写真:タヒチの女たち (図録より) ティアレの花を耳に挟んで
ポール・ゴーギャン(1848-1903)は二度タヒチを訪れている。 初めは(1891)43歳で。シャルル・モリスやステファン・マルラメの推薦状、フィガロの記事、エコー・ド・パリ紙の紹介などで絵を売る。 夢の実現のため、資金を集めた。
タヒチで13歳のテハアマナを娶り、楽園のくらしは80点の作品になった。
二度目(1895 48歳) パリで批判され、アル中、病身、見送りを拒んでタヒチへ。 貧困、孤独、失意のうちに自殺を考えるが、畢生の大作が生まれる。
「我々はどこから来たのか? 我々は何者なのか? 我々はどこへ行くのか?」
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モンフレーへの手紙によれば
一見、まったく粗削りで… ぞんざいで未完成だと思われるかも知れない。 誰も自分のことは 正確に判断できないものだが、それでもなお、 私はこのタブローが これまでのどの作品よりも高度であるだけでなく、これ以上のものも、あるいはこれに匹敵するものも 二度とつくることはできまいと思う。私は死を前にして、持てるすべてのエネルギーをこの絵に注ぎ込んだ
右下に眠る赤ん坊、しゃがんだ3人の女。緋色の衣を着た2人の人物は 思索にふけり…(略)
中央の人物は果物を摘もうとしている。2匹の猫とかたわらの子供、白い山羊。 両の腕を神秘的に、リズミカルにさし上げる偶像は、彼岸を指しているかのようだ。その手前の人物は 偶像の声に耳を傾けるかのように座り、死を前にもの想う老女がこの物語を完結させる。足下の蜥蜴を捕らえた白い鳥は 軽薄な言葉の空しさを表している。これらのすべてが森かげの小川のほとりで展開される
ひとの一生をパノラマでみせている。
ブルー、グリーンと赤。オレンジ、黄金色の肌。線や色彩による交響曲。 苦難の生涯は つよい色彩の中に隠れている。子煩悩にもかかわらず妻子と別れ、敢えて安定や文明を捨てた。本物を得るため。
心にのこる言葉
あまり自然に即して描いてはいけない。芸術とは一つの抽象なのだ。 自然の前で夢見つつ そこから抽象を引き出したまえ。
絵は詩…
タイトルの意味を もういちど考えてみよう。
我々はどこから来たのか? 我々は何者なのか? 我々はどこへ行くのか?
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ゴーギャンが残した膨大な量の文章は、彼の豊かな文学的才能の証し。 ゆっくり読み返したい。
参考・引用資料:
「ゴーギャン 私の中の野生」 フランソワーズ・カシャン著 高階秀爾 監修 創元社
「ゴーギャン 芸術・楽園・イヴ」 湯原かの子 講談社選書メチエ