とてもリアルにこの突然の悲劇と向き合うことになる。他人ごとではない恐怖が僕たちを襲う。彼の視点(というより、聴点?)からの描写が、彼の直面した現実をよりリアルに体感させてくれる。今、彼がどんな音を聴いているか、(どんなふうに聴こえているのか。いや、どれだけ聴こえていないのか、だ。)を実感しながら、(彼を見るのではなく、)彼自身を感じる。これはそんな類い稀な映画だ。
彼の恐怖を自分のこととして受け止めることになる。聴覚失った彼を見守る周囲の人たちはとても優しい。その優しさに支えられて彼は生きていけるのだが、それはよくある従来の映画や小説が描く善意とは少し違う。それは人それぞれが自分の信念や生き方に支えられたもので、彼を全面的に支えながらも、彼に迎合するものではない。では、それは何なのかというと、あくまでも自分の生き方がまずあり、そこから可能な彼への支援であり、当然初めに自分ありき、なのだ。そんなこと当たり前の話だけど、よくある映画やドラマの善意は無償のものであったりして、嘘くさかったが、この映画のそれはとてもリアルで嘘を感じさせない。施設のオーナーも、彼女も、さらには彼女の父親も、だ。みんな自分の考えをきちんと持ち彼と向き合っていることがしっかりと伝わる。
そのぶん、彼の孤独は深まる。彼の選択が正しかったかどうだかは、誰にもわからない。施設で、手話を習い、優しいみんなと共同世活を送り、自分の居場所を見出す。同じように聴覚に障害を持つ子供たちの学校で過ごす時間も彼を和ませる。ひとりじゃない。このまま、この施設に留まり、所長のサポートをして、同じように耳の不自由な人たちを助けて生きる人生もあり、だった。だけど、彼は拒絶する。もう一度自分の耳で聴き、広い世界で生活することを望む。
だが、そこにはとんでもない困難が待ち受けるはずだ。それでも、ひとりになってこの世界にたたずむラスト。インプラントの補聴器は雑音も同じように掬い取るから聞こえにくい。不自由だ。だがそれを耳から外すと、全く無音の世界が広がる。これが自分の抱える現実だ。無音が続くラスト。それをかなり長く見せる。そこからはこの世界で生きるのだという確かな覚悟がしっかりと伝わってくる。感動的なエンディングだった。