現在劇場公開中の映画なのに、ネットフリックスで配信がスタートした。なんだか不思議な世の中になったものだ。なんとなく得した気分で見始めたのだが、僕は乗れなかった。綾野剛の熱演は確かに凄いけどそれが空回りしている。描かれる世界がリアルではないのだ。
監督の清水崇はこのとんでもないお話を現実とも妄想とも言えない不思議な感覚で映像化していくべきだった。もともと彼はそういうものが得意だったはずなのだ。代表作『呪怨』の恐怖はそこにあった。なのに、このありえない話を、やけにリアルなタッチで見せていくから反対にリアルではない映画に見えてくるという反転現象が生じた。この2年間に作った『犬鳴村』『樹海村』での失敗が尾を引いている。題材としては実に面白いし、クロネンバーグやリンチの映画のようなタッチで作ればよかったのに、どうしてこんなことになったのか。
成田凌もテンションの高い芝居でサイコを演じているし、この地獄への道案内としては最適だ。それだけに彼が何者で、なにをしようとしているのか、という核心部分をもっとしっかりと描くべきだった。ただの案内人では意味がない。さらには、その人間の内面が形になったというビジュアルもよくない。なんだかとても安易に見えた。見せないことで見えてくる怖さ。それがここにはない。ロボットとか、砂になる女とか、安っぽい。成田の内面は透明人間というのは悪くないけど、大事なのはその先。それが実は水だったとか、そんなのはどうでもいい。
記憶を失った男が、その空白を埋めるため、放浪する。大都会を舞台にして拠り所を失った恐怖から逃れるための彷徨。現実がなくなって、空っぽになった男は人の中にある見えないはずの現実を見ることで、何を手にすることになるのか。失ったものとは何だったのか。そこにたどり着くまでのお話なのに、あの結論ではあまりに安易だ。