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これにはやられた。読みながら、こういうことを今語られるのか、と。これを読んだのは、たまたま、である。このたまたまは痛い。どんな話かも知らずに読み始めた。そして圧倒された。ひとりの女の一代記である。でも壮大なクロニクルでも大河ドラマではない。これはただの平凡な日々のスケッチだ。
不意をつかれた。だからこのたまたまは痛い。ここまで感情移入させられるとは思いもしなかった。認知症の老婆が主人公だ。デイサービスに通い、家族の補助もある。息子は死んでしまったが、息子の妻が世話をしてくれている。孫ももう30歳で、自分はもう90になる。そこに、昨年亡くなったうちの母親のことを重ねてしまう。いろんなところで心当たりのあることばかりだ。これはきっと誰もが経験していることなのだろう。介護する側もされる側にも心当たりのあることだらけ。更にはあと、2,30年で自分もそうなるかもしれないという不安。母のことがあったから、ここで描かれるすべてのエピソードが生々しい。生々しすぎる。
もっといろいろなことができたのではないか、といつまでも悔やまれる。でも、やれるだけのことはできた、とも思いたい。この小説のラストで玄関先で倒れてしまうシーンでは、涙が出そうになった。あれが一番怖いことだ。自分がいない時で、デイもなく彼女がひとりの時に倒れられたら、怖い。そんなことが何度か、あった。大事には至らなかったけど。だから、最後はデイサービスで倒れてそのまま入院したのは不幸中の幸いだった。でも、彼女はそれから家には帰れなかった。
自分の「母のこと」と「この小説のこと」とは別の話なのに、あらゆる局面で対比しながらこれを読んでいた。だから、客観的にこれを評価することはできない。彼女には介護師の女たちがみんな同じに見える。だから、みんなを「みっちゃん」と呼ぶ。でも、本当のみっちゃんは3歳の時に死んでいる。彼女の娘だ。幼くして亡くした娘(道子)のことがずっと心のなかで痛みとして残る。
僕の母親もいつもミシンを踏んでいた。家で洋裁の仕事をしていた。子供の頃の家の中はいつも糸くずだらけだった。
すべてがこの老婆の視線から描かれる。それはとてもリアルだ。だから、最初から最後まで一気に読める。止まらない。認知症を患い、意識は混濁しているが、彼女は冷静だ。そんな日々の中にある「真実」。そこから僕は目が離せない。