カツセマサヒコの原作小説を読んだのは今年(2021年)の1月終わりのことだ。その数日後、映画館で『花束みたいな恋をした』を見ている。だから、驚いた。偶然続けて手にした作品が、まるで同じような話だ、と思ったからだ。明大前での飲み会。そこで出会ったふたり。やがて大学を卒業して、社会人になる。それからの日々。幸せだった時間。去っていく彼女。もちろん細部は違うし、状況も違うのは別の作品だから当然のことだけど、映画を見たとき、その共通項の多さに驚いた。予想外の大ヒットをしたあの映画は、誰もが心に秘めているあの頃の記憶と連動するからかもしれない。大学を出て社会人になり、恋もして、別れていく。シチュエーションは違っても誰もが同じような体験をして、大人になる。たくさんの観客から支持され、共感を呼んだのはそこだろう。
あれから10か月ほどの日々が過ぎて、この小説の映画化作品が公開された。23歳の松本花菜監督の商業映画デビュー作だ。いくらなんでも若すぎる。きっと実体験ではなく、想像だけで、この世界を描くことになる。どうして彼女はこの小説の映画化に挑戦したのか。彼女の視点はどこにあるのか、そのへんも気になった。
過剰な思い入れや変な感情移入はない。女性の側に肩入れすることもない。主人公は男の方なので、視点はしっかり彼に固定される。だが、監督はそんな彼から少し距離を置いてクールに見つめている。地獄のような5年間。賢く世渡りはできない。彼はまだ若いから、そして純粋だから、上手く立ち回れないし、ずるくない。ナイーブで確実に傷つく。北村匠海がそんな繊細な男の子を素直に演じた。彼が好きになる女の子を黒島結菜が演じる。こいつはずるい女だ。だけど、そんなずるさも彼女の素直な想いに繋がる。言い訳もしない。だから、見ていて嫌な気分にはならない。
映画は、誰にも心当たりのあるような感傷を、さらりとしたタッチで切り取る。こういうお話を「青春の光と影」みたいな感じでノスタルジックに描くような映画はこれまでもたくさんあったけど、この映画はもっと生々しい。なのにとてもさらっとしているのが新鮮だった。訳知り顔をしないのがいい。自分たちに起きたできごとを、普遍化することなくあくまでも自分たちのこととして見つめる。だから、ありきたりにならないのがいい。『花束みたいな恋をした』よりいい映画かもしれない。