ひと夏の思い出が溢れ出てくる。もちろん映画は夏だけが、描かれているわけではないが、そんな気分にさせてくれる、ということだ。
中2の夏、東京からイケメンさんの転校生がやって来る。そよ(夏帆)の学校は小学、中学あわせても6人しか生徒がいない。そんな、とんでもない田舎の学校だ。大沢くん(岡田将生)は彼女にとって初めての同級生となる。
みんなで一緒に海に泳ぎに行ったこと。祭りの夜のこと。初めてのキス。バレンタインのチョコ。そして、東京への修学旅行。そんないくつもの思い出が描かれていく。体験した端からそれらはキラキラした思い出になっていく。決して感傷的に、回顧的に描いているわけではない。ノスタルジックな描写は皆無だ。しかし、あまりに美しい日々は、大人の僕らにとってはひとつひとつが大切な思い出に見える。彼らはここで今、毎日を、ただ懸命に生きてる。そんな姿が愛しい。
甘く切ない物語は、日常のなんでもない描写として、綴られていく。シーンシーンはとても長く、エピソード自体も、敢えてテンポよく見せようとはしない。ワン・エピソードがカット尻も含めて、必要以上に長く、さらにはシーンの終わりはゆっくりしたフェード・アウトとなる。普通の映画はテンポよく見せようとする場合が多く、ここぞという所でじっくり見せる、というのが常だが、この映画はすべてのシーンシーンを同じように大切にする。なんでもない部分まで、じっくり見せていくのだ。
象徴的なのは、歩くシーンの多さだ。移動していくだけの場面が、いつまでも撮られていく。風景の中をゆっくりと子どもたちが、横切っていく。この映画は彼らの生活のスケッチでもある。この村で生きる日々の営みをストーリーとしてではなく、生活それ自体として、見せていく。まるで、僕たちもこの子たちと同じように、この村で生き、暮らしているような気分にさせられる。
ゆったりと流れる時間の中で、様々な想いを抱きながら、日々を生きていく。そよを中心にして、7人の子どもたちがとても生き生きと描かれる。彼らはほんとうにこの村で暮らしているのだな、と思わされる。それはドキュメンタリーというのとは違う。これは事実そのものに見える。だから、終わったところから全てが大切な想い出となり、心に沁みこんでいく。
作り手の勝手な思い入れのもとで「作られたドラマ」ではなく、この時間、この瞬間そこで彼らは生きている。生きていろんな事を考えて、行動し、悩んでいる。大人たちの描写も、そこに深入りすることなく、子どもたちの目に映るものとして、しっかり描かれていく。父と大沢くんのお母さんのことを、見たそよが不安に駆られるという描写も、それ以上には描かないことでリアリティを感じさせる。
祭りの時、みんなに置いていかれ、泣いてしまうシーンがいい。郵便局員の青年(廣末哲万監督が素朴に怪しく演じる)は、そよが大好きで、みんなは気を利かせて2人だけにする。イジワルと遠慮、そして好奇心から、なんとなく彼女を置いていくのだ。ポロポロ涙を流すそよが愛しい。
そよはみんなのことを考えているが、それは時に相手の思いを無視した独りよがりでしかないこともある。中学2年生で、最上級生。この学校では一番大人だけど、ほんとはまだ14歳の子どもでしかないから、しかたないことなのだ。1年生のさっちゃんが膀胱炎になった時の罪悪感。「おしっこなんて我慢しなさい」なんて言ってしまったこと。この映画にはそんなささいなことがたくさん描かれている。
転校生の大沢くんが好きになること。それが大事なのではない。何より大事なのは、2人でこの学校のことを考えていけるようになったこと、である。1人の時よりずっと心が楽になっていく。同じ目線で話が出来る友だち。2人は恋人というよりも、同志という感じだ。小さな村だから、この狭い世界での人間関係は、ほんとに難しい。だけど、人が少ないから、みんな誰一人欠けることなく、一つになっていける。(そうならなくては、生きていけない)
雨の修学旅行のシーンもまた、丁寧に長く描かれる。初めての都会にとまどい、あまりの人の多さに、気分が悪くなってしまい、あんなに憧れていた東京が自分には合わない、と思う。そんな当たり前のことを、さまざまなところを歩きながら、そよは感じることになる。(ここでも、ほんとに彼らはよく歩く)
卒業式の日の描写は、あっさり流し、教室でのキスシーンから(大沢くんに自分からキスする。さらには、9年間過ごした教室の黒板にもキスする!)ラストまでを、長まわしのワンカットでみせる。そよが去っていった後、ゆっくりとカメラはパンして、教室の中を移動していく。窓から、外に向かうとき、季節は冬から春へと、移り、桜舞うなか、高校生の制服に身を包み、この学校に帰ってきたそよたちの姿を捉える。
山下敦弘監督は、今までの映画で培ってきた、けだるいタッチを変えることなく、このあまりに爽やかで眩しい青春映画を、照れることなくとても素直に見せていく。『松ヶ枝乱射事件』で今までの集大成を見せた直後、こんなにも、変わることなく全く別のキラキラした映画を作り上げる。凄いとしか言いようがない。
中2の夏、東京からイケメンさんの転校生がやって来る。そよ(夏帆)の学校は小学、中学あわせても6人しか生徒がいない。そんな、とんでもない田舎の学校だ。大沢くん(岡田将生)は彼女にとって初めての同級生となる。
みんなで一緒に海に泳ぎに行ったこと。祭りの夜のこと。初めてのキス。バレンタインのチョコ。そして、東京への修学旅行。そんないくつもの思い出が描かれていく。体験した端からそれらはキラキラした思い出になっていく。決して感傷的に、回顧的に描いているわけではない。ノスタルジックな描写は皆無だ。しかし、あまりに美しい日々は、大人の僕らにとってはひとつひとつが大切な思い出に見える。彼らはここで今、毎日を、ただ懸命に生きてる。そんな姿が愛しい。
甘く切ない物語は、日常のなんでもない描写として、綴られていく。シーンシーンはとても長く、エピソード自体も、敢えてテンポよく見せようとはしない。ワン・エピソードがカット尻も含めて、必要以上に長く、さらにはシーンの終わりはゆっくりしたフェード・アウトとなる。普通の映画はテンポよく見せようとする場合が多く、ここぞという所でじっくり見せる、というのが常だが、この映画はすべてのシーンシーンを同じように大切にする。なんでもない部分まで、じっくり見せていくのだ。
象徴的なのは、歩くシーンの多さだ。移動していくだけの場面が、いつまでも撮られていく。風景の中をゆっくりと子どもたちが、横切っていく。この映画は彼らの生活のスケッチでもある。この村で生きる日々の営みをストーリーとしてではなく、生活それ自体として、見せていく。まるで、僕たちもこの子たちと同じように、この村で生き、暮らしているような気分にさせられる。
ゆったりと流れる時間の中で、様々な想いを抱きながら、日々を生きていく。そよを中心にして、7人の子どもたちがとても生き生きと描かれる。彼らはほんとうにこの村で暮らしているのだな、と思わされる。それはドキュメンタリーというのとは違う。これは事実そのものに見える。だから、終わったところから全てが大切な想い出となり、心に沁みこんでいく。
作り手の勝手な思い入れのもとで「作られたドラマ」ではなく、この時間、この瞬間そこで彼らは生きている。生きていろんな事を考えて、行動し、悩んでいる。大人たちの描写も、そこに深入りすることなく、子どもたちの目に映るものとして、しっかり描かれていく。父と大沢くんのお母さんのことを、見たそよが不安に駆られるという描写も、それ以上には描かないことでリアリティを感じさせる。
祭りの時、みんなに置いていかれ、泣いてしまうシーンがいい。郵便局員の青年(廣末哲万監督が素朴に怪しく演じる)は、そよが大好きで、みんなは気を利かせて2人だけにする。イジワルと遠慮、そして好奇心から、なんとなく彼女を置いていくのだ。ポロポロ涙を流すそよが愛しい。
そよはみんなのことを考えているが、それは時に相手の思いを無視した独りよがりでしかないこともある。中学2年生で、最上級生。この学校では一番大人だけど、ほんとはまだ14歳の子どもでしかないから、しかたないことなのだ。1年生のさっちゃんが膀胱炎になった時の罪悪感。「おしっこなんて我慢しなさい」なんて言ってしまったこと。この映画にはそんなささいなことがたくさん描かれている。
転校生の大沢くんが好きになること。それが大事なのではない。何より大事なのは、2人でこの学校のことを考えていけるようになったこと、である。1人の時よりずっと心が楽になっていく。同じ目線で話が出来る友だち。2人は恋人というよりも、同志という感じだ。小さな村だから、この狭い世界での人間関係は、ほんとに難しい。だけど、人が少ないから、みんな誰一人欠けることなく、一つになっていける。(そうならなくては、生きていけない)
雨の修学旅行のシーンもまた、丁寧に長く描かれる。初めての都会にとまどい、あまりの人の多さに、気分が悪くなってしまい、あんなに憧れていた東京が自分には合わない、と思う。そんな当たり前のことを、さまざまなところを歩きながら、そよは感じることになる。(ここでも、ほんとに彼らはよく歩く)
卒業式の日の描写は、あっさり流し、教室でのキスシーンから(大沢くんに自分からキスする。さらには、9年間過ごした教室の黒板にもキスする!)ラストまでを、長まわしのワンカットでみせる。そよが去っていった後、ゆっくりとカメラはパンして、教室の中を移動していく。窓から、外に向かうとき、季節は冬から春へと、移り、桜舞うなか、高校生の制服に身を包み、この学校に帰ってきたそよたちの姿を捉える。
山下敦弘監督は、今までの映画で培ってきた、けだるいタッチを変えることなく、このあまりに爽やかで眩しい青春映画を、照れることなくとても素直に見せていく。『松ヶ枝乱射事件』で今までの集大成を見せた直後、こんなにも、変わることなく全く別のキラキラした映画を作り上げる。凄いとしか言いようがない。