読んでいてこんなにも苦しい小説はなかなかお目にかかれまい。出来ることなら、もう読むことをやめてしまいたい。そう思った。だけど、この苦しさから目を背けてはならない。母親と過ごす第1章もきつかったが、母親がいなくなる第2章は耐え難い。ようやく保護されて人間らしい生活を送り始める第3章を読みながら、ほんとうによかったね、と思う。目が見えないというそれだけでも、大概なハンディなのに、その前提すら大したことではないと思わせるしかない困難のなかでの人生だ。それが生まれた時からの宿命であったとしても、彼女にはどうしようもないことだったとしても、それはあまりに惨すぎる。
昨日耳が聞こえなくなる恐怖を描いた映画『サウンド・オブ・メタル』を見た直後にこの小説を読み始めたのはたまたまのことだ。小川糸の新作だから内容は一切知らないままで読み始めたので、その偶然の連続に驚く。耳、目と続くと次は口か、なんていうのは冗談だけど、生きていくうえでのハンディを抱えた男女のお話を連続して見て(読んで)自分の今のこの恵まれた状況に感謝するのではなく、毎日落ち込んでいるばかりの自分の腹が立つ。恵まれていることを人は当然こととして享受し、それで、文句ばかり言ってる。情けない話だ。
この小説の終盤を読みながら、彼女が今の自分に感謝しなければ、と言うシーンではっとさせられた。これだけ過酷な時間を過ごしてきた彼女の口からそんな言葉が飛び出す。誰かを羨むわけではなく、自分の今に感謝できること。
隣の家の女性との交流を描くラストの展開にも胸打たれる。自分に与えられた人生をどう生きるのかが、大事だ。こんなはずじゃなかった、と悔やむのではなく、こんなふうにある今をどう過ごして、どう受け止めれるかが大事。この小説にはさりげなく大事なことばかりがちゃんと慎ましく描かれてある。そのメッセージをしっかりと受け止めよう。
育児放棄した母親。棄てられたまま、ひとりで生きた日々。センセーショナルな事件を(出来事を)提示しながら、事件そのものをどうこういうのではなく、彼女にしっかりと寄り添い、その運命を見つめていくことで見えてくるものを大切にする。20年後の写真館でもう一度、記念写真を撮るシーンも感動的だ。だがそれはここに至るまでの道のりを踏まえての幸福なラストを提示するのではなく、これが今の彼女の生活で、小説は安易なハッピーエンドではなく、その先にあるものをしっかりと見ていこうとする。
この先も人生は続く。というか、まだ始まったばかりなのだ。「人生の新しい扉は、開かれたばかりだ」という彼女の力強い言葉が胸に沁みる。