インディペンデントシタター・ファーストの狭いステージで、大人数でダンスを見せる。まさに狂気の沙汰だ。足の踏み場もないから、横の人とぶつかってしまうギリギリ。踊りながら役者たちはまともに手足も伸ばせない。でも、舞台からはみ出し、踏み出してしまうくらいの大熱演。しかもこの空間であれだけ大きな声で演じたなら舞台前の観客は耳がキンキンして痛いです。でもお構いなし。HepとかABCホールとかでも十分大丈夫なくらいの迫力で全身全霊全力大疾走する。
それって手を抜かないとか、いう問題ではなく、どこにいてもミジンコターボは全く同じように芝居を作るということで、まるで場所柄をわきまえないバカと紙一重。でも、それだから彼らは凄いし、それでなくては彼らではない。片岡百萬両の真面目さと、テンションの高さ、芝居への情熱がとてもよく伝わってくる。ここまでくだらないことに、これだけのエネルギーを投入出来る人はいない。なりふり構わず、いつも持てる力のすべてを出し、芝居を作る。1時間の芝居だからといってセーブなんかしない。その結果1時間のはずが、1時間20分のランタイムとなってしなうのだが。(ウイークデー6時、8時の公演で、演目も変わるため、入れ替え時間がギリギリとなり、大変そうだったが、そんなこと、ものともしない。)
『スーパーソニック赤子(大往生)』のスピード感とバカバカしさは言語を絶する。もう考える暇も与えず一気に80分走り抜けて行く。捨て犬のスパークを拾ってきた赤子だが、自分の部屋では飼えないから、バイト先のコンビニで飼う。だが当然店長に見つかり「捨ててきなさい」と言われるところから話は始まるのだが、もうこの基本設定からして、むちゃくちゃではないか。そして、そのむちゃくちゃはどこまでもエスカレートしていき、とどまるところを知らない。
赤子はスパークが捨てきれなくて、もうバイトなんかどうでもいいや、と思い、(おいおい)1人と1匹で散歩(旅ではない)に出る。(仕事中なのに!)「スパークが行きたいところに行こう」とか言いながら、デートコース定番の海に行く。そこで身投げする女を救い、スパークの船に乗りたいというリクエストに応え、乗った船はなんとフィリピンへ。麻薬の売人のカバンと自分のカバンを間違い、追いかける売人を振り切り、逃げる。そこに小学時代からのライバル青子(若大将と青大将だ!)が登場し、彼女を追う。北朝鮮まで逃げて、そこでキム・ジョンイルと会い、テポドン攻撃を受け、スパイになった姉とも再会、スパークの故郷アメリカに行き、宇宙に飛ばされ、エイリアンに会い、結婚を迫られ、巨大化してキングコングよろしくエンパイアステートビルで暴れる。
もう、こうして「あらすじ」らしきものを書いていても、そのバカバカしさに閉口する。だが、本当はこんなレベルではない。もっと凄い細部のディテールに凝りまくった大ボラ大会が敢行されている。
天然少女赤子を演じる川端優紀の暴走と、それをきちんとセーブしてコントロールしているはずが、さらなる暴走を呼ぶSUN!演じるスパークのコンビネーションプレイに引っぱられて、全部で13人に及ぶキャストが狭いステージを走り回る。本公演の時の落ち着いたタッチとは対照的にこのショートショートではやりたい放題の爆走で、片岡百萬両は持ち味を十二分に発揮する。内容なんて、どうでもいい。勢いだけで芝居は作れることを彼は証明する。だが、それって簡単なことではない。彼の天才的本能が冷静に機能するから可能なのだ。
『儂が燃えて死ぬまでの噺(大炎上)』はちょっとおとなしめの会話劇スタイル。信長が本能寺で死んでいく直前をドタバタで見せていく。これもまた見事に中身のない芝居。ここまで遊び尽くしていいのか、と心配になるが、もちろんなんの問題もない。遊び尽くせ。
燃え尽きるまでバカやっている。そんな作品である。『赤子』と違って観客がよく笑っていた。それだけ、芝居に余裕があるからである。大傑作『赤子』は笑う暇も与えない。でも、こちらはゆっくり笑える程度に凄い、ということなのだ。だが、ラストはちょっと引っ張り過ぎた。もっとスマートに終わらせていい。大塚宣幸の呪縛霊に語らせるのは、他のキャストの着替えのためなのだろうが、それって本末転倒。あの語りがこの芝居のテーマになってしまって、バカやってるはずが、シリアスになる。それはこのショートショートの本来の趣旨からはずれる。これでは普通の感動芝居になる。ラストの白装束もそうだ。
こいつらはただのバカでいい。がむしゃらに突っ走る。それでいい。影武者の話なんかで戦国の世の無常とか描かなくていい。
だが、この2本をセットにして、ミジンコターボの静と動を対比させて見せた、とすると、これはこれでいい。この後、11月3日から6日まで東京公演である。東京の皆さんがミジンコターボと出会える、いい機会だ。ぜひ見て欲しい。(写真は東京公演用のチラシ)
それって手を抜かないとか、いう問題ではなく、どこにいてもミジンコターボは全く同じように芝居を作るということで、まるで場所柄をわきまえないバカと紙一重。でも、それだから彼らは凄いし、それでなくては彼らではない。片岡百萬両の真面目さと、テンションの高さ、芝居への情熱がとてもよく伝わってくる。ここまでくだらないことに、これだけのエネルギーを投入出来る人はいない。なりふり構わず、いつも持てる力のすべてを出し、芝居を作る。1時間の芝居だからといってセーブなんかしない。その結果1時間のはずが、1時間20分のランタイムとなってしなうのだが。(ウイークデー6時、8時の公演で、演目も変わるため、入れ替え時間がギリギリとなり、大変そうだったが、そんなこと、ものともしない。)
『スーパーソニック赤子(大往生)』のスピード感とバカバカしさは言語を絶する。もう考える暇も与えず一気に80分走り抜けて行く。捨て犬のスパークを拾ってきた赤子だが、自分の部屋では飼えないから、バイト先のコンビニで飼う。だが当然店長に見つかり「捨ててきなさい」と言われるところから話は始まるのだが、もうこの基本設定からして、むちゃくちゃではないか。そして、そのむちゃくちゃはどこまでもエスカレートしていき、とどまるところを知らない。
赤子はスパークが捨てきれなくて、もうバイトなんかどうでもいいや、と思い、(おいおい)1人と1匹で散歩(旅ではない)に出る。(仕事中なのに!)「スパークが行きたいところに行こう」とか言いながら、デートコース定番の海に行く。そこで身投げする女を救い、スパークの船に乗りたいというリクエストに応え、乗った船はなんとフィリピンへ。麻薬の売人のカバンと自分のカバンを間違い、追いかける売人を振り切り、逃げる。そこに小学時代からのライバル青子(若大将と青大将だ!)が登場し、彼女を追う。北朝鮮まで逃げて、そこでキム・ジョンイルと会い、テポドン攻撃を受け、スパイになった姉とも再会、スパークの故郷アメリカに行き、宇宙に飛ばされ、エイリアンに会い、結婚を迫られ、巨大化してキングコングよろしくエンパイアステートビルで暴れる。
もう、こうして「あらすじ」らしきものを書いていても、そのバカバカしさに閉口する。だが、本当はこんなレベルではない。もっと凄い細部のディテールに凝りまくった大ボラ大会が敢行されている。
天然少女赤子を演じる川端優紀の暴走と、それをきちんとセーブしてコントロールしているはずが、さらなる暴走を呼ぶSUN!演じるスパークのコンビネーションプレイに引っぱられて、全部で13人に及ぶキャストが狭いステージを走り回る。本公演の時の落ち着いたタッチとは対照的にこのショートショートではやりたい放題の爆走で、片岡百萬両は持ち味を十二分に発揮する。内容なんて、どうでもいい。勢いだけで芝居は作れることを彼は証明する。だが、それって簡単なことではない。彼の天才的本能が冷静に機能するから可能なのだ。
『儂が燃えて死ぬまでの噺(大炎上)』はちょっとおとなしめの会話劇スタイル。信長が本能寺で死んでいく直前をドタバタで見せていく。これもまた見事に中身のない芝居。ここまで遊び尽くしていいのか、と心配になるが、もちろんなんの問題もない。遊び尽くせ。
燃え尽きるまでバカやっている。そんな作品である。『赤子』と違って観客がよく笑っていた。それだけ、芝居に余裕があるからである。大傑作『赤子』は笑う暇も与えない。でも、こちらはゆっくり笑える程度に凄い、ということなのだ。だが、ラストはちょっと引っ張り過ぎた。もっとスマートに終わらせていい。大塚宣幸の呪縛霊に語らせるのは、他のキャストの着替えのためなのだろうが、それって本末転倒。あの語りがこの芝居のテーマになってしまって、バカやってるはずが、シリアスになる。それはこのショートショートの本来の趣旨からはずれる。これでは普通の感動芝居になる。ラストの白装束もそうだ。
こいつらはただのバカでいい。がむしゃらに突っ走る。それでいい。影武者の話なんかで戦国の世の無常とか描かなくていい。
だが、この2本をセットにして、ミジンコターボの静と動を対比させて見せた、とすると、これはこれでいい。この後、11月3日から6日まで東京公演である。東京の皆さんがミジンコターボと出会える、いい機会だ。ぜひ見て欲しい。(写真は東京公演用のチラシ)