僕はこの映画が見たかった。台北から日月譚まで、自転車で旅する。ただそれだけの映画がこの世界にある、というのがうれしい。こういう企画を立てて実現した。それだけで、僕はこの映画を全肯定したい。まぁ、もちろん、映画を見る以前から、その映画を好きになるなんて、異常かもしれない。一目惚れ状態で、喜び勇んで見た。
僕もこの夏、台湾をのんびり一周したい、と思っている。その途中で台北にも日月譚にも行く。たぶん。行程としては、高雄からスタートして、まずは台中、台北へ。そこから反対回りで(もちろん、こちらが旅のメインだ!)再び高雄まで。休みを2週間くらい取りたいけど、1週間が限界かもしれない。そうなると、まるでゆっくりではない。新幹線が開業してから、日本では台湾周遊プランが大流行りだ。しかも、たった4,5日で(駆け足で)回るパターンだ。なんだかなぁ、である。そんなことをしても、きっと何も大切なものは何も見えてこない。まぁ、人それぞれだけど。
この映画は自転車で4日間というスケジュールだ。それって、結構ハードであろう。でも、映画の中の女の子たちはのんびりしている。夏なのに、バテルこともなく、軽快に自転車を走らせる。(ありえない!)しかも、最初はママチャリである。まじあり得ない話だ。そういうところがこの映画の弱点で、嘘臭くて、納得のいかないユルい映画にしかならなかった原因なのだが、この際そこには目を瞑る。だが、それだけではない。
映画はつまらなかった。正直言うと、かなりがっかり。でも、台湾の美しい風景をちゃんと撮っているから、それだけで、OKということにする。ただの旅行番組にはなってないし。でも、もう少しなんとかならなかったのか。
監督は萩生田宏治。それだけにただの観光映画になんかなるまい、と思っていたのだが、どうしてこんな無内容な映画にしたのだろうか。台湾の自然の中で、のんびり時を過ごす映画、という意味ではこれは癒される。でも、彼は最初からそれだけの目的でこの映画を作ったのか。なんか、それって信じられない。軽やかな青春映画であることが悪いわけではない。だが、それだけ、というのに実はかなり驚いている。
日本人が台湾に心惹かれるのは、その自然の美しさだけではない。日本人が失ってしまった日本人らしさがそこにはあるからだ。僕が台湾が好きなのは、そこに行くと忘れられた日本と出会える、という一面にある。なんだかおこがましく、傲慢な言い方になるけど、ここには日本が失ったものがある気がするのだ。もう一度それをとり戻すために、昔、台湾が日本からしたように、僕たちは今、台湾からいろんなことを学ばなくてはならない。
萩生田宏治はこの映画を通して、どこにたどりつきたかったのだろうか。そのことが、一番気になる。
僕もこの夏、台湾をのんびり一周したい、と思っている。その途中で台北にも日月譚にも行く。たぶん。行程としては、高雄からスタートして、まずは台中、台北へ。そこから反対回りで(もちろん、こちらが旅のメインだ!)再び高雄まで。休みを2週間くらい取りたいけど、1週間が限界かもしれない。そうなると、まるでゆっくりではない。新幹線が開業してから、日本では台湾周遊プランが大流行りだ。しかも、たった4,5日で(駆け足で)回るパターンだ。なんだかなぁ、である。そんなことをしても、きっと何も大切なものは何も見えてこない。まぁ、人それぞれだけど。
この映画は自転車で4日間というスケジュールだ。それって、結構ハードであろう。でも、映画の中の女の子たちはのんびりしている。夏なのに、バテルこともなく、軽快に自転車を走らせる。(ありえない!)しかも、最初はママチャリである。まじあり得ない話だ。そういうところがこの映画の弱点で、嘘臭くて、納得のいかないユルい映画にしかならなかった原因なのだが、この際そこには目を瞑る。だが、それだけではない。
映画はつまらなかった。正直言うと、かなりがっかり。でも、台湾の美しい風景をちゃんと撮っているから、それだけで、OKということにする。ただの旅行番組にはなってないし。でも、もう少しなんとかならなかったのか。
監督は萩生田宏治。それだけにただの観光映画になんかなるまい、と思っていたのだが、どうしてこんな無内容な映画にしたのだろうか。台湾の自然の中で、のんびり時を過ごす映画、という意味ではこれは癒される。でも、彼は最初からそれだけの目的でこの映画を作ったのか。なんか、それって信じられない。軽やかな青春映画であることが悪いわけではない。だが、それだけ、というのに実はかなり驚いている。
日本人が台湾に心惹かれるのは、その自然の美しさだけではない。日本人が失ってしまった日本人らしさがそこにはあるからだ。僕が台湾が好きなのは、そこに行くと忘れられた日本と出会える、という一面にある。なんだかおこがましく、傲慢な言い方になるけど、ここには日本が失ったものがある気がするのだ。もう一度それをとり戻すために、昔、台湾が日本からしたように、僕たちは今、台湾からいろんなことを学ばなくてはならない。
萩生田宏治はこの映画を通して、どこにたどりつきたかったのだろうか。そのことが、一番気になる。