ドアの向こう

日々のメモ書き 

古代ロマン

2009-02-26 | 道すがら

橿原神宮前から万葉文化館まで乗車。 バスを降りて 秋の旅のつづきである。

  今城イマキなる小丘ヲムレが上に雲だにも著シルくし立たば何か嘆かむ (日本書紀)     
  飛鳥河水漲ミナギラひつつ 行く水の 間アヒダも無くも思ほゆるかも  (日本書紀)

  崩御された夫の舒明天皇を偲び、
八歳でなくなった孫を思う女帝 斉明皇后は、 
大土木工事を好んだ という。 
 「宮の東の山に石を累カサねて垣とす」 まずは 酒船石遺跡 から。

  
   亀形石造物 

  導水施設か 
 天皇祭祀にかかわるものか 
 当時の土木工学を想像するのも
面白い

 
 酒船石
  酒をしぼる槽 あるいは
 油や薬をつくるための道具        庭園に水を引くために造ったか
 謎は深まるばかり。 
 飛鳥にはこのような石造物が 
    約20体点在する

 
  うらうらと 畦をゆけば、 蜜柑の木に寄せて バイクが停まる。
 微笑み交わした農作業のひと。

 梅の香が誘い 
      一面の 仏の座。 
  拡大 


  岡寺
  龍蓋寺リュウガイジとも称す

   本尊  如意輪観音。
  我国 塑像中最も大きい。

 旧寺跡は 仁王門の西方治田ハルタ神社境内にある。
  先刻 通りかかった。

 急な登りを行き、 竹林をいくつも抜け、 棚田を眺め石舞台へ。 その大きさに驚き。  入り口 
  蘇我馬子の墓?

 午後から飛鳥川のほとり。
  耳を澄ませば 
 明日香川 行き廻る岡の秋萩は
    今日降る雨に散りか過ぎなむ
  明日香川 瀬々に玉藻は生ひたれど しがらみあれば靡きあはなくに
名も知れぬ歌人も 浮かんでくる。 

 
  橘寺 聖徳太子御誕生所 
 田道間守タジマモリが中国から持ち帰ったという橘。  
  蓮華塚 (太子は勝鬘経ショウマンキョウを三日間ご講讃になると大きな蓮の花が庭に1mも積もってそれを埋めたところ。畝割塚ともいう。大化の改新で、これを一畝の基準とす
約100㎡)。 ほかに 黒の駒、
 五重塔跡。 阿字池。 二面石。 
  向かいに 川原寺跡がみえる。
 
  亀石を経由、 高松塚へ 

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遠くへいきたい

2009-02-26 | 道すがら


 向き合うひとは恢復も早く、 術後はじめての遠出をした。
 本人たっての希望で、旅路は前回のつづき、奈良である。 父親そっくりな明治の男は(と、秘かに呼ぶ)… 案の定、黙々とひたすら歩いた。 連れがあるのも忘れ、振り返りもしない。 
 
 こちらもかまわず立ちどまる。 心の風景がある… 歓声をあげシャッターを押す。 見失い、走っては追いかけ、また無我の境地に立ちつくす。
 人生も旅に似て ひとそれぞれの旅をする。


まずは飛鳥 こころに残る風景をご覧ください
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 モネに積み藁…
  故郷では藁ぼっちと呼んだ。森蔭も美しい
  鶯が鳴いている。
   道を挟んで鬼の雪隠、鬼の俎。
    
  亀石を過ぎて間もなく 菜の花に見とれる
   いきなりの爆音に驚いた。
  焚き火にくべる青竹が燃えて
  パン! パン!!
    破裂音がこだまする。 
     色調の関係で順不動です。
   高松塚古墳にたどり着く
    紅白の梅や馬酔木が迎える。
     石舞台古墳に向かう途中
   長閑な田園風景が広がる
   2月26日 ポカポカと暖かい 
  田道間守タジマモリが持ち帰った秘薬、
  トキジクノカグノコノミを蒔いて育てた由。
   聖徳太子御誕生所 橘寺
 ひとの心の善と悪、二面石をみる 
  
    飛鳥川瀬瀬セセの珠藻のうち靡き 
      情ココロは妹イモに寄りにけるかも
                (巻13・3267)
    川を渡り竹林を抜け
      起伏のあるコースを岡寺へ
      拡大写真
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コメント (2)
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