想風亭日記new

森暮らし25年、木々の精霊と野鳥の声に命をつないでもらう日々。黒ラブは永遠のわがアイドル。

エコじゃなくてエゴイスト

2009-06-02 08:54:11 | Weblog
山に自生している植物の名前をすらすらと言えないうさこです、へい。
この赤い花をつけた木が今年は目立って増えたような気がしてます。
前からあったのだろうけど‥‥気づかなかっただけかなあ。
なんという名だろうか。

ホウの木の若木が、今年はちょっとだけ背が伸びていた。


(昨年6月撮影)

(そして現在3段になっている)

写真で振り返って比べてみると、去年よりも2週間ほど樹々の芽吹き、成長が
早いように思える。
温暖化のせいだとしたら、この山奥でもいつかは雪が少ししか降らなくなったり、
雨量がさらに増えたりするのだろうか、とかいう不安が脳裏をかすめる。

そう思った次にはなぜかガソリン代を計算してエコカーもいいぞ、1ℓ30km代なら
今の3分の1だから、その浮いた分でえ~と‥‥などと実利的な考えへ流れる。
脳みそは活発に利己的な方へシフトしていくということを、もう一人の私が監視し、
ニヤニヤと笑っている。其の手には乗らねえよ、と。

排気ガス問題より経費節減に敏感な思考‥それを利用する市場経済のしくみ。
自然観測のデータからつきつめた先にあるのが自然環境に、母なる地球に優しいとは
限らない。結局のところ、自分が困らないようにということに行き着いているのでは
ないだろうかなあ。

脳は常にエコロジー(生態学)など無視し、エゴイズム(利己主義)に偏っている。
この利己的遺伝子に支配された脳を野放しにして「私が生きている実感」などと勘違い
している人がけっこう多いのは困ったことだ。
その場合は直接的刺激でないと感じることができない。
たとえば酔っぱらうとかラリるとか、あるいは忙しく走り回るのが好きという類い。

わたしは常に自分の首の上に乗っかっている頭の中身を疑う。
頭部の付け根、首の後ろが腫れてしまうほど脳を酷使している日常であるが、
勝手な真似をされてはその脳に殺されてしまうので、警戒せざるをえない。
いやべつに死にたくないわけではない。
ただ、自分の脳に殺されるのはバカらしい。
脳に支配されるのではなく脳を駆使する側にいて、できれば納得して死にたいと
思っている。

エコロジーという言葉が広義に使われるようになって久しいがさらに柔軟になって
エコと略されるとなんだかエゴに聞こえてしまって、薄~く笑ってしまう。
生態系の中に属している人間は、常にそれをコントロールできるかのように錯覚し
畏怖心と謙虚さを忘れてしまった。

まれに賢い人が現れて、人間を生態系の一部であると思い出させてくれようとする。
そういう人はあまり難しいことを言わないところが共通している。
誰にでもわかる話をするが、誰にでも気づくことではない。
その智恵の表面だけパクって金儲けしようと企むヤツもいる。

ああ食ったり食われたりなんだよ、世間は。とシタリ顔で言ったらおしまいよ。
そんなにすれてしまってはいけない。
そんなこと言ってて食われる側だったらどうするよ? ん?
誰しもそっちはいやなのだ。
ただ自分だけは助かろうという気持ちが強い人ほど客観性をなくし脳に支配される。
個としての強さをなくしていくことになる。
寄らば大樹の陰、にも容赦なく吹きつける雨風のあることを知っておくことだ。
真理に裏打ちされないと、実利は結局は滅びへ至る道である。



本当のエコとは集約すれば、世紀をまたいで拡大する一方である貧富の差を少しでも
縮めていくことにほかならないのではないか。
生態系に倣うなら、極端な大喰らいが出現したあとは滅びてきたのであるから。

(エコカーをガンガンみんなで乗り回すと結局排気ガスは同じことじゃないか‥‥
高速代土日1000円で道路沿線の緑はどうなるんだよ‥と考えはシフトしたので
導入しばし見送り派へ鞍替えし、愛車をさらに大事に乗ることにしたんである)

コメント
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