久々のevkkの新作だ。今年に入って外輪さんの作品は3本目だけど、evkkとしての公演は初めてで、しかも3年ぶり(らしい)。今回は男と女の地獄のような日々を描くラブストーリー。うんなまの繁澤邦明とうさぎの喘ギの中筋和調が演じる。芝居はこの2人による静かな会話劇からスタートする。まず、彼らが付き合い、一緒に暮らし始めるまでが描かれる。そして、2人の泥沼のような悪夢の日々というパターンだ。だが、そこに見え隠れするのは男の自意識の高さと、女の自己評価の低さ。自分を卑下する女を男は包み込もうとする傲慢さ。さらりと描かれる地獄は、やがては激しい罵り合いに。
そんな2人のドラマは会話劇からやがて周囲にまるで魑魅魍魎のように現れては消えていく人々とのドラマへと移行する。周囲にいる人々は最初は会話にだけ登場する。描かれるのはふたりだけの世界だが、その周囲には当然ふたりを取り囲む世界がある。芝居の深奥にあるのは彼らだけの闇だ。だがそれを後半、他者とのドラマとして展開させる。徐々に周囲が実態を持つ。鬼のような母親(演じるのはなんと、澤井里依)の登場から始まり、彼を虜にする豊満な女(たはらもえ)、彼女を取り込む小劇団の座長(高瀬和彦)と。彼らの姿はまるで妖怪のようだ。ふたりにはそういう風に見える。そんな彼ら3人にふたりの周囲の世界のすべてを象徴させて、2人を取り巻いていた悪魔のような人々として描く。だがそれは彼らにはそう見えるだけで実際はそうではないのかもしれない。
ここに描かれる地獄は特別なものではなかろう。それどころか、もしかしたらこれはこの世界のすべての男女が多かれ少なかれ感じている、経験していることなのかもしれない。この「誰にでもある、どこにでもある」地獄を外輪さんは、ドロドロしたものとしてではなく、さらりとしたタッチで見せてくれる。
さて、ここまで書いた後、未読だった原作である小説を読んでみた。この芝居を見た直後、帰り道の図書館で借りてきたのだ。驚いた。僕は先にさらりと地獄を描いた、というふうに書いたけど原作はなんと外輪さんの作品以上にさらりとしていたのだ。どういうことだ。これは。もっとドロドロした小説なのかと思っていただけに、驚きだ。ドロドロを薄めたのがこの芝居だと思ったら、そうではなかった。外輪さんは故意に原作をいびつにデフォルメしている。主人公の2人の周囲にいる3人の描き方は原作ではあそこまで異常ではない。
外の世界は彼らにとって悪夢なのだ。閉ざされたふたりの世界がやがて壊れていく。原作以上にドロドロした世界を透明感溢れる外輪作品に仕上げた。原作を改変することなく、その世界をそのまま舞台作品に移し替えたにもかかわらず、こんなにも微妙に感触の違う世界にした。今回もまた見事な作品だった。