園子温の究極のプライベートムービー。こういう映画を作れるのが、今の彼の置かれた状況なのだ。それはとてもすごいことだ。そして幸せなことだ。今や彼は売れっ子のスター監督になり、こんなにも自由な映画作りが可能になった、ということか。
これは25年前の企画だったらしい。『自転車吐息』でデビューした頃、次の作品として用意していたようだ。でも、これがとても個人的な企画で自主映画としてなら成り立つだろうが、商業映画としては不可能。低予算ででもいいから、どうしても作りたい、そんな想いで作られるはずの映画だった。でも、企画は、ぽしゃった。
そして、歳月は流れた。やがて、『愛のむきだし』でブレイクして、その後は破竹の勢いで快進撃を続けた彼は、究極の妄想映画『ラブ&ピース』をメジャー作品として作り、とうとうこの映画にたどりつく。日活がサポートして、さらには園子温を主役にしたドキュメンタリー映画までもが作られ、この念願の企画は製作された。もちろん昨年2本は同時に劇場公開もなされた。何だか、夢のようだ。あの園子温がここまでメジャーになるなんて。
でも、彼は最初の気持ちを忘れていない。今だから可能だったこの映画を妥協することなく、作り上げた。モノクロの小さな映画である。主人公は神楽坂恵。(園監督の嫁)ほとんど彼女ひとりで映画は進行する。セリフもない。究極のプライベートムービーと最初に書いたのは、内容もそうだけど、この手作り感もそう。映画の後半になってようやく交わされるささやかな会話は、「ひそひそ」しゃべられるたわいもないものだ。これは無声映画よりも寡黙な映画である。アンドロイドがほとんど人間のいなくなった世界で黙々とギフトを届ける。ただそれだけの映画である。
さみしい風景(福島の浪江を中心にした地域で撮影されたようだ)は、世界の終わりの、その先、を思わせる。彼女は、ただ黙々と配り続ける。それだけを映画は淡々と見せていく。この映画を見つめながら、最初に『自転車吐息』を見た時の感動をよみがえらせる。あそこにあった激情はここにはないけど、ふたつはなんだかとてもよく似ている。いつも顰蹙を買うような過激で過剰な映画ばかりを撮っているように見える園子温の一番大切なものがそこには素朴なまま提示されている。なんだかいつもは不遜な態度で、えらそうに見える(すみません、イメージです!)彼が、とても恥ずかしそうにしてここにはいて、それが描かれてあるのがいい。あの宇宙船もすばらしい。