もう読まないつもり、と思っていたが、ついつい読んでしまった。先日読んで感動した『猫弁と鉄の女』の前作である。第2シーズンの第1作だ。やはり、そこそこ面白かった。この調子で第1シーズンの5冊も読んでしまいそうな勢いだ。きっと確かに面白い、はずだ。でも、それは『猫弁と鉄の女』と比較したら、到底及ばないはずである。要するにあの作品がこのシリーズの到達点だったからだ。そのことは疑いようもない事実だろう。作者がずっとやってきたことの積み重ねがあり、その到達点が『鉄の女』だったのだろう。描こうとするところは同じだ。それを極めていく。その結果全体のバランスが絶妙で素晴らしい作品ができた。それが『鉄の女』だった。これを僕はいきなり最初に読んでしまったから、驚いたのだ。主人公であるふたり(猫弁とゲストである鉄の女)のキャラクターと対比が見事だ。そしてそこには彼らが求めるものが明確に示される。
だから、この後、(今、多分書かれている)第3作が、さらなる傑作であることもないはずだ。(さらにはもう読まないはずの第1シーズンの5冊も、)残念ながら、あの設定であれ以上の展開は無理であろう。そこにはきっとマンネリしかない。ここまで描いた以上、新機軸はこの設定からは作りにくいはずなのだ。
猫弁こと百瀬太郎は、ひとりぼっちだ。だから、彼は優しい。みんなから好かれている。だけど、彼は周囲の人たちを寄せつけない。自分の殻に閉じ籠っている。この設定を看破した星の王子こと星一心。この小説でも同じ図式だ。猫弁とゲストが対峙する。彼らは別の場所にいるけど、同じ方向を向いている。そんなふたりが瞬間的に出会い、ドラマが動き出す。
こんなにも頭がいいのに無欲。わざとらしいくらいに純粋。だから周囲はあきれつつも、彼のペースに巻き込まれていくし、そんな彼を全面的に受け入れる。天然だから、それ(周囲の優しさ)を、あまり深く考えない。みんなは、まいったなぁ、と思いつつも付いていく。よくあるハートフル・コメディーの定石だ。だから安心して読める。そして、暖かい気持ちにさせられる。
ということで、元気をなくして、また百瀬太郎に逢いたいな、と思ったら、まだ読んでない5冊を手に取ろう。