最初このタイトルだけ見て、これは見たいと思った。『のんちゃん、雲にのる』のパクリなのだが、あの小説の世界へのリスペクトが今の時代の中でどんなふうに映るのか(描かれるのか)それを目撃してみたいと思ったのだ。
小さなスペースでの公演である。初めての劇場(なんばのリバープレイスにあるアカルスタジオという場所)なので、そこもドキドキしていた。この作品の目指すものがそこにも象徴されている気がして勝手に「よしよし、」と思った。この芝居には小さな空間が似合う。狭い場所に身を寄せ合うたくさんの人たちという図式だ。
サザエさんの家、という言葉が出てくる。昔ながらの大家族。縁側がある。玄関からではなく、そこから平気で人が出入りする。そんな場所。なのに、そこで暮らす家族は姉と妹のふたり。大家族でもなく、核家族ですらない。この基本設定はなかなか上手い。
だが、そこから先の本来のお話があまりに甘すぎて、安直で、がっかりする。こういう人情物は昔からよくある。吉本の新喜劇ではないのだから、もう少しドラマに奥行きが欲しい。単純なお話自体は悪いわけではない。姉が死んでしまい、ひとりぼっちになった妹のためにみんながやってくる、というお話には異論はないけど、そこに何を描こうとしたのかが見えてこない。これは姉が自分の死んだ後の妹の幸せを祈って仕掛けたサプライズなのだが、でもなんだか、嘘くさい。あまりに突然の訪問者たち(彼らは以前姉からお世話になったという)が、類型的で、リアリティがないのだ。
お話がある種のパターンに安住したままで、ありきたり。これでは「よくある人情劇」で終わってしまうのが、残念だ。せっかくの企画のおもしろさを活かせないのだ。なんだかもったいない。今、個の時代がやってきて、誰もがつながることを恐れながらも、それを求めている。うまく人と付き合えない。かかわることができないから、ひとりでいい、と思う。そんな時代の中で、新しい人間関係の構築は可能なのか。その第一歩をこの芝居が提示できたならよかったのだが。
小さなスペースでの公演である。初めての劇場(なんばのリバープレイスにあるアカルスタジオという場所)なので、そこもドキドキしていた。この作品の目指すものがそこにも象徴されている気がして勝手に「よしよし、」と思った。この芝居には小さな空間が似合う。狭い場所に身を寄せ合うたくさんの人たちという図式だ。
サザエさんの家、という言葉が出てくる。昔ながらの大家族。縁側がある。玄関からではなく、そこから平気で人が出入りする。そんな場所。なのに、そこで暮らす家族は姉と妹のふたり。大家族でもなく、核家族ですらない。この基本設定はなかなか上手い。
だが、そこから先の本来のお話があまりに甘すぎて、安直で、がっかりする。こういう人情物は昔からよくある。吉本の新喜劇ではないのだから、もう少しドラマに奥行きが欲しい。単純なお話自体は悪いわけではない。姉が死んでしまい、ひとりぼっちになった妹のためにみんながやってくる、というお話には異論はないけど、そこに何を描こうとしたのかが見えてこない。これは姉が自分の死んだ後の妹の幸せを祈って仕掛けたサプライズなのだが、でもなんだか、嘘くさい。あまりに突然の訪問者たち(彼らは以前姉からお世話になったという)が、類型的で、リアリティがないのだ。
お話がある種のパターンに安住したままで、ありきたり。これでは「よくある人情劇」で終わってしまうのが、残念だ。せっかくの企画のおもしろさを活かせないのだ。なんだかもったいない。今、個の時代がやってきて、誰もがつながることを恐れながらも、それを求めている。うまく人と付き合えない。かかわることができないから、ひとりでいい、と思う。そんな時代の中で、新しい人間関係の構築は可能なのか。その第一歩をこの芝居が提示できたならよかったのだが。