思いがけない拾い物だった。でも、昨年度山本周五郎賞の受賞作品だし、本の雑誌ベスト1、本屋大賞2位とか、帯に書いてあったから、僕が知らなかっただけで、世間では周知の事実だったのだろう。やられた!
最初はなんかあざとい小説だ、と思ったが、エピソードを重ねるうちに、これは本物だ、と思わされた。際物のちょっとエッチな描写もある小説、なんていうレベルではない。この凄まじい小説を読み終えて、ロドリゴ・ガルシアの『愛する人』に匹敵する、と思った。生命の本質に迫る。いろんなことを考えさせられた。
セックスと出産というテーマを中心に据えて、誰も知らない世の中のかたすみで起こるとても小さな話が、この世界全体の在り方に及ぶ壮大な物語へと変貌を遂げて行く瞬間を目にすることとなる。5人の主人公を擁する5つの短、中編連作というスタイルを取りながら、あるひとつの出来事をとことん見つめて行く、深く掘り下げて行く。ひとつの事件を様々な角度から描く。こんなアプローチはめずらしい。これは長編小説なのだが、個々の作品は完全に独立した作品でもある。各作品の長短のバランスの悪さと、同じことを多方面から取り上げ、しかも、時間も微妙に前後して描かれる、というアンバランスの中で、見えないままで放置される部分も多々ある。そんな作品と作品のはざまを埋めることはない。その描かれなかった部分にこそ、この作者の一番言いたかったことが隠されていたりする。だから、僕らはその秘められたものを、想像する。
貧困と無知。倒錯的な性癖がもたらす悲劇。だが、この悲惨は、彼らが招いたことではない。日本の社会の矛盾が、こんな世界のかたすみにまで、及ぶのだ。というよりも、こんな世界のかたすみからしか起こらない。矛盾は弱いところから噴出する。
お話の中心となる事件は、主人公である斎藤くんが、主婦のあんずさんと不倫するというエピソードだ。これが冒頭の短編『ミクマリ』で描かれる。かなり衝撃的な内容だ。だが、本当に面白いのはこの先である。次は視点を変えてあんずさんから描く。彼女と彼女の夫である慶一郎さんの話(『世界ヲ覆ウ蜘蛛ノ糸』)だ。これで両サイドから事実の経過が語られたこととなる。今度はその事件の周辺が描かれる。ここからがこの小説の本領である。
斎藤くんのことが大好きだった七菜ちゃんの話(『2035年のオーガズム』)と、その次の、2人の友達である福田くん(2人の友だちであるあくつも重要な人物として絡む)の話(『セイタカアワダチソウの空』)が続く。この2つの中編小説がこの作品のハイライトとなる。特に後者の切なさは絶品だ。そこから浮かび上がる田岡さんの話が全体をまとめる。こんなふうにして一つの出来事がきっかけとなり連鎖していく。すべてのエピソードは別々で、しりとりのようにつながる。だが、すべてが最初の斎藤くんの事件から始まる。だから、ほんの20ページほどでわき役になる斎藤くんを主人公と呼ぶのは問題があるのだが、敢えてそうしたほうが、この小説の本質を捉えると思う。
最後は斎藤くんのお母さんの話(『花粉・受精』)で締めくくられるのだが、これはちょっとまとめ過ぎた。でも、このまとめ方はすごく上手いのも事実で、セックスで始まった小説を出産で終わらせる。もちろんその2つの関係性は単純ではない。タイトルの「ふがいない僕」とはもちろん斎藤くんのことなのだが、ここに出て来る男の子たちはみんなふがいない。でも、彼らなりに一生懸命だ。
最初はなんかあざとい小説だ、と思ったが、エピソードを重ねるうちに、これは本物だ、と思わされた。際物のちょっとエッチな描写もある小説、なんていうレベルではない。この凄まじい小説を読み終えて、ロドリゴ・ガルシアの『愛する人』に匹敵する、と思った。生命の本質に迫る。いろんなことを考えさせられた。
セックスと出産というテーマを中心に据えて、誰も知らない世の中のかたすみで起こるとても小さな話が、この世界全体の在り方に及ぶ壮大な物語へと変貌を遂げて行く瞬間を目にすることとなる。5人の主人公を擁する5つの短、中編連作というスタイルを取りながら、あるひとつの出来事をとことん見つめて行く、深く掘り下げて行く。ひとつの事件を様々な角度から描く。こんなアプローチはめずらしい。これは長編小説なのだが、個々の作品は完全に独立した作品でもある。各作品の長短のバランスの悪さと、同じことを多方面から取り上げ、しかも、時間も微妙に前後して描かれる、というアンバランスの中で、見えないままで放置される部分も多々ある。そんな作品と作品のはざまを埋めることはない。その描かれなかった部分にこそ、この作者の一番言いたかったことが隠されていたりする。だから、僕らはその秘められたものを、想像する。
貧困と無知。倒錯的な性癖がもたらす悲劇。だが、この悲惨は、彼らが招いたことではない。日本の社会の矛盾が、こんな世界のかたすみにまで、及ぶのだ。というよりも、こんな世界のかたすみからしか起こらない。矛盾は弱いところから噴出する。
お話の中心となる事件は、主人公である斎藤くんが、主婦のあんずさんと不倫するというエピソードだ。これが冒頭の短編『ミクマリ』で描かれる。かなり衝撃的な内容だ。だが、本当に面白いのはこの先である。次は視点を変えてあんずさんから描く。彼女と彼女の夫である慶一郎さんの話(『世界ヲ覆ウ蜘蛛ノ糸』)だ。これで両サイドから事実の経過が語られたこととなる。今度はその事件の周辺が描かれる。ここからがこの小説の本領である。
斎藤くんのことが大好きだった七菜ちゃんの話(『2035年のオーガズム』)と、その次の、2人の友達である福田くん(2人の友だちであるあくつも重要な人物として絡む)の話(『セイタカアワダチソウの空』)が続く。この2つの中編小説がこの作品のハイライトとなる。特に後者の切なさは絶品だ。そこから浮かび上がる田岡さんの話が全体をまとめる。こんなふうにして一つの出来事がきっかけとなり連鎖していく。すべてのエピソードは別々で、しりとりのようにつながる。だが、すべてが最初の斎藤くんの事件から始まる。だから、ほんの20ページほどでわき役になる斎藤くんを主人公と呼ぶのは問題があるのだが、敢えてそうしたほうが、この小説の本質を捉えると思う。
最後は斎藤くんのお母さんの話(『花粉・受精』)で締めくくられるのだが、これはちょっとまとめ過ぎた。でも、このまとめ方はすごく上手いのも事実で、セックスで始まった小説を出産で終わらせる。もちろんその2つの関係性は単純ではない。タイトルの「ふがいない僕」とはもちろん斎藤くんのことなのだが、ここに出て来る男の子たちはみんなふがいない。でも、彼らなりに一生懸命だ。