癌と闘う女性を描く2つの作品。作者が実際に末期の食道癌で、自分の体験をモデルにして(というか、取材して)書いた2作品だ。自伝的なものではない。だが、自分の体験がなければ書かれない作品だ。作者は2作目を脱稿した後、亡くなられた。
彼女の第1作で、文学界新人賞受賞作『癌だましい』は、そのあまりの凄まじさに目を覆いたくなる。主人公の設定が異常だ。普通なら可哀想とか、痛ましいとか、そんな言い方をするところなのに、この小説の主人公にはそんな言い方は不要だ。これ以上悲惨なものはない、というところまでもっていき、終わる。自虐的で、なんかこれはやりすぎではないか、と思わせる。グロテスクだ。食べることは、人間の本能とはいえ、それだけが生きる糧ではないはずだ。彼女が働く介護施設で「職場の癌」と呼ばれ疎まれていた彼女が食道癌に罹る。しかも、発覚したときには既にもう手遅れのステージⅣ段階。そんな事実を彼女は喜んで受け入れる。そして、入院もせず治療も受けず、自宅でひとり死んでいく。
小説は、死の直前からスタート(5章からカウントダウンする)して、時間を遡る。最後は病院に行き末期癌だと診断を受ける場面で終わる。治療も受けず衰えて行く姿が遡行して描かれる。食べることにしか、喜びを見いだせない身よりのない45歳の独身女が、満足に食べることすら出来ない状況に陥っても最後まで食べることに拘る壮絶な生き様は目を覆うしかない。
受賞第1作となった遺作『癌ふるい』は自分が末期癌になったと、知り合い100人にメールを送り、帰ってきた27通の返事が順に綴られている。その返信に本人が点数をつける。これも悪趣味。だが、そこからほんの少しの光が見える。姪からの素直なメールを受け取り、最後まで読んでもう一度そこに戻ってきたとき、涙を流すラストに救われる。
これらの2作はきれいごとではすまされない作者のドロドロした内面を、そのまま小説というフィクションの文体で綴った魂の告白だ。ここにはノンフィクションには不可能なリアルがある。それ以上でも以下でもない、ありのままの自分の心情を何のメッセージもなく残す。彼女は死んだけど、この1冊が残った。それが事実だ。
彼女の第1作で、文学界新人賞受賞作『癌だましい』は、そのあまりの凄まじさに目を覆いたくなる。主人公の設定が異常だ。普通なら可哀想とか、痛ましいとか、そんな言い方をするところなのに、この小説の主人公にはそんな言い方は不要だ。これ以上悲惨なものはない、というところまでもっていき、終わる。自虐的で、なんかこれはやりすぎではないか、と思わせる。グロテスクだ。食べることは、人間の本能とはいえ、それだけが生きる糧ではないはずだ。彼女が働く介護施設で「職場の癌」と呼ばれ疎まれていた彼女が食道癌に罹る。しかも、発覚したときには既にもう手遅れのステージⅣ段階。そんな事実を彼女は喜んで受け入れる。そして、入院もせず治療も受けず、自宅でひとり死んでいく。
小説は、死の直前からスタート(5章からカウントダウンする)して、時間を遡る。最後は病院に行き末期癌だと診断を受ける場面で終わる。治療も受けず衰えて行く姿が遡行して描かれる。食べることにしか、喜びを見いだせない身よりのない45歳の独身女が、満足に食べることすら出来ない状況に陥っても最後まで食べることに拘る壮絶な生き様は目を覆うしかない。
受賞第1作となった遺作『癌ふるい』は自分が末期癌になったと、知り合い100人にメールを送り、帰ってきた27通の返事が順に綴られている。その返信に本人が点数をつける。これも悪趣味。だが、そこからほんの少しの光が見える。姪からの素直なメールを受け取り、最後まで読んでもう一度そこに戻ってきたとき、涙を流すラストに救われる。
これらの2作はきれいごとではすまされない作者のドロドロした内面を、そのまま小説というフィクションの文体で綴った魂の告白だ。ここにはノンフィクションには不可能なリアルがある。それ以上でも以下でもない、ありのままの自分の心情を何のメッセージもなく残す。彼女は死んだけど、この1冊が残った。それが事実だ。