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映画・演劇のレビュー

『私はいったい、何と闘っているのか』

2022-01-01 10:07:58 | 映画

年末、『エッシャー通りの赤いポスト』を見るまでの時間調整で見始めた映画なのだが、なんだか身につまされた。この男ほどではないけど、僕も彼のように言いたいことをちゃんと言えないで、すぐ口を噤んでしまう。(というか、僕にはたぶん言いたいことがないのかもしれないが。自分に自信がないわけではない、はずなのだけど、すぐにもごもごしてしまう。特にこの3月で仕事を辞めてからそういう傾向が強い。無職になり、自信を無くした。同時に自身も、見失った。そんな感じだ。

大仰でわざとらしくいコメディタッチの映画の導入を見ながら、この手の映画は嫌かも、と思った。見たのは失敗だな、とも。だけど、だんだんこのしょうもない主人公が自分と似ているかも、と思い始めた。安田顕演じる小心者で、でもいい人、でもある父親になんだか気づくと感情移入している。家族からバカにされているようで、でも大事にされている。彼なりには一生懸命しているのだけど、なんかピントはずれで、なんだかなぁ、と思う。

彼なりの誠実さが伝わるようで伝わらないようで、もどかしい。おまえがちゃんと言わないから伝わらないんだ、とスクリーンに向けて檄を飛ばしそうになる。ファーストサマーウイカ演じる従業員の醒めた突っ込みにどきっとさせられる。彼女の冷静さがこの映画の最高のバランスシートだ。あれがなければつまらないハートフルコメディになったかもしれない。

優しい妻をなぜか小池栄子が演じる。自分のすべてを全面的に受け入れてくれた夫に感謝している。だから彼がどんなにダメ男でも、怒らないし、気にしない。それはふたりの血のつながらない娘たちも同様だ。そして、なんでもわかっている顔をして、父親を包み込む小学生の息子の存在。そんなひとつひとつがとてもよく描かれているから、この映画は気がつくと愛おしい映画として、(こんなにも甘い映画なのに)受け入れられる。

監督は『家に帰ると妻が死んだふりをしています。』(18)でも安田とコンビを組んでいる李闘仕男。坪井文の脚本もいい。あまり期待してなかった映画なのだが、結果的に期待以上の出来でなんだか得した気分でうれしくなる。

こいつもそうだけど、自分もまた「あかんなぁ、」と思わされる。映画を見てこんなに身につまされて、同時に反省させられるなんて。なんかへんな気分だ。恥ずかしい。


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