『キセキ あの日のソビト』の兼重淳監督作品なので、ただのよくある難病物ではないと思っていたが、お話自体はこんなにもある種のパターンを踏襲する定番映画なのに、それにこんなにも感情移入させられるとは思いもしなかった。脱帽である。
前任校では野球部の鬼監督だった男が転勤してまったくやる気を失くしている。50代になり、若い頃の情熱を失った。クラブ活動に対して以前のような想いで向き合えなくなった。甲子園を狙える強豪校から、1回戦すらおぼつかない進学校にやってきたことが原因ではない。心が弱くなったのだ。何がきっかけ、というわけではない。もちろん、転勤は大きな要因だろうけど、この映画は敢えてその原因を明確にはしない。簡単なことではないのだ。授業にも身が入らない。
彼はきっとこの高校で定年を迎えるのだろう。妻と二人暮らし。娘は結婚して家を出ているけど、頻繁に子供(当然まだ赤ちゃんだ)と一緒にやってきている。だから、彼はもうおじいちゃんなのだ。
体調もあまりよくない。最初は彼が病気になる話かと、思った。だが、そうではない。病院に行って、そこで昔の教え子と再会する。彼が末期がんで、彼との関りが描かれていく。10年以上前、彼が入学してきたとき、やがて、クラブを辞めていくまでが、丁寧に描かれていく。この映画が素晴らしいのは、描かれる出来事を淡々と見せていくところだ。へんにドラマチックには見せない。野球のシーンをじつに丁寧に見せるのもいい。そこはお話の本筋ではないけど、それこそが大事なのだ。彼にとって野球とはなんだったのかをことばではなく見せるためには黙々とノックをしている姿がちゃんと描かれることは大事だ。そこで映画は説得力を持つことになる。兼重監督は、この映画に置いて何が必要なのかをちゃんと理解している。主人公に寄り添い、彼の想いをその態度で感じさせる。つまらないお涙ちょうだいにはしない。堤真一がすばらしい。