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映画・演劇のレビュー

西加奈子『こうふく、みどりの』

2008-04-21 21:42:09 | その他
 西加奈子さんの新作は緑と赤の2冊連作。これって村上春樹の『ノルウエーの森』と同じデザインだ。1991年の大阪と2039年の東京。2つの別々の時間と場所。別の人物の物語。これってどう考えたって全く別物のはずなのに、彼女の中ではきちんとリンクしているらしい。次の赤を読めばそのへんも見えてくるのだろうが、今はまずこの緑について書いてみる。

 緑という14歳の女の子が主人公。彼女の日常生活のスケッチが綴られていく。大阪の下町を舞台に、女系家族(祖母、母、叔母、叔母の子供、そして、自分)の生活する姿が描かれていく。祖母を慕ってたくさんの人たちがこの家には出入りする。とてもにぎやかだ。

 緑は今、中学2年。転校生のコジマケンのことが気になる。美人でみんなからちやほやされている親友も彼が好きみたいで、2人の関係はギクシャクしている。そんなどこにでもいそうな女の子の毎日が等身大で描かれている。これっといったドラマもない。コジマケンが叔母の藍ちゃん(25歳、まだ離婚してない。子供の桃ちゃんもいる)とつきあうなんて、衝撃のドラマはあるけど。祖母の死というエンディングも用意されているけども、それでもこの中2から中3までの多感な日々のスケッチとしてはおとなしい。

 きっと彼女の中ではいろんなことが生じているはずだ。そのひとつひとつは確かに描かれている。揺れる乙女心は丁寧に描かれてある。だが、それをへんにドラマチックには描いてないのだ。とてもフラットなので、読んでいて少し退屈するこらいだ。だけれども、この作品のこのペースは読み終えた後で、沁みてくる。読んでいるときは、なんでもないと思ったささいなことが、読み終わったあとで輝いてくる。これって僕たちの人生によく似ている。

 緑の人生はまだ始まったばかりだ。これからどんな大人に成長していくのかはまだよくわからない。でも、この子のこれから先の人生を形成していくベースとなるものはすべてここにある。おばあちゃん、藍ちゃん、桃ちゃん、それにお母さん。彼女たちがこの子を作っている。

 こうふく、というものの確かなイメージがここにはある。漢字にはならないひらがなの「こうふく」がこの小説では描かれてある。

 『さくら』『きいろいゾウ』『通天閣』といった先行する作品のインパクトと較べるとこれはパンチに欠ける。前半なんか、読みながら大丈夫か、なんて突っ込みたくなったほどだ。しかし、彼女の中ではそんな事計算済みのことだと気付く。今までのファンタジックな部分を放棄して、さりげなさを前面に出す。そうすることで、今まで以上に彼女が求めていたものが明確になった。

 回想として語られる緑の父を殺した男の妻、ムネダさんのエピソードを太字で細切れに挟み込み、最初こそはその唐突さが気になるが、そのうちとても曖昧に見えたそれらのエピソードのドラマチックさが、本筋である緑の、今だ何も起こらないドラマとの対比となり、人生というもの自体の、現在形と未来(過去)すら照射する。なんでもない小説と見せかけて、これはとても野心的な小説である。

 

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