習慣HIROSE

映画・演劇のレビュー

いるかHotel『風に画かれたクロニクル』(『破稿 銀河鉄道の夜』&『Bitter&Sweet』)

2023-01-16 15:54:23 | 演劇

神戸市の長田まで芝居を見に行く。この日程でここでこれが上演されるのはもちろん意図的だ。だから僕は今日長田の町を歩く。阪神淡路大震災で被災した町はこの28年で復興したのか。復興の象徴である鉄人28号のモニュメント。そして新しい商店街、街並み。きれいな街の至る所に、今もあの日の記憶が刻まれている。町歩きをしながらいろんなことを思う。1995年1月17日を忘れない。と、書こうと思ったが、辞めた。

実は今日授業でこの芝居の話をしながら、黒板にぼんやりしていて「1985年1月17日」と書いてしまっていたのだ。しかも「あれ、なんかおかしいな、」と思いつつも深く考えず話を先に進めていた。授業が終わった後ですぐに気づいたけど、高校生たちは誰も文句は言わないし、気づかない。(いや、気付いていたし、あきれていた子もいるかもしれないが)こんなバカな間違いをするほど、ボケてきたのか、と思う。結構今までも授業で間違ったり嘘ばかりついたりもしているけど、今回は恥ずかしいにもほどがある。大事なことは忘れてはいないし、嘘はつかない。忘れるべきではない。わかっているはず。というか、もうこういううっかりをなくそうと思う。深く反省した。でも、この先またつまらないミスで大きな失敗をするかもしれないと不安になる。生徒には明日もちろん謝る。

さて、『破稿 銀河鉄道の夜』である。この作品を久々に見た。初演は1996年、神戸高校演劇部がコンクールで上演し、全国大会にも行った作品だ。99年にスペースゼロでも再演された。その年のスペースゼロ演劇大賞を受賞している。ということを、実は忘れていた。(やはり、僕はボケている!)審査員をしていたのに、である。谷さんに言われて思い出した。なんだか情けない話ばかりで恐縮だが、まだ認知症というわけではないけど最近記憶はまだらで、いろんなことを忘れているし、最近は映画や芝居を見てもすぐに忘れてしまい困る。それにしても99年のあの『破稿 銀河鉄道の夜』は素晴らしかった。あの年見たたくさんの芝居の中でも一番輝いていた。(それなのに・・・)あれからでも、もう20年以上が過ぎているのか。

96年。これはあの時代を背景にした作品である。死んでしまった友人は(あきらかに)震災の被害者だろう。だが、作、演出の谷さんはそこは一切口にしない。27年前のこの作品を今ここで再演するだけでわかる人にはわかるし、そこをスルーしても、この作品の本質は損なわれない。あの時代高校生だった子供たちが何を抱えて、何を感じながらあの時代を生きたのか。それは今コロナ4年目に突入し、この春卒業していく高校生にも通じる。彼らはコロナとともに高校に入学してコロナの中で卒業する。いろんなものが失われた。でも、彼らはかけがえのない時間を生きたはず。この作品の普遍性が改めて明白になる。震災直後の痛みを取り払ったとしてもこの作品の彼女たちの痛みは損なわれない。

オリジナルの宮澤賢治の『銀河鉄道の夜』そして、この芝居の彼女たちが上演した北村想『想稿 銀河鉄道の夜』、さらにはこの芝居の主人公カナエが見たりんたろうの『銀河鉄道999』も。さらには見るべきだったますむらひろしの漫画を原作とした杉井ギサブロー監督のアニメーション映画『銀河鉄道の夜』。みんなその想いは同じだ。

今回の2本立は、どちらも高校生を主人公にしている。重い『破稿 銀河鉄道の夜』と軽い『Bitter&Sweet』を同時に交互上演する。だが、2本を連続で見たときわかる。そこにあるのは重いとか軽いとかいうことではなく、その光と影は谷さんの中では同質のもので、ふたつが一緒になってひとつの作品となる。今ここに別々の作品を同時に並べたことに意味を感じた。

『Bitter&Sweet』は部室ができた日から始まり、44年後、その部室が壊されるまでの時間を、ここで過ごした様々な子供たちの姿を通して描く。11人の役者たちがその間ここで過ごした演劇部員たちのいくつもの姿や側面を垣間見せる。短いエピソードの羅列だ。バカバカしい、恥ずかしいエピソードも時間が経てば懐かしい想い出になる。1時間40分の芝居はエネルギッシュにそんな彼らのドタバタぶりを見せる。だがこれはコメディではない。ここで大事なものは、彼らがバカだけど、愛おしいこと。みんなあの頃はバカだった。でも一生懸命だった。そんな彼らの姿をこの芝居はちゃんと切り取っている。(僕は今もバカだけど)

『Bitter&Sweet』は楽しい。だが、この日のハイライトは今回久しぶりに見た『破稿 銀河鉄道の夜』の方だろう。これはセンチメンタルな芝居だし、甘い話だ。でも、これを現役の高校生が演じると説得力がある。彼らが不完全な存在だからだ。今回のいるかHotel版は、演じるのはもちろん高校生ではない。でも大丈夫。谷さんはこれが不完全なものだということを理解している。だから細部まで丁寧に作りこんだ。作品は何度も繰り返し上演して(今回でいるかHotelとしては4回目となるらしい)ブラッシュアップされている。マンネリにはならない、それどころか何度見ても新鮮だ。不完全な存在である高校生を武器にした芝居は完全な完成度を通して成立する。補うというのではない。リアルな高校生という時間を再現するのだ。99年版と比較するわけにはいかない。そこには意味がない(し、もうそれこそ細部は忘れているから)。ただ言えることは、今回の作品も素晴らしかったということだ。それだけ。

この3人は精一杯「今」という時間を生きている。(今は死んでいるトウコだってそうだ。)高校3年の10月。センター試験まで3か月。直前まで迫った未来への不安。そんな中で、ひとり部室に籠る時間。カナエは未来に向かうサキとちゃんと向き合えない。そこにトウコがやってくる。台本の持つ力と、それを信じて精一杯演じる3人。この小さな世界を包み込む演出の谷省吾の優しさ。だから彼女たちの想いがちゃんと伝わってくる。どれだけ時間が経とうとも色褪せない。大切なものがすべてここにはつまっている。

 

 


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 缶々の階『だから君はここに... | トップ | 小野寺 史宜『タクジョ!みん... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。