久々に本格的な恋愛映画を見た。恋愛だけを描く映画だ。それ以外のことは映画の外の出来事だ。彼ら2人の恋愛と真正面から向き合う。そこではお互いの想いがひとつひとつ丁寧に描かれる。それはいろんな方向に迷走する。そんな自分の心と向き合う。だが、それを感情的に描くのではなく実に冷静なタッチで描いていく。事実の検証をしていくように。感情移入させない。観察するように見つめる。引いた視線からクールに見守る。だからこの後どうなるかと、ストーリーの展開を追いかけるタイプの映画ではない。
主人公(大倉忠義)の周囲にいる3人の女性との絡ませ方もうまい。彼の妻、恋人、昔の彼女。その3人とヒロイン(!)となる成田凌。相手役となる恋人が男だ、という点がこの映画の肝となるけど、たまたま彼がゲイで男だっただけ。だけどそれだけでこの恋のハードルは高くなるし難しくなる。映画は男同士の恋愛を興味本位で取り上げるのでは当然ない。彼らの気持ちが、丁寧に描かれるから、それだけで面白い。そこで生じる化学反応を見ていくようにこの起伏のないドラマから目が離せない。
彼はすべてを受け入れてしまう。だけど、ずるい。だが、嫌な奴かというと、そうではない。もちろんいい人ではない。妻とはうまくやっていきたいけど、恋人ともうまくやっていきたい。そこに成田凌の大学の後輩が登場する。彼はサークルの先輩である大倉のことがずっと好きだった。この再会をきっかけにして、彼との関係を深めようとする。同性愛者ではない大倉は生理的にも受け付けない。だが、弱みを握られているからキスだけなら、と許す。
好きという感情とどう向き合うか。彼らふたりと、大倉のかかわる3人の女たちのドラマが大きな意味での恋愛の在り方を示す。自分の気持ちと向き合い、それがどう変化していくかを見つめる。わかりやすい言葉なんかでは語らない。たったひとりで初めてゲイのたまり場に行き、涙を流す。あの涙はなんだったのか。女たちはみんな彼に優しい。現実にはこんな都合のいい女たちはいない。だけど、それだからこそ、彼らふたりの恋愛は際立つ。純粋に相手と向き合い、傷つきながら自分と向き合う。生々しい性描写もこの映画には必要だった。そこを避けてきれいごととして描くのでは観念的な彼らの内面の想いは説得力を持たないからだ。3人の優しい女たちからこんなにも愛されながらも彼は彼女たちを愛せない。成田凌でなくてはダメなのだ。
好きな人を好きだと受け入れて(それが男であろうとも)一緒に生きる勇気を持てるか。異性愛者である彼が同性を愛するのではなく、たまたま愛した相手が同性だった、だけ。でも、それだって相手から求められたから応えただけ、かもしれない。ほんとうの自分の心はわからない。前作『劇場』に続いて行定勲は、今回も主人公のふたりだけにクローズアップしていく。だからこれはお話で見せる映画ではない。なのに2時間以上の長尺である。キツイ映画だ。だけどスクリーンに釘付けされる。一瞬も目が離せない。凄い緊張感だ。恋愛ってなんなのか、なんてそんなことを考えざるを得ない。だからこれは究極の恋愛映画なのだ。