こんな凄い作品と出会えてよかった。僕はTVシリーズはほとんど見ないのだけど、たまたまこれが『ムーンライト』のバリー・ジェンキンス監督作品だと知り、とりあえず1本だけ、と思い見始めたのだけど、凄すぎた。4日間で見た。一気に見るのはきついし、勿体ない。すごい力作である。見るだけでクタクタになる。
これは通常のTVドラマではない。完全に映画の作り方をしている。もちろん、映画だとかドラマだとかそんなのはどうでもいい。要は面白いかどうか、だ。この10話からなる壮大な叙事詩は、ただ黒人奴隷の暗黒の歴史を描くのではない。人が生きることの根幹にかかわる。
もちろん、アフリカから連れてこられ、アメリカで奴隷として生きる彼らの苦難の日々をあらゆる側面から映画やドラマは今までも数多く作られてきた。だが、この作品がそれらと一線を画すのは、事実のドキュメントではなく、事実を踏まえて、その先に至るところにある。彼らが何を望み、どう生きようとしたのか、それが白人たちによってどう踏みにじられてきたのかが描かれる。地下鉄道という現実にはありえないものを設定して、自由への旅が象徴的に描かれていく。このリアルとファンタジーとの融合を、甘いタッチで見せるのではなく、事実を冷徹に見据えていく。そこに描かれるのは「お話」ではなく、彼らの「想い」だ。残酷すぎる描写の続出で恐ろしくと目を覆いたくなる。見ているだけで精神的に追い詰められる。でもこれは誇張ではなく現実だろう。いや、現実はもっと凄まじいものだったかもしれない。
ジョージアの奴隷農場から逃げ出し、旅をするコーラ(スソ・ムベドゥ)と彼女を執拗に追う賞金稼ぎのリッジウェイ(ジョエル・エドガートン)追われる者と追う者のそれぞれのドラマだ。黒人側にぴったりと寄り添うのではなく。白人である側の視点も描かれる。
主人公のコーラは1話目のラストでこの地獄を抜け出し、地下鉄道でサウスカロライナにたどりつく。2話は、最初はここは天国なのか、と思わせる。だが、こんなにも自由が与えられた場所でも、黒人に対する白人の想いは変わらない。コーラはここからさらに先に向かう3話で、再び地獄を見る。この揺り戻しが凄い。ノースカロライナはまるで『アンネの日記』である。ここまで描いた後、4話はリッジウェイの記憶を描く。彼の出自が描かれる。ここでの切り返しがあるのがいい。なぜ、彼は神を信じられなかったのか、という短いドラマを挟んで次のステージに向かう。
天国と地獄の繰り返し。直線的な作り方はしない。お勉強として黒人奴隷の苦難の歴史を振り返るとかいうのではなく、今も続く現実への道が描かれるのだ。当然これはハッピーエンドではない。自由への旅路の始まりでしかない。だから、最終話が母親のお話とコーラの旅立ちになるのは必定だ。
シネスコで描かれる過去のシーンとフルサイズで描かれる’時系列で描かれる)
現在のシーン。さらには各エピソードがそれぞれ1本の作品として独立していること。細部にまで目の行き届いた細心の注意が施されている。説明的な描写は一切ないから一瞬たりとも目を離せない。目を凝らして目の前に描かれる事実を目撃せよ、とでもいうような緊張感が全編を貫く。暗いシーンが多く、テレビで見るには困難を伴う。部屋の明かりを消して、集中しなくては何が映っているのかもわからない場面が多々ある。だから、これは本来なら劇場で見るべき作品だろう。10時間を超える長さだから、映画館での上映は難しいだろうが、最初から映画仕様だ。1から3話。4から7話。そして8から10話の3回に分けて見るのがベストだろう。今年1番の超大作である。見逃さなくてよかった。