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映画・演劇のレビュー

『アブラクサスの祭』(改訂版)

2011-12-28 09:11:11 | 映画
   あまりに中途半端にしか、書いてなかったので、少し加筆した。 

 もとパンクバンドのボーカリストである鬱病にかかったお坊さん(スネオヘアー)が、再びギターを持って、お寺でライブをする、なんていう話だと聞くと、これはきっとコメディーだ、と思うことだろう。坊さんの話つながりで周防正行監督の『ファンシー・ダンス』のような映画を想像する人もいるだろう。(いや、そんなこと、誰も思わないかぁ)だが、もちろんこれはそういう映画ではない。

 この内省的なドラマは壊れてしまう直前のギリギリのところで危うすぎるバランスを保ちながら生きているひとりの男の日々を丁寧に描きとったスケッチなのである。見ていて、いつ彼が爆発してしまうのか、ハラハラさせられる。一見緩い映画に見せかけて、こんなにも緊張を強いられる映画も珍しい。映画自体はとても静かな映画なのである。福島(!)オールロケで描かれる田舎の風景がとても優しい。更には主人公を取り巻く人々も優しすぎるくらい優しい。彼のいるお寺の住職夫妻(小林薫、本上まなみ)、彼の妻(ともさかりえ)と幼い息子。よそからやってきた彼を受け入れるこの町に住む人たち。

 だが、そんな甘やかされた環境の中で、彼はどんどん落ち込んでいく。映画は常に何かが起きそうな危うさを孕んだ緊張感が持続する。当然、それはまるで気持ちのよくない危うさなので、見ていてストレスがたまる。だが、この居心地の悪さと2時間付き合ううちに、ラストでは、この映画を見ていた自分もまた、彼と同じように「何か」から吹っ切れたのではないか、という気分にさせられる。 

 地域の人たちの善意に支えられたラストのライブシーンはとてもいい。でも、ここでも彼がいつ暴れだすのか、と思いながらドキドキさせられた。でも、なんとかバランスを取り、やり遂げる。それだけでほっとする。地域がひとりの鬱病の青年をケアする。彼は東京からひとりで(あるいは、家族と共に)ここにやってきた。そしてここに根づこうとする。僧侶というコミュニティーの中心を担う存在となるため、みんなから尊敬され守られている。しかし、現実の彼はただの30代の青年で、もともと精神を病んでいて、そこから抜け出すために僧侶を志したにすぎない。周囲の期待と現実の落差に苦しんで、それが現状を引き起こしている。冒頭の高校生の前で仕事について話をする席でパニックになるエピソードから一気に作品世界にひき込まれる。映画自体に余裕はない。最初から彼は追い詰められている。だが、そんな彼を妻子が支える。彼のことを困った存在だと思う人もいないことはないが、基本的には彼をよそ者として排除するのではなく、支える。

 彼のシンパシーを抱き、一番親身になって支えてくれた和菓子屋の主人(彼と同世代)が、突然自殺する。そのショックで、彼の精神状態は最悪になる。このエピソードがこの映画の肝だ。2人の対比があるから、ラストが甘くならない。

 解脱には程遠い。煩悩は抱えたままだ。それでも、なんとか自分と折り合いをつけて生きて行くしかない。僕らはまだ、死んでしまうわけにはいかないからだ。ここにはカタルシスはない。だが、これでいい。ラストシーンで石段を下っていく彼の後ろ姿をずっと見せて行く。そこに作者のこの映画に込めた覚悟を感じる。鬱を抱えながら生きて行くことを、この映画はとてもリアルに描いていて、身に沁みる。

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