こんなにも無口で、こんなにも饒舌で、彼女の旅は続く。これは2時間20分に及ぶ長尺映画である。でも、スクリーンから目を離せない。彼女が今どこにいて、どこへ行くのかを見守りたいと思う。
彼女が出会う人たちは、リアルではない。ふつうならこんなうまく旅を続けることは不可能だろう。一種の寓話の意匠をまとうと受け止めるべきだろう。でも、それは嘘くさくはない。ドキュメンタリータッチで描かれる彼らとのやり取りは、彼女の心に沁みる。もちろん僕たちの心にも。今暮らしている南の町(そこは広島だ!)から東北の彼女の生家(津波で家は流され、9年たった今もそこはあの日ままだ!)まで。そして、最後には風の電話ボックスにたどりつく旅。
頑なな彼女の姿は彼女の心の殻の硬さを示す。震災で家族を失い、不安の中で生きる彼女は唯一の親戚であるおばが倒れた時、自分はやはりたったひとりなのだということに、改めて気づく。おばを失ったりしたら、この世界に自分はたったひとりぼっちで、もしかしたら、と不安になる。行き場を失い、倒れた彼女はひとりの男に助けられる。そこから彼女の旅は始まる。
ヒッチハイクで生家を目指す。でも、そこに帰っても、当然誰もいない。そんなことはわかりきっているのだが、誰もいない幻の家を目指す。失われた家族、幸せだった記憶。そんなものに何の意味もない。戻ってもそこには何もないことなんか、最初からわかっていたことだ。だけど、確認したかった。旅の途上で出会った人たちとのふれあいを通して、彼女は彼らに助けられて、何かが変わる。
でも、これはわかりやすい再生のドラマではない。人の善意に助けられて、彼女が変わるのではない。変わるはずもない。だけど、ここからきっと彼女は前に進むことができる。生きていくしかないし、生きていける。諏訪敦彦監督は、安心な寓話のスタイルを通して、不安だらけの彼女の内面のドラマを提示した。このドキュメンタリーのようなスタイルは寓話とリアルのはざまで不思議な説得力を持つ。主人公を演じたモトーラ世理奈の無表情は、この世界のすべてを拒絶して、でも、ここで生きる彼女の今を指し示す。媚びることはないし、誰にも心を開かない。だかこそ力強い。