フランソワ・オゾンはなぜこんな映画を作ろうと思ったのだろうか。羽の生えた赤ちゃんを巡る物語はドタバタコメディーにすることも可能だった。しかし、彼はそんなものは作らない。初期の作品にあった不条理とそれを受け入れて生きていくこと、といったテーマがとても口当たりのいいドラマとなって帰ってきたって感じだ。
でも、この当たり障りのなさって、なんか違う気がする。リッキーが戻ってこないラストは、作者が「この映画をファンタジーとして受け入れる」とでも言っているみたいで、これってそんな甘い映画だったのか、と驚く。もともとはダークな話だった気がする。大体この赤ちゃんの背中にしこりが出来、それが大きくなりそこから気味の悪い骨が出てきてこれがちゃんと天使の羽になるまでの過程が丁寧に描かれる。そこがとてもグロテスクで見ていられない。この子の羽はもともとは奇病でしかない。なのに、母親はなかなか病院にも行かず、放置する。あり得ない話だ。
大体なぜ、人間の背中から羽が生えてこなければならないのか。まぁ、それはいいとする。ただそうすることで、この家族がどう変わっていくのか。世の中はこの不思議をどう受け入れたのか。そんなこんなで、いろんな問題がすべてお座なりにされたまま終わる。これでは見終えてもなんかすっきりしないじゃないか。
後半羽がちゃんと機能し、空を飛ぶところから映画のカラーが変わる。あんなにリアルだった羽の成長に比して、その飛翔シーンはなんかとてもおざなりだ。初めて外に出て空を飛ぶとき母親が簡単に足に付けた紐を放すのも、安易だ。そのことで赤ちゃんが帰れなくなる。まるで最初からそんな存在はなかったかのように話は続く。そんなのでいいのか?
主人公は赤ちゃんの姉となる少女の方で、彼女目線で映画は始まったはずなのに、そこもお座なりになる。なんともよくわからない映画だ。
でも、この当たり障りのなさって、なんか違う気がする。リッキーが戻ってこないラストは、作者が「この映画をファンタジーとして受け入れる」とでも言っているみたいで、これってそんな甘い映画だったのか、と驚く。もともとはダークな話だった気がする。大体この赤ちゃんの背中にしこりが出来、それが大きくなりそこから気味の悪い骨が出てきてこれがちゃんと天使の羽になるまでの過程が丁寧に描かれる。そこがとてもグロテスクで見ていられない。この子の羽はもともとは奇病でしかない。なのに、母親はなかなか病院にも行かず、放置する。あり得ない話だ。
大体なぜ、人間の背中から羽が生えてこなければならないのか。まぁ、それはいいとする。ただそうすることで、この家族がどう変わっていくのか。世の中はこの不思議をどう受け入れたのか。そんなこんなで、いろんな問題がすべてお座なりにされたまま終わる。これでは見終えてもなんかすっきりしないじゃないか。
後半羽がちゃんと機能し、空を飛ぶところから映画のカラーが変わる。あんなにリアルだった羽の成長に比して、その飛翔シーンはなんかとてもおざなりだ。初めて外に出て空を飛ぶとき母親が簡単に足に付けた紐を放すのも、安易だ。そのことで赤ちゃんが帰れなくなる。まるで最初からそんな存在はなかったかのように話は続く。そんなのでいいのか?
主人公は赤ちゃんの姉となる少女の方で、彼女目線で映画は始まったはずなのに、そこもお座なりになる。なんともよくわからない映画だ。