なんてストレートなタイトルだろう。何の工夫もない。シンプルすぎてこれでは観客は興味をそそられない。でも、あえてこのそっけないタイトルを永井愛は選んだ。そこには彼女の覚悟が秘められている。それでいい、というか、それがいい。それだけでいい。
樋口一葉を描く。井上ひさしの傑作『頭痛肩こり樋口一葉』とはもちろんまるで違うアプローチだ。劇団未来のしまよしみちは、このお話の素直さに心惹かれたのだろう。劇団未来のアトリエでこれをそのまま描こうではないか、そうすることで今の自分たちの立ち位置をしっかり確認できる、と確信した。(たぶん)そしてこれは第140回の記念公演に相応しい作品になった。一つの区切りであり出発点になる。
1週目の無観客での配信のみでの公演を経て、緊急事態宣言解除後の今週25日から27日まで計6ステージのみ、25名限定での上演である。困難のなか、それでも上演を諦めない。作品自体も、そんな彼らの想いを象徴するようなふっきれた作品で、自分たちが正しいと思うことに全力で取り組んでいるのだ、という気持ちがしっかり伝わってくる気持ちのいい舞台だった。
前田都貴子演じる一葉は決して悲壮ではない。女なのに若くして一家の大黒柱になり、(好きでなったわけでは当然ない!)母と妹と3人、樋口家を守るため(生きるため)、作家として自立しようとした。自らの信じる作品を書き、認められ、原稿料をもらい生き抜こうとした。女性であること、小説を書くこと、家族を支えること。いくつものハンディや困難をものともせず猪突猛進する。でも、鼻息荒く自信満々ではない。ただ冷静に小説と向き合う。そうすることで未来は開けると信じる。そんなに現実は甘いものではないだろう。もちろんそんなこと、誰よりも彼女自身が知っているはずだ。だけども弱音は見せない。
この芝居は師となる半井桃水(川西聡雄)との出会いから始まる。職業作家である彼のもとに弟子入りして、作家への道を歩み始める。彼のことを好きになり、彼もまた彼女を好きになるにもかかわらず、ふたりは添い遂げない。彼女には恋よりも大事なものがあるからだ。作家になること。家族を養う事。理想と現実とが目の前にある。それだけで手一杯だ。もっとうまくやりくりしてもいいはずだけど、不器用な彼女にはそれができない。しかも、周囲から半井との仲を勘繰られ、彼と距離を置く。
ポイントとなるのは24年の生涯の最後の14か月、そこで彼女は自分を信じてひたすら小説を書き綴る。そんな彼女の全力で生きる姿を、この作品は周囲の人たちとの交流を通して描いた。彼女は決して立派な女性だとは言えない。自らの境遇を題材にして、小説の中で自由に生きた。現実では自由に生きられないからだ。(でも、自由に生きたはずの小説の主人公たちも決して幸福ではないけど)
明治という時代を生きた女たちの等身大の姿を恋愛を通して描いた。現実世界では恋に生きることなく、死んでいく。恋をする勇気もなく、時間も余裕もなかったのだろう。ただ、ひたすら小説を通して生きること。自分の人生のすべてを賭けて。
前田都貴子は、がむしゃらに突き抜けていくこのひとりの女性を見事に演じきった。この作品はそこに何らかのテーマや意義を見出すのではない。ただ自分を信じて、自分にできる限りのことをやり遂げる。そこには無念はない。やりきった感だけが残る。だから、これは不幸な生涯を描くのではなく、とてもさわやかな芝居になるのだ。