思議』)はまるで関係ない顔をしているけど、そうじゃないことは明白だ。特に『ブリキの卵』は実際の写真を基にしたフィクション(だから、これは小説なのだが)のはずなのに、まるでノンフィクションの顔を平気でしている。大胆だし、厚かましい。
都市伝説なんて、どこにでもあるただの噂話だけど、そこには真実が包み隠されていることも明白な事実だ。恩田陸は、奇を衒わずふつうの顔をして、この小さな本をさりげなく提示した。一瞬で読み終えることが出来る。だけど、これをさらりと流すのは危険だ。予感というものは侮れない。
余談だが、昨年、高校の修学旅行で仙台に行った。自由行動の時間があり、ほんの数時間だったけど、初めて本格的に仙台の街を歩いた。もちろん、単独行動だ。足の赴くまま、町中をふらふらさまよう。小さな町だった。ここに出てくる古い横町も歩いた。たぶん。中心から、周縁まで、2,3時間しかなかったけど、ここに書かれてある気分がなんとなくだけど、わかる気がした。まぁ、わかったような気がした、だけだろうけど。