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映画・演劇のレビュー

『チネチッタで会いましょう』

2024-11-27 15:31:00 | 映画

久しぶりのナンニ・モレッティの新作だと思って見たが、実は2年前にも新作が公開されていた。『三つの鍵』である。あれを見ていたのだ。とてもいい映画だったけど、彼の作品だったということをなぜか忘れていた。それくらいにモレッテイらしさを抑えたおとなしい映画だったのだ。

今回はいつも通り自ら主演する彼らしさ全開の作品である。しかも今回は映画監督の役。限りなく自分を投影した作品だ。新作映画の撮影を背景にしたいかにも彼が好きそうな自伝風映画である。それだけに気合いが入っている。そして明らかに大先輩フェリーニの傑作『8 1/2』を意識した作品でもある。大胆な挑戦である。
 
順風満帆にキャリアを重ねてきた巨匠が念願の作品に挑むのだけど、次から次へと困ったことが起きて撮影は難航する。しかもプロデューサーが資金繰りが出来ず逃げ出したり、公私に渡るパートナーである妻が離婚を切り出してきたり、踏んだり蹴ったりの毎日。
 
劇中劇である撮影シーンと彼の現状を描く日々のシーンがごっちゃになってストーリーがわかりにくい。敢えて混乱することを狙っているのだろうが、なんだか不親切なだけであまり効果的ではない。現実と妄想が混在するフェリーニ映画の心地よい雰囲気とは違ってなんだかこちらはイライラさせられるだけ。主人公の苛立ちはしっかり伝わってくるけど、それに意味はない。ただ彼の問題だし、自業自得。要するに主人公に共感できないのだ。ただのヒステリ男。自己中の。撮影現場では王様だけど、映画も人生も上手くいかない。
 
1956年イタリア共産党の置かれた立場、ソビエトのブダペスト侵攻を背景にした大作映画はプロデューサーの遁走から資金繰りが出来ず撮影中止に追い込まれる。あからさまなNetflix批判やら、躍進著しい韓国資本の導入を巡るエピソード、往年の巨匠へのオマージュがコミカルなタッチで挟まれていきながら、映画自体は迷走していく。
 
自由自在で、やりたい放題。面白くなる要素は満載されているのに、何故か映画は弾まない。楽しめない。行進するラストのさまざまな人たちの顔を延々と捉えたシーンも、だから何?って感じしかしない。残念な一作。
 

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