また児童文学出身の作家が独自の世界観を持つ傑作を引っさげて登場してきた。この素晴らしい作品は、平易な(子供にも読める)言葉で、とても微妙な感覚を見事に掬い上げることに成功している。
中学1年になった灯子が、日々の生活の中で感じる数々のことを静かに綴っていく。彼女が世界と向き合い、そこに見る不思議な世界を正面から衒いなく描き取っていく。それは夕暮れ時にみた幻に過ぎないのかもしれない。だけれども、それは目を凝らしたから見えてくるこの世界のほんとうの姿なのだと思う。
マグノリアの花びらに誘われて、6つのエピソードが、ロンド形式で綴られていく。美帆ちゃんとの5月。死んでしまったおじいちゃんに逢いに行く小さな旅。凛さんとの7月。循環バスの中で見た幻。千夏と見た9月の亡霊。ずっと以前に死んでしまった深井先生。そして、大好きになっていく関田くんと体験した11月。黒森の宵、お祭りの夜の魔物との一時。さらには、きいちゃんと見た1月のスキー場の雪幽霊。最後には、おばちゃんのうちの庭のマグノリアの木の精霊と出会う3月。
生と死のはざまで、光と闇の交錯点にふと立ち止まった時現れる不思議な世界。何というわけでもなく、とても自然にそれらはやって来て、その世界に引き込まれていく。
昔好きだったNSPの『夕暮れ時はさびしそう』という歌を思い出してしまった。先日見た根岸吉太郎監督の『サイドカーに犬』にも通じるような世界だ。少女が誰かと出会い、ほんの一瞬思いもかけない風景を見てしまう。決定的な何かがそこにはあるのだけれど、それが何なのかは上手く言葉にはできないし、言葉なんかにしたらそれは消えてしまう。
『サイドカーに犬』の薫はヨーコさんに出会ってしまった。その事実が永遠に彼女の心に残る。何だか分からないけれど、ヨーコさんは10歳の薫の夏に現れた幻のような存在で、彼女の憧れでもある。今大人になった彼女が(あの時のヨーコさんの年齢を超えているかもしれない)それでもいまだに忘れられないで、憧れ続けてしまう女性がヨーコさんなのだろう。自転車に颯爽と乗り、豪快でとてもかっこいい彼女の後ろ姿の寂しさは、きっと生きていくということの痛みなのだろうと思う。この映画の薫やこの小説の灯子のような少女たちは(もちろんそんな男の子も)この世界にはたくさんいる。そう思うとなんだか幸せな気分になる。
僕たちが生きているこの世界は、決して捨てたもんではない。目を凝らして、自分と自分のまわりの世界をもう一度ゆっくり見てみよう。
「見えないってことはいないことにはならない。世界は見えているものだけでできているんじゃない。」この小説の末尾のこの一文をこの痛ましい世界で生きる全ての少年少女たちに捧げたい。なんだかよく分からない文章になってしまったが、もういい。
中学1年になった灯子が、日々の生活の中で感じる数々のことを静かに綴っていく。彼女が世界と向き合い、そこに見る不思議な世界を正面から衒いなく描き取っていく。それは夕暮れ時にみた幻に過ぎないのかもしれない。だけれども、それは目を凝らしたから見えてくるこの世界のほんとうの姿なのだと思う。
マグノリアの花びらに誘われて、6つのエピソードが、ロンド形式で綴られていく。美帆ちゃんとの5月。死んでしまったおじいちゃんに逢いに行く小さな旅。凛さんとの7月。循環バスの中で見た幻。千夏と見た9月の亡霊。ずっと以前に死んでしまった深井先生。そして、大好きになっていく関田くんと体験した11月。黒森の宵、お祭りの夜の魔物との一時。さらには、きいちゃんと見た1月のスキー場の雪幽霊。最後には、おばちゃんのうちの庭のマグノリアの木の精霊と出会う3月。
生と死のはざまで、光と闇の交錯点にふと立ち止まった時現れる不思議な世界。何というわけでもなく、とても自然にそれらはやって来て、その世界に引き込まれていく。
昔好きだったNSPの『夕暮れ時はさびしそう』という歌を思い出してしまった。先日見た根岸吉太郎監督の『サイドカーに犬』にも通じるような世界だ。少女が誰かと出会い、ほんの一瞬思いもかけない風景を見てしまう。決定的な何かがそこにはあるのだけれど、それが何なのかは上手く言葉にはできないし、言葉なんかにしたらそれは消えてしまう。
『サイドカーに犬』の薫はヨーコさんに出会ってしまった。その事実が永遠に彼女の心に残る。何だか分からないけれど、ヨーコさんは10歳の薫の夏に現れた幻のような存在で、彼女の憧れでもある。今大人になった彼女が(あの時のヨーコさんの年齢を超えているかもしれない)それでもいまだに忘れられないで、憧れ続けてしまう女性がヨーコさんなのだろう。自転車に颯爽と乗り、豪快でとてもかっこいい彼女の後ろ姿の寂しさは、きっと生きていくということの痛みなのだろうと思う。この映画の薫やこの小説の灯子のような少女たちは(もちろんそんな男の子も)この世界にはたくさんいる。そう思うとなんだか幸せな気分になる。
僕たちが生きているこの世界は、決して捨てたもんではない。目を凝らして、自分と自分のまわりの世界をもう一度ゆっくり見てみよう。
「見えないってことはいないことにはならない。世界は見えているものだけでできているんじゃない。」この小説の末尾のこの一文をこの痛ましい世界で生きる全ての少年少女たちに捧げたい。なんだかよく分からない文章になってしまったが、もういい。