フランソワ・オゾン監督の映画を見て初めて違和感を感じた。彼がなぜこんな映画を撮ったのか、わからない。いつも刺激的で寡黙な作品を突き放したタッチで作り続けてきた彼が初めて英語を使った作品なのだが、それと映画自体のタッチとはあまり関係ないはずだ。だが、それではこんなにも陳腐なシンデレラストーリーを彼が作ろうと思ったのはなんなんだ?
もちろんこれは、ただのシンデレラストーリーではない。夢を現実にした女が現実の中で夢を見れなくなる、という程度のひねりはある。だが、あまりに陳腐なストーリは大時代的でこれはいつに時代の映画だ、と思う。もちろんこれ自体は時代劇だが、そんなことを言いたいのではない。オゾンが今この映画を作る意味が見えてこないということを言いたいのだ。
傲慢な女が未熟さすらを武器にして作家として成功を収める。だが、傲慢なだけで誰にも認められない男にシンパシーを感じ、彼を好きになる。その結果、その男に振り回される。それでも彼女は敗北しない。
僕にはただのバカにしか見えなかった。ある女の一代記なのだが、それをオゾンはどんな気持ちで描いたかが、見えない。前作『僕を葬る』の渇いたタッチは『8人の女たち』(これはこれでいい映画だった)で商業映画監督と化した彼がまた以前のフィールドに戻ってきたと喜んだのもつかの間、なぜこんな映画を撮るのか。まるでわからない。
全面的につまらないとは言わないが、オゾンの映画にこんなにも毒がないことに戸惑いを隠せないのだ。
もちろんこれは、ただのシンデレラストーリーではない。夢を現実にした女が現実の中で夢を見れなくなる、という程度のひねりはある。だが、あまりに陳腐なストーリは大時代的でこれはいつに時代の映画だ、と思う。もちろんこれ自体は時代劇だが、そんなことを言いたいのではない。オゾンが今この映画を作る意味が見えてこないということを言いたいのだ。
傲慢な女が未熟さすらを武器にして作家として成功を収める。だが、傲慢なだけで誰にも認められない男にシンパシーを感じ、彼を好きになる。その結果、その男に振り回される。それでも彼女は敗北しない。
僕にはただのバカにしか見えなかった。ある女の一代記なのだが、それをオゾンはどんな気持ちで描いたかが、見えない。前作『僕を葬る』の渇いたタッチは『8人の女たち』(これはこれでいい映画だった)で商業映画監督と化した彼がまた以前のフィールドに戻ってきたと喜んだのもつかの間、なぜこんな映画を撮るのか。まるでわからない。
全面的につまらないとは言わないが、オゾンの映画にこんなにも毒がないことに戸惑いを隠せないのだ。